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2013/08/04

靑猫スタイルの用意に就いて 萩原朔太郎

 靑猫スタイルの用意に就いて

 

 先日佐藤惣之助君と詩の話をした時、表現についての議論が出た。佐藤君が言ふのに、近頃流行の形容詩体――××のやうに――は幼稚であるから、自分はそれを捨てて新詩体を選んだと。然るに今月の「轟々」といふ雑誌を見るに、南江二郎君が同じやうな説を述べてる。曰く「××のやうに」といふ形容詩句は、仏蘭西あたりではずつと幼稚なものに属し、此頃ではもう使ふ人は全くないと。よつて此所に一言、自分の表現用意について説明しておく。

 そもそも我が詩壇に於て、この形容詞句「やうに」を最初に有效に使つたのは、私の知る限り福士幸次郎君であつたやうだ。しかしそれを最も盛んに使用し、殆んどそれで以て詩體の一特色を構成するやうにしたのは、實に私の詩集「靑猫」であつた。それ故に上述の非難は、正常に私の責任に負ふべきもので、佐藤、南江君の悪聲に對しても、一應自分として答へねばならない立場にある。

 元来、何々のやうにといふ類の形容が、詩的表現として幼稚愚劣なものであることは、一通りには始めから解りきつたことである。特に近頃の印象を重んずる新詩風で、こんな気の利かない概念的形容を使ふのが、既に既に時代遅れであることは、佛蘭西詩壇を引き合ひに出すまでもなく、日本に於ても常識で解つてゐることと思ふ。もちろん私自身も、始めからそれ位のことは知れきつた筈だ。しかも私としては、普通さうした常識以上に、別の新しい用意から特にそれを選んだのである。

 そこでこの「やうに」といふ形容は、普通には畢なる比喩として用ゐられる。たとへば「血のやうに赤い」「鐡のやうに強い」「矢のやうに速い」等である。かうした普通の形容が、詩語として如何に幼稚なものであるかは言ふまでもないだらう。なぜならば「早い」といふことを言ふために、矢といふ別の概念を借りてきて、しかもそれを「やうに」の御丁寧な説明入でくどくどと書き立てる。この詩語の構成は全く氣の利かない散文式で、近代詩として最も愚劣なものに屬する。近代詩の特色は、印象的、象徴的の強い效果に存するのだから、かかる概念的の説明風な此喩を排することは言ふ迄もない。思ふに佐藤君や南江君がそれを非時代的として難ずる所由は之れであらう。

 所が私としても、それ位のことは前から知つて居るのであつて、その常識のも一つ上に、別の新しい用意で――言はば或る獨創的な創造として――それを使ひ、以て「靑猫」の我流なスタイルを作つたのである。ではどんなに私がそれを使つて居るか? それは「靑猫」の中の詩をどれでも讀んでもらへばすぐ解ることであるが、此所に念のために用意の存する所を話しておかう。

 普通の形容としての「やうに」は、上述した如き説明の比喩にすぎない。「血のやうに赤い」といふ時、血といふ言語の働らく意味は、単に赤いの説明であり、この「血」と「赤」との間には、比喩としての聯想の外、何の必然不離の関係もない。然るに私の詩法に於ては、決してさういふ説明的形容詞を用ゐない。私のやり方ではこの「血」と「赤」とを、聯想的必然によつて結びつけ、兩者の関係を比喩でなく、一歩進めた象徴にしてしまふのである。

 此所で一寸、比喩と象徴との區別を述べておかう。たとへば櫻花は日本人のシムボルであるといふ時、この所謂シムボルはその實一種の比喩である。なぜならば櫻花の淡泊にして散り易き特性を、日本人の国民氣質と概念的に結びつけ、甲によつて乙を解説したものであるから。然るに夏の白晝を描くに燃ゆる太陽を以てし、勇氣を表はすに太く強き線を以てし、悲哀を現はすに弱き線を以てし、或はロマコマンチックな憧憬を描くに遠き地平線の圖を以て表現するのは、兩者の間に何の概念的説明がなく、甲の心像がそれ自ら乙の表象の上にぴつたりと氣分的に重なつてゐるから、之れは即ち比喩でなくして象徴といふべきである。

