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2013/08/20

パイの歌 三首 中島敦

    パイの歌
  

  
 

  
日曜の朝はのどかにパイ食はむかの肉厚きアップル・パイを



ふくろかにひろごる雲を見上げつゝ朝(あした)のパイを食へば樂しゑ



日曜のパイを大きみチビの顏クワンクワンだらけになりにけるかも



[やぶちゃん注:日曜の朝にアップル・パイを囲む幸せで長閑な家族の団欒……私はおよそアップル・パイなるものを少年期に食った記憶などない。実に中島敦の短歌群は、まっこと、今までの専ら「山月記」を中心とした小説群によって(少なくとも私の中に)形成されてしまっていた彼のネガティヴなイメージが音を立てて崩れてゆく。――いや、それは一種の驚愕とともに爽快感さえ伴うものなのである。
  

「クワンクワン」の後半は底本では踊り字「〱」。この「くわんくわん」は道浦俊彦とっておきの話の『ことばの話1902「くわんくわん」』によれば、口の周りに食べ物がべっちゃりと着いていて、食べたのか食べてない(食わん)のか分からないくらいに汚れているという意味らしい(この「食わん」(食べていない)語源説は記載者の説と思しい)とあって、神奈川県高座郡の方言とする。同記事には他にも東京生まれ東京育ちと思われる方の、『主に小さい子供に対して言ったりするのですが、アイスなどを食べた後、口のまわりがべちゃべちゃな状態を「ほおら、お口のまわりが"くわんくわん"よ」なんて言いませんか?私はいつの頃からか何の違和感も無く使っていたのですが、先日、職場で意味の通じない人に遭遇し「へ?」と思い、まわりの席の人にリサーチしたところ半分くらいの人が知らないのです。焦って国語辞典をひいても載っていない。古語辞典にも無い。もしかしてこれは方言なのでしょうか?』という引用、関東地方の人物によるとする、『お坊さんが小僧さんに「ボタモチを食べてはイケナイよ」ときつく言って出掛けました。でも小僧さんはついつい食べてしまいました。「怒られたらどうしよう」と思った小僧さんは、お皿に残ったアンコを仏さまの口の周りになすりつけました。お坊さんが帰って来て「ボタモチを食べたな!」と怒ると、小僧さんは「私ではありません!仏さまがお食べになりました!ほら、口のまわりにアンコが!」と言い逃れました。お坊さんは「それは、いけない仏様だ!」と言って、手に持った杖で仏像の頭を叩きました。すると仏像が「食わん食わん」(擬音語)。これが転じて、口のまわりに食べ物を食べた証拠が歴然としている場合に、擬態語として「くわんくわんだよ」「くわんくわんになってる」などと使う。』という(ややまことしやかな)具体的出典説も示されている。さらに岡島昭浩氏のBBS「ことば会議室」の書き込みからの引用で、『両親が千葉・東京出身で、ご自身東京育ちの方からのメールで「口の周りを汚して食べると『お口、くわんくわんにしちゃ、だめよ』といわれた。しかし、辞書にはない」とのこと。「くわんくわん」は私自身は使いませんが、特にあんこなどを口の周りにつけているときに言うのではないでしょうか。(それは「く餡く餡」かもしれませんが。)「くわんくわん」の話、どこかで読んだか聞いたかしたと思うのですが、忘れてしまいました。くわしいことをご存じの方はいられませんか。』という質問に対する答えとして、Yeemar 氏が「朝日新聞」(二〇〇〇年十一月五日附日曜版五頁)の大森美紀子「気分は大家族」の記事に出てくる「くわんくわん」を紹介しつつ、『「くわんくわん」とは何か?とろろを食べる時、うまく食べられなくて口の周りにとろろが付いてかゆくなってしまう状態のことです。「くわんくわんにならないように気をつけなさい」とか、「あ~、くわんくわんになっちゃった~」とか。なぜか、とろろの時にしか使いません。』と。大森さんは東京のご出身のようです。その後の編集部の補足によれば、「納豆、あんこがついた時」「黄な粉、お汁粉などを食べた後」にも使うとの投書があった由。特に東京出身の方が多かったそうで、「東京の「方言」なのかも知れませんね」とまとめています(2000.11.12)。また、語源についても投書が寄せられ、〈小坊主が、仏像の口の周りに餡こをつけて、ぼたもちの盗み食いを逃れようとしたが、和尚が仏像をたたくと『くわーん、くわーん』と音がした〉という話からではないか、という説が「ほとんど」(2000.11.19)。私もそれを連想したのでした。民間語源?』と述べておられる由、記載がある。私も所持するあらゆる辞書を調べて見たが出て来なかったので、この記載にはまさに目から鱗であった(因みに、BBS「ことば会議室」の元の当該記事はこちら)。【2013年8月22日追記】――公開直後に横浜在住の教え子から貰ったメール(改行部に/)――『懐かしいです……。僕は「くわんくわん」を遣います! 正確に言うと、昔、ごく普通に遣っていました。口の周りを食べ物(主に納豆やとろろなどのゲル状のもの)で汚したままにしているとき、「くわんくわんがついてるよ」などと言いました。/母が遣っていたはずです。父が実際に遣ったかどうかは憶えていませんが、間違いなく語彙として持っているはずです。母は横浜で生れて育った人間ですが、家は私の祖父母が若かった頃に博多から出てきました。ふたりとも同じ村の出身です。その関係で母の疎開先は博多の郊外でした。祖父母は博多方言を、話そうと思えば話せました。母も博多方言を聞き取れましたし、少し話せました。/父の家はもともと関西だったようですが、祖父母の代から完全に横浜の人間です。父は完全に横浜言葉です。/僕の両親はどういう経緯でこの語彙を持つに至ったか。おそらく幼い頃からの横浜暮らしが背景にあるのではないかと思いました。/中島敦に思いがけない贈り物を貰ったような気がします。妻は、両親が長野出身で、ごくたまに語彙とアクセントが僕と食い違います。以前、「くわんくわん」を子供に話しかけたら、横から「それって何?」と言われ、何か哀しい思いをしました。それ以来、僕はもう遣う機会がなくなっていたのです。中島敦に手を引いてもらって、昔の横浜に帰ったような気がしてとても嬉しく、思わずメールを書きました。』因みに彼からの追伸で、この「くわんくわん」は「くゎんくゎん」ではなく、あくまで「くわんくわん」である、と述べている。これは拗音ではないとする非常に大事な主張(使用実例)であるので(私はこの中島敦の一首を見ながら、またそれぞれの方の議論を管見する中で、それが一番気になっていたので特に追記しておきたい。]

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