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2013/09/17

Mes Virtuoses (My Virtuosi) ケムプを聴く 七首 中島敦

    ケムプを聽く

 

大いなる翼ひろげしピアノの前ケムプしづかに心澄ましゐる

 

      新響とのコンチェルトなりければ

 

管絃樂(オーケストラ)今か終らむ第一指を下(おろ)さんとするゆゝしき構へ

 

まなこ閉ぢべートーベンを彈(たん)じゐるケムプの額(ひたひ)白くして廣き

 

いく年(とせ)を專(もは)ら彈けばかその顏もべートーベンに似たりけらずや

 

フォルティスィモ ケムプ朱を灑(そそ)ぎ髮亂れ腕打ちふりて半ば立たむとす

 

      Mozart Klavier Konzert, D minor

 

若き日のモツァルトの夢華やかに珠玉(たま)相觸れてロマンツァに入る

 

オーボエとヴィオラの間(ひま)を隱れ縫ひピアノ琳々(りんりん)と鳴りの高しも

 

[やぶちゃん注:「ケムプ」ドイツのピアニスト・オルガニスト、ヴィルヘルム・ケンプ(Wilhelm Kempff 一八九五年~一九九一年)。ベルリン音楽大学でピアノと作曲を学び(彼は作曲家を自身の本来の仕事と考えていた)、さらにベルリン大学で哲学と音楽史を修めた。一九一七年にはピアノ組曲の作曲によりメンデルスゾーン賞を受賞、一九一八年にニキシュ指揮ベルリン・フィルハーモニーとベートーヴェンのピアノ協奏曲第四番で協演、シュトゥットガルト音楽大学学長を務めた後(一九二四年~一九二九年)、一九三二年、ベルリンのプロイセン芸術協会正会員となってドイツ楽壇の中心的役割を担うようになったが、第二次世界大戦中のナチス協力の経歴から戦後は一時期、活動を自粛したが、再活動後は特にベートーヴェンの演奏録音で知られる。同時代の音楽家アルフレート・ブレンデルやフルトヴェングラーはケンプを非常に高く評価しているが、ドイツ本国でよりも日本に於いての賞讃が格段に高い(かくいう私もファンである)。彼自身、親日家で昭和一一(一九三六)年のドイツ文化使節として初来日して以来、来日は十回に及んだ。バッハ「目覚めよ、と呼ぶ声が聞こえ」のケンプによるピアノ編曲版はよく知られている(私の偏愛する曲である。以上の事蹟は一部ウィキヴィルヘルム・ケンプを参考にした)。敦の昭和十一年の手帳を見ると、

 

四月十五日(水) W. Kempff,Beethoven’s Concerto 3. 5.

 

という記載と(この間、次の項の「四月二十一日(火)」には『Goldberg, KlausBeethoven’s Sonata 4,5,2,10』とあり、ベートーヴェンへの敦の傾倒ぶりが分かる。因みにこれはヴァイオリニストのシモン・ゴールドベルクとピアニストのリリー・クラウスのデュオである)、

 

五月十二日(火) W.KempffBeethoven Concerto 1 & 5Mozart Concerto in improvisation

 

という記載があって、二回に亙ってこの初来日のケンプの演奏会に行っていることが分かる(孰れも日比谷公会堂)。但し、先にシャリアピンの注で掲げた底本解題の新資料による追記記載によれば、一回目の記載は四月十五日(水)の項に記載されているが、『その前日の十四日に演奏された方を聽きに行って』いるとあり、また四月二十一日(火)の分については、『Lili Kraus のピアノ伴奏による Simon Goldberg の「ベートーヴェン・・ヴァイオリン・ソナタ全十曲連續演奏會」おことで、四月十九日に第三・第六・第七、四月二十日に第一・第九・、四月二十一日に第四・第五・第二・第十番のソナタが演奏された。會場はいづれも日本靑年館であつた』とある。

「新響」は大正一五(一九二六)年に発足した日本最初の本格的な交響楽団である「新交響楽団」で、これは現在の同名の楽団とは別で、現NHK交響楽団の前身である。当時の指揮者はヴァイオリニストでもあった貴志康一(明治四二(一九〇九)年~昭和一二(一九三七)年)で、十四年下の貴志とは深い友情で結ばれた。後、昭和二九(一九五四)年に再来日したケンプは毎日新聞紙上で「私の思い出の中にある悲しみをともなって居ます。この前私が日本を訪問した時、ともにベートーヴェンの曲を演奏した才能ある日本の指揮者貴志康一氏が、余りにも若く死んでしまったからです。彼はたしか大阪の人でした」と語っている(以上は大阪市都島区役所公式サイトの「都島区ゆかりの人物」の貴志康一の日本活躍」ページの記載に拠った)。

Mozart Klavier Konzert, D minor」モーツァルトが最初に手掛けた短調のピアノ協奏曲第二十番ニ短調 K.466。「ロマンツァ」はその第二楽章「ロマンツェ」変ロ長調のこと。ミロス・フォアマン監督の映画「アマデウス」のエンディングに使われたあの曲である。ケンプとカラヤン指揮のベルリンフィル(一九五六年録音)が(陽之大瀬氏のアップ)で聴ける。]

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