 そこで私の詩句法が、同棟にこの象徴の上に立つて居るのである。例をあげて説明しよう。今、かりに「夜」と題する詩が此所にあつて、それの闇黑の表象を先づ歌ふ必要があるとする。この時普通の形式句法は、何等かの比喩によつて夜の闇黑を形容する。たとへば「烏羽玉(ぬばたま)のやうな闇夜」とか「墨のやうに闇黑の夜」とか言ふだらう。而してこの「夜」と題する詩のテーマが、かりに夜の神秘的な恐怖を歌ふものだと豫定したならば、前のやうな形容詩句が何の意味をもつかを考へて見よ。この場合に「墨のやうに闇黑の夜」といふ詩句は、全然無意味な説明的の冗句にすぎない。なぜならば「墨のやうに」は、單に闇黑の比喩的形容にすぎないので、何等の表現的必然性をもつて居ない。もし墨の代りに烏羽玉(ぬばたま)を以てしても、詩的效果に於て變りはなからう。

 然るに此所で「墓穴のやうに闇黑の夜」と言へば、もはやこの詩句は比喩でなく象徴になつてくる。なぜならば「墓穴」といふ心像自身が、夜の神秘的な恐怖を以て直接迫つてくるからである。思ふにこの詩句の讀者は、先づ墓穴といふ詩語からして、一の主題的心像を感觸してくる。而して次の「闇黑の夜」がさらにその心像の上に重なつてくるのである。故にこの場合に於ては、墓穴と夜とは必然不離の関係をもつて一如となつてゐる。したがつて實際には、この「やうに」といふ連辭は必要がないのである。もし単語たけで書きたいならば、單に

  墓穴、闇黑、夜

と三語竝べただけでも好いのであつて、単に詩想を傳へる上では、それでも全く同じである。しかし詩といふものは、連辭のてにをはや言語の音律の響きによつて、主観のデリケートな情操を傳へるもので、そこに眞の複雜な意味と情趣とがあるのだから、單にボツボツの單語を竝べたのでは不完全だ。(世にはボツポツの單語を竝べて、それが印象的だと思つてゐる人がある。之れは印象といふ觀念を、皮相な視覺上の意味に解した結果で、最も笑ふべき謬見である。)

 も一つ適當の例をあげよう。室生犀星君の詩には、よく蜆(しじみ)といふユニツクワーヅが使はれてゐる。「蜆のやうな夕暮」「蜆のやうな悲哀」等である。或る人がそれを不思議がつて私に聞いた。一體蜆のやうな悲哀とはどういふわけでせう、悲哀がどうして蜆なんだらうと。かういふ疑問が生ずるのは、この「やうな」を文法的に解釋して、蜆を悲哀の形容語とし、それの寓意された比喩を解かうとするからである。これは比喩ではなく象徴である。冬の塞い裏街などで、氷つた溝水の中に棲んでる、あの悲しくかじかんだ蜆といふ魚介の聯想が、それ自ら作者の主觀する特殊の悲哀を象徴するので、その悲哀が即ち蜆、蜆が即ちその悲哀であり、兩者は全く一觀念に重なり合つてる。かういふ詩語を我々は「ぴつたりしてゐる」と言ふ。ぴつたりしてゐるといふことは、比喩を脱して象徴の域まで進んだ表現を言ふのである。

