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2013/08/21

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 6 モースの加賀屋敷第五番の家


M198

図―198

 

 今や私は加賀屋敷第五番に、かなり落着いた。図198は、私が住んでいる家を、ざっと写生したものである。これは日本人が建て、西洋風だということになっている。急いでやったこのペン画は、本物の美しい所をまるで出していない。巨大な瓦屋根、広い歩廊、戸口の上の奇妙な日本の彫刻、椰子(やし)、大きなバナナの木、竹、花の咲いた薔薇等のある前庭によつて、この家は非常に人の心を引く。家の内の部屋はみな広い。私が書簡室即ち図書室として占領している部屋は、長さ三十フィート幅十八フィートで高さは十四フィートある。これがこの家の客間なので、これに接する食堂とのしきりは折り戸で出来ている。床には藁の莚を敷いて、家具を入れぬ情況の荒涼さが救ってある。夜は確かに淋しい。頭の上では鼠が馳けずり廻る。天井は薄い板に紙を張った丈なので、鼠は大変な音をさせる。床は気温の変化に伴って、バリンバリンといい、時に地震があると屋根がきしむ。そして夜中には、誰でも、確かに歩廊を私(ひそ)かに歩く足音が聞えたと誓言するであろう。だが、私は押込み強盗や掏摸(すり)等のいない、異教徒の国に住んでいるので、事実、故郷セーラムの静かな町にいるよりも、遙かに安心していられる。

[やぶちゃん注:「椰子」原文“palms”であるが、これは棕櫚と訳すべきところであろう。単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科シュロ属 Trachycarpus のワジュロ(和棕櫚)Trachycarpus fortunei か、トウジュロ(唐棕櫚)Trachycarpus wagnerianus であろう。ウィキの「シュロ」によれば、ワジュロは『日本では九州地方南部に自生する。日本に産するヤシ科の植物の中ではもっとも耐寒性が強いため、東北地方まで栽培されている』とあるし、トウジュロの項には『中国大陸原産の帰化植物で』あるが、『江戸時代の大名庭園には既に植栽されていたようである』ともあるから孰れの可能性もある。

「バナナ」原文も“big banana plant”とあるが、単子葉植物綱ショウガ亜綱ショウガ目バショウ科バショウ Musa basjoo と思われる。図―198の玄関の向かって右側に描かれている。

「長さ三十フィート幅十八フィートで高さは十四フィート」客間は長辺が約9・1メートル/幅約5・8メートル/高さ約4・3メートルで、すこぶる広い。モースが自慢したくなるのも尤もである。

「故郷セーラム」原文は“my quiet town of Salem”。モースの生地はメイン州ポートランドであることを知らない読者には「故郷」という訳はやや問題があるように思う。モースは一八六七年、二十九歳の時に三人の研究仲間とともにマサチューセッツ州エセックス郡セイラムに「ピーボディー科学アカデミー」(一九九二年以降はピーボディ・エセックス博物館。名は寄附と援助をしてくれた銀行家で慈善家でもあった George Foster Peabody に因む)を開き、そこで一八七〇年まで軟体動物担当の学芸員を務めたが、一八六八年にこのセイラムに終生の家を構えている(このデータはウィキエドワード・S・モースに拠った)。「故郷アメリカの、静かなセーラムの町」「住み馴れた懐かしの静かなセーラムの町」ぐらいが穏当であるように思う。]

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