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2013/09/15

Mes Virtuoses (My Virtuosi) シュメーを聴く 六首 中島敦   

    シュメーを聽く

 

女めかぬ音の強さやシュメー今腕をあらはにひた彈きに彈く

 

美しき腕にはあれどアレグロを彈きゐる見れば逞しと思ふ

 

日本のヷイオリニストのだらしなさシュメー聞きつゝしみじみと思ふ

 

盲人(めしひびと)宮城道雄の手をひきて禮(ゐや)するシュメー女(をみな)なりけり

 

「春の海」の琴にあはせて彈くシュメーなほ宮城氏をいたはるが如し

 

いさゝかに益良雄めけど立派なる顏とは見ずやシュメーの顏を

 

[やぶちゃん注:「シュメー」フランスのヴァイオリニストのルネ・シュメー(Renée Chemet 一八八八年~?)。これは恐らく昭和七(一九三二)年に来日した際のもので、この時、シューメは宮城道雄の「春の海」(昭和五(一九三〇)年歌会始の勅題「海辺の巖」に因み前年に作曲)を聴いて非常に気に入り、一夜でヴァイオリン合奏に編曲、そのSP版を録音している(日本ビクター原盤で後に米・仏でも発売されて世界的な名声を得た)。当時のシュメーの演奏について、小説家野村胡堂(音楽評論家「あらえびす」名義)は『シュメーのヴァイオリンは、そのフランス人らしい豊満な美貌と同じほどに妖艶なものであった。媚態という言葉は不穏当だが、少くともシュメーの演奏に接するものは、なんかしら、むずむずするような、極めて官能的な感銘を受けたものである。(中略)宮城道雄の琴と合奏した『春の海』は宣伝ほどは面白いものでない。この曲はむしろ、宮城道雄の琴に、吉田晴風の尺八で合奏したレコードの方が遥かに面白い。』(あらえびす「名曲決定盤」中央公論社、昭和一四(一九三九)年)と記している(Loree 氏のブログ「酒・女・歌」の春の海(宮城道雄/シュメー編曲)より孫引き)。その演奏と録音についてはピアニスト吉田秀晃氏のブログの宮城道雄(シュメー編):春の海に詳細を極める。同リンク先でも聞けるが、同氏がアップした最も正統なる同SPの非常にクリアーな全曲を宮城道雄:春の海 シュメー Chemetで聴くことが出来る。なお、この来日時にシュメーは四十四歳(因みに宮城道雄(明治二七(一八九四)年~昭和三一(一九五六)年)は三十八歳)であったが、その帰国後の消息は不明とする記事が多く、フランス語でフランスのサイト検索しても纏まった記事が見当たらない(四十四歳で事故死したかのように書かれたものもある)が、吉田氏の記事の中に、戦後の昭和三一(一九五六)年十一月三日附『読売新聞』の作家村松梢風の書いた本記SP録音に纏わる記事の中に昭和二八(一九五三)年に『パリでシュメーと宮城は再会し、懐かしい昔話をした』という記載があると記されてあるという(宮城は同年夏にフランスのビアリッツとスペインのパンプロナで開催された国際民族音楽舞踊祭に日本代表として渡欧している)、これが正しいとすればシュメーは少なくとも六十五歳までは健在であったことが分かる。彼女の写真はアメリカのヴァイオリニスト Emily E. Hogstad 嬢のサイト“Song of the Lark”の“women composersを。このエミリー嬢のキャプションを見るとシュメーは「フランスのクライスラー」とも称された事実が分かる(なお、私は妻が宮城流の琴を弾く関係上、苦手な邦楽の中でも宮城道雄は例外的な思い入れがあることを述べておきたい。このシュメーの注も、ただのネット検索のパッチ・ワークなんどではなく、そのような確かな興味関心の産物として書いたものと――私は普段の如何なる注でもそのような安易な思いでは注していないという点に於いても――お考え戴きたいということである)。]

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