 比喩と象徴との區別は、これで大體解つたと思はれる。もし比喩ならば「やうな」は形容であり、普通の文法通りの意味に屬するけれども、象徴の場合の「やうな」は、もはや文法上の意味とはちがつてくる。前に室生君の詩句が解らないといつて不思議がつた人も、つまりこの「やうな」を文法通りの形容に解した結果である。では象徴の場合に於て「やうな」はどういふ意味を持つだらうか。もしそれが厭ひならば、前に言ふ通り除いてしまつて、單に個々の單語を竝べても好いのであるし、或はまた「烏羽玉の闇」式に、連辭「の」を以て「やうに」の代用にしても好いのである。然るに私が好んでこの「やうに」を濫用するのは、そこに私自身の特別な詩想的條件があるからである。先づ私の詩から一篇を引例しよう。

 

     題のない歌(靑猫九四頁)

  南洋の日にやけた裸か女のやうに

  夏草の茂つてゐる波止場の向うへ

  ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた。

  ふはふはとした雲が白くたちのぼつて

  船員の吸ふ煙草のけむりがさびしがつてる。

  わたしは鶉のやうに羽ばたきながら

  さうして丈(たけ)の高い野茨の上を飛びまはつた。

  ああ 雲よ 般よ どこに彼女は航海の碇を捨てたか

                           (以下略す)

 

 私がこの「やうに」詩體で、特殊なスタイルを作つたといふわけは、もちろん單にそれを象徴として用ゐたといふだけの話ではない。單に「墓穴のやうな闇黑」といふやうな詩句ならば、既に人々が普通にやつてることであつて、何の新しいことも珍らしいこともない。上説した所は、單に比喩と象徴との別を明らかにして、以下述べる所の前提としたにすぎない。

 さて此所に引例した私の詩で、最初の第一行に「やうに」が使はれてゐる。此所で私は

 

  南洋の裸か女のやうに

 

と言ひ、次に

 

  夏草の茂つてゐる波止場の向うへ

  ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた。

 

と續けてゐるから、文法上の解釋上からは、この「南洋の裸か女」といふ觀念が、當然「赤錆びた汽船」の比喩となつてゐるので、それが「やうに」の形容語で説明されてゐるわけである。しかしさう文法的に解釋しては、此等の詩に價値がなくなつてくる。何となれば此所では、この「南洋の裸か女」が、それ自ら獨立詩句となつて、さうした島の南國的情景を表象してゐるからである。つまりこの詩は、次のやうに言ひ換へたのと同じである。

 

  南洋の島に日にやけた裸か女が居る。

  そして夏草の茂つてゐる波止場の向うへ

  ふしぎな赤錆びた汽船がはひつてきた。

 

 これでよく解だらう。即ち「やうに」はこの場合「そして」といふ語と同じほどの意味をもつてる。ではなぜ「そして」と言ふ代りに「やうに」と言ふか、それを説明しよう。

 今、前の書き換へのやうに

 

  南洋の島に日にやけた裸か女が居る。

 

と切つて、次に

 

  夏草の茂つてゐる波止場の向うへ

 

とする時には、初めの第一行が印象的に獨立したものとなり、次行との間に詩情の濃やかなつなぎが切れてくる。その上にこの場合として、詩句が風物の自然的描寫になりすぎるのである。此所ではさうした島の風光を描くと同時に、或る縹渺たる主觀の情緒的氣分を出さねばならぬ。したがつて此の場合では、單純な風光描寫になつては困るので、一方にその景色の印象を暗示しながら、それと同時に主觀の情緒的節奏を傳へねばならないのだ。故に「そして」で次につながずして、「やうに」でぼんやりつなぐときは、描寫としての印象が弱くなる代りに、自然それが主觀の中にぼかされ、印象と同時に情緒、客觀と同時に主觀を匂はすことができるのである。

 あまつさへこの「やうに」といふ言葉の、妙に物柔らかい、そしてどこか薄ぼんやりした感じが、私の趣味として特別に好きなのである。すくなくともこの「題のない歌」の如き、或る神祕縹渺とした柔らかい情緒詩操をテーマとする詩では、とりわけこの「やうに」の薄ぼんやりした感じが適切なので、靑猫全卷を通じて、私がそのスタイルを用ゐた理由も此所にある。けだしあの詩集の中心的主題は、多くあの種の詩境にあつたから。

