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2013/08/22

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第八章 東京に於る生活 13 浅草界隈逍遙

 友人と一緒に浅草にある大寺院を訪れた。第一回に行った時のことは、この日記の、前の方のページに書いてある。加賀屋敷から歩いて行って一マイル位であろうが、途中いろいろと見る物があったので、二時間かかった。私は一軒の古本屋で、動物その他の威勢のいい写生図を、一枚一セントで買った。寺院への主要大通りの両側に、子供の玩具を売る店が立ち並んでいるのは、見ても面白い。広い階段は子供が占領して、人形と遊んだり、泥饅頭(まんじゅう)をつくつたり、遊戯をしたりしていた。お寺は一週間七日を通じて、朝から夜まで、礼拝老の為にあけてある。その裏には手奇麗につくつた長い廊下みたいなものがあり、ここでは弓矢で的を射ることが出来る。ある場所には鳩、やまあらし、猿その他の動物の見世物があった。非常に利口そうな猿が竿のてっぺん迄登つて行き、登り切ると、登りながらつかんでいた縄についている籠を手ぐり上げた。猿が下りて来た時、私は彼と握手をしたが、彼は私の手を引っ張り、おしまいには両足を私の掌に入れて、数分間、如何にも満足したように大人しくしていた。猿の手の触感は子供のそれと全く同じで、あたたかくて、すこし湿っていた。指の線も人間のと同じで、多分我々同様、一匹一匹違っているだろう。猿の見世物の次に、我々は蠟人形を見に行った。私はこの人形で見たような、勢と熱情を、米国では絵でも彫刻でも見たことがない。男の人形は、実に極悪非道な顔をしていた。ある一つは特別に醜悪だった。それは襤褸(ぼろ)を着た不具の老乞食が、車にうずくまっているのを、同様にぞっとするような、もう一人の乞食が、引いている所を見せていた。また蠟人形が踊り廻るように出来ている人形芝居もあった。ある一場面でほはお姫様が七尾の狐に変化したが、この演技に関する話を物語る老人を見詰めることも、舞台上の口をきかぬ人形を見るのと同様な研究であり、おまけにオーケストラの立てる、途方もない音や、拍子をやたらに変える所は、私がそれ迄耳にした如何なるものとも丸で違っていた、。お姫様は玉座みたいなものに坐り、その周囲には等身大の人形がいくつか、今にも恐ろしいことが起るぞというような表情で集っていた。突然玉座が真中から割れ、お姫様が.バラバラになって姿を消すよと見る間に、尻尾が七つある巨大な狐となって現われ、とても物凄い有様で牙を喰いしばりながら舞台をうろつく。この狐は実によく狐に似ていた。私は日本の俗説を知らないので、いろいろな人形がどんな意味を持っているのか、とんと判らなかったが、それ等の持つ力と表情とによって、日本の芸術家が絵画に於る如く、彫刻にかけても偉いということを知った。

[やぶちゃん注:浅草寺からあやしげな裏手へ――矢場女の嬌声――凄惨な生き人形のモンストロム――九尾狐は人形芝居「玉藻前」か――猿回し猿の手を細かく観察している生物学者モース先生――初めて見る異人さんの掌の中に足を突っ込んで陶酔の表情のお猿さん……なんてキッチュで素敵なシークエンスであろう!

「第一回に行った時のことは、この日記の、前の方のページに書いてある」「第四章 再び東京へ」に浅草寺を訪れた叙述がある。

「その裏には手奇麗につくつた長い廊下みたいなものがあり、ここでは弓矢で的を射ることが出来る」矢場である。ウィキに、『東京へは明治初年に浅草奥山(浅草寺の西側裏手一帯)に楊弓場が現れ、一般には「矢場」と呼ばれ広まった』。『店は競って美人の矢取り女(矢場女・矢拾い女)を置き、男たちの人気を集めた。矢取り女は射った矢を集めるのが仕事だが、客に体を密着させて射的方法を教えたり、矢を拾う際に足を見せたりして媚びを売った。戯れに矢拾い女の尻にわざと矢を当てる客もあり、それをうまくかわす女の姿がまた客を喜ばせた。店裏で売春もし、客の男たちは女の気を引くために足繁く通い、出費で身を滅ぼす者も出た。しかし、次第に値段の安い銘酒屋にその人気を奪われ、明治中期以後急速に衰退した』。『東京では関東大震災の影響もあって、昭和に入る頃には楊弓場・矢場は姿を消したという』とある。]

