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2013/08/11

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第七章 江ノ島に於る採集 27 嵐の中と後の人力車強行軍

 大学から手紙が来て、月曜の朝九時、他の教官達と教課目の時間割に就て、相談してくれとのことであった。私は日曜の正午に東京へ行く積りであったが、ハミルトン氏と彼の友人とが突然実験所を見に来て、そしてハミルトン氏は稀重な標本を瓶に詰めることを手伝うと約束し、私を晩方まで江ノ島に止るようにして了った。で、晩に出発し、十七マイルを横浜まで歩くことにしたが、これは五時間かかる。晩になると大風で、我々はそれがやむのを待って十時までいた。然し、やむ所(どころ)か、風は暴力を増す一方であった。我々は向う側が流されていたことを承知しながらも、狭い橋を渡りかけた。下では波が凄い勢で狂い廻っている。末端まで来て我々は舟を呼んだが、この風ではどんな舟でも浮いていることは出来まい。徒渉しようかとも思ったが、十七マイルを、砂と水とで一杯になった靴で歩くことを考えて、やむを得ず引き返し、明朝三時もう一度やって見て、人力車で横浜へ行くことにした。私の英国人の友達は岸に近い宿屋にいたが、我々が一緒に出立出来るように、私にもその宿に泊れとすすめた。私は夜中、何度も何度も起き上った。第一回は合奏している犬に石をぶつける為に起き、次には雨戸を通して雨を吹き込む烈風を避けて、畳の上に新しい場所を見つける為に起きた。階段を下りると、家族の人達が床のあちらこちらに寝ているのが、薄暗いたった一本の蠟燭の光で見えた。この部屋は時代と煙とで黒く、外見は野蛮人の小舎みたいだった。階上の客間は、これも年代の色にそまっていはするものの、遙かに上等である。極めて僅か眠ったばかりで、おまけに私は、日本へ来て最初の風邪を引いたが、我々は三時には用意して出かけた。朝食はトースト・パン一片とお茶一杯とであった。私は鞄と、こわれやすい標本の大きな包みと、それから風が強くて頭にのせていられない大きな日除帽子とを、持って行かねばならなかった。風は我々が台風突風と称する吹き様で襲い、波は橋板の間からとび上り、また橋板の上を越した。前に橋を渡ることが困難だったとすれば、今は、より多くの橋板が流されたので、不可能事だった。橋は揺れ、まっ暗なので、時々我々ははらん這いになって、向うの板を手さぐりにさぐらねばならなかった。風と波との音で、我々はお互に何をいつているのかまるで聞えず、そして我々は海水で膚まで濡れたが、幸い水は温かく、空気は暑かった。如何にして私が荷物を持って橋を渡ったかは、いまだに神秘である。私は橋の全長を、文字通り一インチずつ這って歩いたので、末端まで来て見ると、波は長さ三フィートでさかまいていた。我々は声をそろえて、嵐の中で我々を待っていた、人力車夫を呼んだ。やっと聞えると、彼等は波浪の間を辛じてやって来た。非常に困難したあげく、我々は彼等の肩に乗り彼等はヨロヨロしながらも、どうやらこうやら我々を、水の中でなく、陸地に投り出した。それから長い間、木製の雨戸をしっかり締め切った家があり、道路で犬がねている、静かな村々を通って、人力車は走った。風は竹の林をヒユーヒユー鳴らしている。ある村では夜廻りが、時々太鼓を四つずつ叩いて廻っていた。四時であることを示していたのである。日出は実に素晴しかった。こんなに鮮かな赤の色は、かつて見たことがない。風がこれ程烈しいのに、恐ろしく暑いのは不思議だった。我々は十七マイルを通じて、上衣を脱いだ儘でいた。六時三十分、我々は横浜のさきの神奈川に着き、ここで私は東京行きの汽車に乗って、ついに集合時間迄に大学へ着いた。三時、私は暑いさかりの太陽を頭上にいただいて、江ノ島へ向けて帰途についた。

[やぶちゃん注:明治一〇(一八七七)年八月は二十六日が日曜日で、二十七日が月曜である。この比較的長い一段は従って八月二十七日の未明御前三時から同日の午後三時までの描写である。ここでも幻の桟橋が描写されいる。

「ハミルトン氏」磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の注(三二八頁)によれば、『日記によると、日本に来る船で一緒だった人物で、横浜に住んでいた』とあるが、突如肩書もなしに出るものの、「日本その日その日」の先行部分には登場していないように思われる。本段の後文では「私の英国人の友達」とも表現している。彼らの来訪は前日の八月二十六日で、その夜から台風になった。

「十七マイル」27・4キロメートル。初めの頃の記載ではモースは江の島・横浜間を「十八マイル」としていた。以前にも注したが、現在の地図上で国道一号線上を藤沢まで辿って江の島に向かうと約27・5キロで、ここでは極めて精緻な数字が示されていることになる。

「岸に近い宿屋」これはその後の描写(客間を上等とモースが評している点)などから見て、創業三百五十余年(公式サイトのトップ)の現存する恵比寿屋と考えられる。

「3フィート」約90センチメートル強。

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