 要するに「やうに」は私にとつて一の狡猾なテクニツクで、そのやや曖昧な語感を利用し、二重三重の複雜な意味や氣分を、それでズルクぼやかしてしまふのである。もちろん一方では、それに文法通りの形容的意味をあたへてることは言ふ迄もない。尚、引例の詩の第六行目を見よ。

 

  わたしは鶉のやうに羽ばたきながら

  さうして丈(たけ)の高い野茨の上を飛びまはつた。

 

 この場合は一層直接である。ここで「鶉のやうに」と言つてるけれども、實の意味は形容でなく、鶉そのものが野茨の上を飛んでゐる景色である。ではなぜ直接に「鶉が羽ばたきしながら飛んでゐる」と言はないで、特に「私は……のやうに」などと餘計な形容をするのだらうか。言ふ迄もなく、自分の主觀的な氣分を書いて、それを客觀の情景と一所に結びつける必要があるからである。即ち次のやうに説明されたのと同じ。

 

  鶉は羽ばたきながら

  丈(たけ)の高い野茨の上を飛びまはつてゐる

  私の心もまたそのやうに

  草原の上をあちらこちらさまよつてゐる。

 

 かく四行で言ふ所を、簡潔に「私は……のやうに」で表現したのである。その他、靑猫の中の詩は、どれを取つても皆同じテクニツクが利用されてる。たとへば「輪廻轉生」と題する詩の最初の三行。

 

  地獄の鬼がまはす車のやうに

  冬の日はごろごろとさびしくまはつて

  輪廻(りんね)の小鳥は砂原のかげに死んでしまつた。

 

 この第一行における「やうに」が、單なる冬の日輪の形容でなく、輪廻における地獄の心像をあたへたものであることは明らかだらう。その他「さびしい來歷」で、

 

  私は駱駝のやうによろめきながら

  椰子の實の日にやけた核を嚙みくだいた。

 

等皆同じである。實に風景の中を歩いてゐるのは駱駝であつて私でない。しかもその「印象の影に」私自身がまた歩いて居る氣分を感じさせる手段である。

 思ふにこのスタイルは、大して獨創的のものではないかも知れない。私自身とした所で、ことさらそれを得意にしてゐるわけでなく、況んや自まんしようなどと思つてゐる次第では全くない。けれども普通の比喩的形容として用ゐられる、文法的常識の「やうな」とは多少ちがつた用法と信じてゐる。すくなくともそんな説明的の本質をもつて居ない。私は信ずる。すくなくとも最近以前の詩壇に於て、この種の形容詩句を象徴に使用した詩の無かつたことを。昔の詩句ではすべてそれが單純な比喩形容にすぎなかつた。だからどんな非難に於ても、私の「やうな」詩體を時代遲れといふのだけはひどすぎる。況んや幼稚なものと見るのは亂暴である。幼稚なものは單純な比喩形容で、私の靑猫スタイルではない筈である。もちろん佐藤君や南江君の指す所は、或は私に關しない別方面にあるのだらうが、表面上の責任はつまり私に歸するのだから、此所に自分の詩作用意を辯明しておく次第である。

 

[やぶちゃん注:『日本詩人』第六巻第十一号・大正一五(一九二六)年十一月号に後の二作「象徴の本質」「日本詩歌の象徴主義」とともに掲載された。後に「詩論と感想」(昭和三(一九二八)年二月素人社刊)に所収された。底本は筑摩版全集第八巻の校訂本文を用いた(校異を見る限り、「詩論と感想」版には表記上の誤りが多いため)。太字は底本では傍点「●」、三箇所の太字下線「ぴつたり」「てにをは」「ぼんやり」は底本では傍点「ヽ」。]

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