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2013/08/08

耳嚢 巻之七 久野家の妾死怪の事

 久野家の妾死怪の事

 貮三代以前安永の比(ころ)迄勤(つとめ)て予も知る久野某妻を迎ひけるに、或日夫は夜咄(よばなし)に出て妻は閨に臥し居(をり)しに、月洩(もれ)なく障子をてらす。怪しき顏の移りければ、眼さめて何もの成哉(あるや)と聲かけければ、有無の答なければ起出て障子を開きしに、壹人の女緣に下りんとせしに、追て出、誰なる哉(や)と髮をとらへしに、ゆかにて候といゝしを、右髮は殘(のこり)、形はかき消失ぬ。彼妻右髮を仕廻置(しまひおき)て、夜更(ふく)る比夫歸りて閨に入りし時、御身はわらはの不參ら(まゐらざる)以前、召仕ひの妾あるべしと尋しに、未(いまだ)妻の來りて程なければ、曾て左樣の者なかりしといなみ答へける。左(さ)なの給ひそ、ゆかといへる召仕(めしつかひ)なん有(あり)しと尋(たづね)けるに、夫も驚きて、何故さること尋ぬるやといゝし故、ありし事共委しく語り、彼髮を取出し見せて跡を念比(ねんごろ)に弔ひ給ひてしかるべしと申けるにぞ、夫も利に伏して佛事等なしける。

□やぶちゃん注
○前項連関:本格霊異譚四連発。
・「久野某」底本鈴木氏注に久野孝助(宝永七(一七一〇)年~安永五(一七七六)年)かとする。延享元(一七四四)年御勘定、宝暦八(一七五八)年御金奉行、安永三(一七七四)年御蔵奉行で、二年後に享年六十七歳で亡くなっている(根岸は元文二(一七三七)年生まれであるから二十七歳も年上であるが、根岸が二十一で宝暦八年に勘定所御勘定になっているから、そこで接点があったか。彼は久野『孝辰の女に入夫したが、死別して幸田氏の女を後妻に迎えた。この後妻と家付き娘の先妻とにまつわる話であろう』とされているが、岩波版で長谷川氏が不審とされているように、だとすると本文の「妾」「召仕ひの妾」という設定は如何にもおかしい。「卷之七」の執筆推定下限は文化三(一八〇六)年であるから死後三十年も経っており、「召仕ひの妾」という設定からも久野自身から聴いたものとは思われない。後日に変形された都市伝説の類であろう。しかし、新妻の度胸も優しい心根もよく描けているにも拘わらず、新妻を置いてまで夜咄の茶事に出向く久野の人柄や、ひいては亡くなったという召使いの妾の死因など、如何にも変形が不全で、不満が残る。私のような者でももっとしみじみとしたものに仕上げるであろう。新妻の表情が豊かであるだけに惜しい気がする。
・「迎ひけるに」底本では右に『(ママ)』注記を附す。
・「夜咄」夜咄の茶事(ちゃじ)のことか。茶事七式の一つで、炉の季節に午後六時頃から行われる茶会をいう。
・「利に伏して」底本では「利」の右に『(理)』と訂正注を附す。

■やぶちゃん現代語訳

 久野家の妾(めかけ)の死霊(しりょう)の怪の事

 二、三代も前のこと、そうさ、安永の頃まで勤めて御座って、私も存じて御座った久野某(なにがし)殿の話で御座る。
 久野殿が嫁を迎えられた。
 ある日の夜(よ)、夫は夜話の茶事に招かれ、妻は閨にて臥しておられたが、未だ目覚めてはおられたと申す。
 月が隈なく障子を照らしてだしておる晩で御座った。
――ふと
障子に妖しき人の顔型の動いたによって、妻女は即座に起き直り、
「何者かッ!」
と声を掛けた。
 しかし、答えがない。
 されば、起き上がって障子に走り寄り、
――タン!
と素早く開けてみたところが
――一人の女が
――今にも縁を降りんとして
御座った。
 されば直ぐに出でて追いかけ、
「誰(たれ)なるかッ!」
と咄嗟に髪を摑んで誰何(すいか)致いた。
――と
「……『ゆか』で御座います……」
と答えた――かと思うたら
――妻女の摑んだ髪をだけを残し
――かき消えてしもうた。
 妻女は、暫く凝っと、その手の内に一房残った髪を見つめ御座ったが、何か思いついたように、懇ろにその髻(たぶさ)を仕舞いおいた。
 夜更くる頃になって、夫が帰って閨に入ってまいった折り、妻女はやおら起き直り、静かに夫に向(むこ)うて、
「……あなたさまには……妾(わらわ)の嫁に参らざる以前……誰(たれ)ぞ、召し遣(つこ)うておられた女で……睦まじゅうなさった者が……これ、おありになったのでは御座いませぬか?……」
と訊ねた。
 されど、いまだ新妻の来てほどなき頃で御座ったゆえ、久野殿は、
「……いや。――かつてそのようなことは、これ、御座らぬ。」
と否んだ。
 するとしかし、
「……そのような頑なな言いはなさいまするな。……『ゆか』と申す召使い――これ――御座られたでしょう。……」
と名ざしたによって、久野殿は正直、吃驚仰天致いて、
「……な、何故(なにゆえ)……そ、そのようなことを……た、訊ぬるか……」
とおどおどして反問致いた。
 されば妻女は、今宵御座った怪事をこと細かに語り、先に仕舞いおいた髻(たぶさ)を取り出だいて見せ、
「……どうか亡くなられたそのお方を――懇ろに弔(とむろ)うてあげて下さいませ。――」
と申し出たによって、久野殿も理に伏し、かの亡き妾(めかけ)のために懇ろに供養致いたとのことで御座った。

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