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2013/08/24

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 了


M218


図―218

 

 材木を切る斧は非常に重くて、我国のと同様に役に立つらしく思われる。刃は手斧(ちょうな)と同じく、柄に横についている(図218)。

[やぶちゃん注:この斧の絵は不審である。こんな斧は見たことがない。何か、モースは何か別な道具を勘違いしているのではあるまいか?]

 

 私が前に書いた薩摩芋を洗う男は、薩摩芋を煠(ゆ)でる店に属していることに気がついた。子供達はこの店に集って釆て、薩摩芋一つを熱い昼飯とする。店の道具は大きな釜二つと、奇麗に洗った芋を入れた籠十ばかりと、勘定台にする小さな板とで、この板の上にはポカポカ湯気の出る薩摩芋若干が並べてある。このような店が、全市いたる所にある。我国の都会でも、貧乏な区域で、似寄った店を始めたらいいだろう。日本の薩摩芋は、あまり味がしないが、滋養分はあるらしい。

 



M219


図―219

 

 葡萄が出始めた。色は薄綠でまるく、葡萄としては非常に水気が多く、味はいささか酸(す)い。よく熟していないように見えるが、咽喉がかわいている時食うと非常にうまく、おまけに極く安い。大きな房が、たった二セントか三セントである。葡萄を売る店はどこもみな、興味の深い方法でそれを陳列している。板を何枚か縦に置いて、それに何かの常緑灌木をかぶせ、この葉から出ている小さな木の釘に、葡萄の房をひっかける(図219)。笊(ざる)の葡萄は常緑樹の葉を敷物にしている。果物店は、季節季節の、他の果物も売る。先日、大学で講義をした後で、咽喉がかわいた上に、埃っぽい往来を長い間行かねばならなかったので、私は人力車の上で葡萄を食おうとした。如何に巧みに口に入れても、日本人は見つけて微笑した。多分野蛮人の不思議な習慣に就いて話し合ったことであろう。

 


M220


図―220

 

 この国の魅惑の一つに、料理屋とお茶屋とがある。給仕人はみな女の子で、挙動はやさしく、身なりはこざっばりしていて、どれも頭髪を品よく結っている。図220は流行のまげを示している。時々弓形の褶曲(しゅうきょく)曲が垂直に立っていて、より大きな褶曲が上にのっているのを見ることもある。

[やぶちゃん注:「褶曲」原文は“folds”。石川氏は地質学の褶曲で訳された。確かに見た目の印象はそれで美事な訳であると思われる。ただ私はモースの専門(特に中でもシャミセンガイ)から見ると、彼には“fold”の持つところの蛇のとぐろの意――いや――解剖学上の襞(ひだ)・褶襞(しゅうへき)がイメージされているように秘かに感じているのである。]

 

 東京のような広い都会で、町や小径が一つ残らず曲っていて狭い所では、最も詳細に教えて貰ったにしても、ある場所を見出すことは殆ど不可能である、チャプリン教授と私とが、あの面白い籠細工の花生けをつくる男をさがそうとした時には、車夫達が全力をつくして、たっぷり二時間はかかった。その最中に、我々は広くて急な長い石段に出喰わしたが、その上から東京がよく見えた。この大きな都市を見渡して、その向うに江戸湾の海運を眺めた所は、誠に見事だった。煙筒(えんとつ)は一本もなく、かすんでさえもいない有様は、煙に汚れた米国の都会に比して、著しい対照であった。勿論風も無かったのである。風の吹く日は非常に埃っぽく、万事ぼやっとなる。急な坂をのぼり切ると、低い小舎がいくつかあり、ここで休息して景色に見とれ、奇麗な着物を着た娘達の出すお茶を飲む。私は一人の娘に頭の写生をすることを承諾させた。有難いことに、遠慮を装ったものか、あるいは本当に遠慮したのか、とにかく向うを向いたので、私は彼女の頭髪を立派に写生することが出来た。

[やぶちゃん注:出版上、底本の平凡社東洋文庫版はこれを以って「日本その日その日 1」が終わる。私はこの章の広角のロング・ショットのエンディングが殊の外、好きだ。ここには僕らが忘れてしまった。日本が――確かにある――と感ずるからである。]



これを以って「
日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活」が終わった。次回からは遂に、冒頭から本格的な「日本その日その日」の完全やぶちゃん注釈附テクスト化へ入る。――これは確かに――僕の大きな――そして孤独な――自己拘束(アンガジュマン)に他ならない――

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