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2013/08/09

北條九代記 信濃前司卒去 付 鎌倉失火 竝 五佛堂造立

      ○信濃前司卒去  鎌倉失火  五佛堂造立
同八月六日、伊賀左衞門尉光宗を政所の執事に補せらる。信濃前司行光病惱危急にしてこの職を辭退申しける其替(かはり)とぞ聞えし。同八日前信濃守從五位下藤原朝臣行光法師行年(かうねん)五十六にて、遂に卒去せられけり。多年執事の職に居て、隨分の廉直を行はれし人なりしが、一朝の嵐に命を委せ、未だ半白(はんぱく)の年を失ひ、泉下(せんか)の客(かく)となられけるを、憎まぬ人はなかりけり。同二十二日の申刻に、阿野四郎が濱の家の北邊より、火燃え出でて、折節南風烈しく吹き、車輪の如くなる焔(ほのほ)飛びて、永福寺の摠門の下より、濱面(はまおもて)の御倉(おくら)の前を、東は名越山の際に至り、西は若宮大路を限りて、戌刻に及ぶ迄、三時計(ときばかり)の間に、造竝(つくりなら)べし大厦(か)の構、諸大名の家々悉く燒失す。地下(ぢげ)町人の家々は、資財を取除け雜具(ざふぐ)を運び稚(いとけなき)を抱き、老いたるを助けんとする程に、吹(ふき)迷ふ火の子は吹雪に交(まじ)る雪よりも滋(しげ)く、煙渦卷(けぶりうずま)き燒廻れば、或は人に蹈倒(ふみたふ)され、或はその身に猛火燃(もえ)付き、臥轉(ふしまろ)びて死する有樣、啼(なき)叫ぶ聲に和して、焦熱叫喚の地獄と云ふともこれには勝らじとそ覺えける。右大將軍家鎌倉草創より以來(このかた)かゝる例は未だなし。焦死(こがれし)にたる尸共(かばねども)は、小路々々に盈塞(みちふさが)り、算(さん)を亂せし如くなり。されども、故右大臣の舊跡、二品禪尼の住宅、若君の御館(みたち)計(ばかり)は僅(わづか)に餘焰(よえん)を逃れ給ふ。淺ましかりける有樣なり。斯(かく)ては叶ふまじ、不日(ふじつ)に家作(つくり)あるべきとぞ觸れられたり。去程(さるほど)に燒失の跡(あと)程なく引平(ひきなら)し、諸大名を初として、民屋(みんをく)に至るまで、形(かた)の如く経營しければ、世も新りし心地して、往昔(そのかみ)よりも賑(にぎはひ)けり。同十二月、二品禪尼、御不例の氣おはします、是に依て、御祈禱の御爲に、太山府君(たいざんぶくん)の祭をぞ修せられける。同二十七日は、故右大臣實朝公の一周忌に成り給ふ。御追福の御爲に、佛師運慶法印に仰せて、五大尊を造立(ざうりふ)し、勝長壽院の傍(かたはら)に、伽藍を建てられ、五佛堂と名付けて、彼の御本尊を安置(あんぢ)せられ、今日供養を營み給ふ。二品禪尼の御願として、導師は明禪(みやうぜん)法印なり。咒願(じゆぐわん)説法諸人の耳を驚(おどろか)し、歓喜(くわんぎ)の思(おもひ)を催しけり。生身(しやうじん)の如來を供養せんよりは、新(あらた)に造るに如(しく)なしと、經の中には説き給へり。其功德、莫大にして世に比類なしと云へり。さこそ聖靈(しやうりやう)もこの善根の廻向に與(あづか)り、受(うけ)喜び給ふらんと、有難かりける事共なり。
[やぶちゃん注:「吾妻鏡」巻二十四の承久元(一二一九)年九月六日及び同巻同年の九月二十二日、十二月十七日及び同月二十七日に基づく。従って「同八月六日」は「九月」の誤り。やはりこれも「吾妻鏡」の引用の必要性を感じない。
「二品禪尼の住宅」「吾妻鏡」九月二十二日の鎌倉大火の記事には、『二品禪尼亭。〔右府舊跡。〕』とあり、これは亡き実朝の旧邸であったことが分かる。しかしこれも何と奇しくも、最後の部分で本作が参照している部分の丁度間の、承久元年十二月二十四日の「吾妻鏡」に、
廿四日丙戌。霽。子尅。故右府將軍亭〔當時二品居所。〕燒亡。失火云云。仍二品俄渡若公亭同宿云云。
廿四日丙戌。霽る。子の尅、故右府將軍亭〔當時、二品の居所。〕燒亡す。失火と云云。
仍つて二品、俄かに若公の亭へ渡り同宿す、と云云。
とあって、本話時間内で焼亡してしまっている。「若公」は若君で、無論、藤原頼経(当時は幼名で三寅)のこと。
「太山府君(たいざんぶくん)の祭」通常は「ふくん」と濁らない。中国の五岳の一つ東岳泰山の神で東岳大帝ともいう。山東省泰安県の泰山は古来から霊山で、天神が降誕し、また死者の霊魂が寄り集う冥府があるとされた。この山にあって人間の寿命や生死を司って死者の生前の行為の善悪を裁く最高神の一人として信仰されたのが泰山府君で、それを祀って死者を蘇生させたり、病気平癒や長寿福禄を祈った陰陽道の呪法。
「同二十七日は、故右大臣實朝公の一周忌に成り給ふ」実朝薨去は同年の一月二十七日で、「吾妻鏡」の同日の条にも『爲故右府追福』(故右府追福の爲)とあって、一周忌ではなく、命日に合わせた追福行事として造立したものである。
「五大尊」五大尊明王。一般に真言密教では不動明王を中心に降三世(ごうざんぜ)明王(東)・大威徳(だいいとく)明王(西)・軍荼利(ぐんだり)明王(南)・金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王(北)を配する(台密では金剛夜叉明王の代わりに烏枢沙摩(うすさま)明王を配す)。これを祀った五仏堂なるものは無論、勝長寿院とともに消失して現存しない。後の嘉禎元(一二三五)年に将軍藤原頼経が十二所に創建した五大堂明王院とは別物(現在、五大尊明王を祀る寺は明王院のみ)。
「明禪法印」(仁安二(一一六七)年~仁治三(一二四二)年)参議藤原成頼の子。比叡山の智海・仙雲から顕密を学び、山門の碩徳(せきとく)と謳われたが、遁世の志深く、後年は法然の専修念仏に帰依した。
「咒願」法会などの際、僧が施主の幸福などを祈願すること。また、その祈願文。]

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