 

 大変な景気で相撲をやっていたので、我々は一時間見物したが、これは前に見たのより、遙かに面白かった。相撲取は年も若く、前に見た連中みたいに太っていず、手に汗を握らせるような勝負をやり、高くはね飛ばしたりした。彼等の準備的運動、特に手を膝にのせて先ず片脚を、次に別の脚をもち上げ、固い地をドサンと踏むその莫迦げ切ったやり方は、実に面白い。それからお互にしゃがみ合って、取組合いを始めると、何故だか私には判らぬ理由によって審判官にとめられ、そこで又初めからやりなおす。私は一日中見ていることさえ出来るように思う。

[やぶちゃん注:「前に見た」磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」によれば、モースは来日(明治一〇(一八七七)年六月十七日)直後、六月二十一日モースは初めて東京帝国大学法理文三学部を訪問したその日の午後、理学部数学教授ホーレス・E・ウィルソン教授と一緒に早くも相撲を見物している。それは本書の「第一章 一八七七年の日本――横浜と東京」にも叙述されている。]

 


M208
図―208

 

 横手の小さな寺院で、我々は不思議な信仰の対象を見た。それはゴテゴテと彫刻をし、色をぬった高さ十フィートか十五フィート位の巨大な木造の品で、地上の回転軸にのっている。その横から棒が出ていて一寸力を入れてこれを押すと、全体を回転させることが出来る。この箱には、ある有名な仏教の坊さんの漢籍の書庫が納めてあり、信者達がこれを廻しに入って来る。楽にまわれば祈願は達せられ、中々まわらなければ一寸むずかしい。この祈願計にかかっては、ティンダルの議論も歯が立つまい! 図208にある通り、私もやって見た。

[やぶちゃん注:所謂、輪堂式のマニ車であるが、これがどの寺のものなのか不明。かなり大きなもの(高さ3~4・6メートル)であるが現存するのだろうか? 調べ得なかった。識者の御教授を乞うものである。

「ティンダルの議論」原文は“Tyndall's arguments”。よく分からないが、このティンダルとはイギリスの聖書英訳者で宗教改革者であった William TyndalTindalTindale とも綴る 一四九二年?~一五三六年)のことか。平凡社「世界大百科事典」によれば、人文主義の影響下に聖書の英訳を志し、ケルンとウォルムスで一五二五年に英訳新約聖書を出版、これがイギリスに密輸入されてトマス・モアとティンダルの間で宗教改革を巡る論争(一五二八年~三二年)が展開されたが、この間にも旧約聖書の「モーセ五書」と「ヨナ書」を英訳・出版した。しかし神聖ローマ帝国の官憲によって異端としてブリュッセル近郊フィルフォルドに於いて監禁・処刑された。彼の英訳聖書は一五三九年の「大聖書」及び一六一一年の「欽定訳聖書」の基礎となったとある。しかし、ここでモースが洒落た意味はそれ以上分からない私には依然不明である。識者の御教授を乞うものである。因みに、底本の「1」の巻末にある藤川玄人の解説によれば、『モースの父親は厳格なピューリタン的人物で、生来自由奔放な息子とは肌が合わなかった。父親が教会に行くように命じても、彼には教会が幸せを与え、魂を救ってくれる場所だとは信じることができなかった』とあり、モースは一八九五年三月六日の日記に『「神は我われに、微笑め、と言う。だが教会には陰鬱さが漲(みなぎ)っている。一方、自然は、花は、みな微笑み美しい」と』書いているとある。これが一つのこの箇所を読解するヒントとなっているようには私には感じられる。]

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