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2013/09/15

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 21 正直な日本人・酒と盃・物静かで礼節なる日本人

 人々が正直である国にいることは実に気持がよい。私は決して札入れや懐中時計の見張りをしようとしない。錠をかけぬ部屋の机の上に、私は小銭を置いたままにするのだが、日本人の子供や召使いは一日に数十回出入しても、触ってならぬ物には決して手を触れぬ。私の大外套と春の外套をクリーニングするために持って行った召使いは、間もなくポケットの一つに小銭若干が入っていたのに気がついてそれを持って来たが、また、今度はサンフランシスコの乗合馬車の切符を三枚もって来た。この国の人々も所謂文明人としばらく交っていると盗みをすることがあるそうであるが、内地に入ると不正直というようなことは殆ど無く、条約港に於ても稀なことである。日本人が正直であることの最もよい実証は、三千万人の国民の住家に錠も鍵も閂(かんぬき)も戸鈕も――いや、錠をかける可き戸すらも無いことである。昼間は、辷る衝立が彼等の持つ唯一のドアであるが、而もその構造たるや十歳の子供もこれを引き下し、あるいはそれに穴を明け得る程弱いのである。

[やぶちゃん注:「大外套」原文“ulster”。アルスターとは両前仕立てのベルト附き防寒用長コートのこと。

「条約港」不平等条約によって開港を規定された港湾。開港場ともいう。嘉永七(一八五四)年三月三日(グレゴリオ暦三月三十一日)に締結された日米和親条約で下田と函館が開港されて以降、安政五(一八五八)年の日米修好通商条約を初めとする安政五カ国条約及び同第三条をはじめとする明治二年(一八六九)までの十五ヶ国との条約に基づき、長崎・神奈川(横浜)・新潟・兵庫(神戸)の四港が新たに条約港に指定され、その一方で下田が指定を解除された。これ以降、約五年の運用期間に留まった下田を除く五つの港を以って「開港五港」という通称が用いられるようになった。条約港では治外法権をもつ租界や外国人居留地が設定され、欧米列強の半植民地的支配の拠点となったが、その反面、条約港を中心として近代文明が導入された一面もあった。なお、この「開港」という許可規定は現在も生きており、外国貿易のために開放された港として関税法(昭和二九(一九五四)年法律第六十一号。旧関税法(明治三二(一八九九)年法律第六十一号を改正したもの)の規定に則って指定された港を指す。現在、全国の港湾のうち一一九港が指定されており、それ以外の港を「不開港」という(以上は主にウィキの「条約港」の記載に基づいて記載した)。

「戸鈕」原文は“buttons”。ドアや窓などの戸締り用の蝶形をした締め具のこと。]

M29

図―29

 

 ある茶店で私は始めて日本の国民的飲料である処のサケを味った。酒は米から醸造した飲料で、私の考ではラーガー・ビヤより強くはなく、我々が麦酒(ビール)に使用する半リッタア入りの杯の代りに日本人は酒を小さな浅い磁器の盃から畷(すす)る(図29は酒の盃実物大)。酒は常に熱くして飲むのである。私は冷たい儘をよりよしとなして数杯飲んだが一向に反応を感じなかった。確かにクラーレットよりも強くない程である。全体として私は酒をうまいものだと思った。私が今迄に味ったワインやリキュールのどれとも全く異っていて、ゼラニウムの葉を思わせるような香を持っている。今日までの所では、千鳥足の酔漢は一人も見ていない。もっとも夜中、時々歌を唄って歩く者に逢うが、これは飲み過ぎた徴候である。日本人はあまり酒をのまぬ民族と看做(みな)してよかろう。日本人が物静かな落着いた人々である証拠に、彼等が指でコツコツやったり、口笛を吹いたり、手に持っている物をガタガタさせたり、その他我々がやるような神経的であることの表現をやらぬという事実がある。昨夜東京から帰りに私は狭い往来を口笛を吹きながら手で昆虫箱をコツコツ叩いて歩いた。すると人々はまるで完全な楽隊が進行でもしているかのように、明けはなした家から外を見るのであった。日本人は決して疳癪を起さないから、語勢を強める為に使用する間投詞を必要としない。「神かけて云々」というような超請(オース)はこの国には無い。非常に腹が立った時、彼等が使う最も酷い言葉は、莫迦と獣とを意味するに止る。而もジェントルマンはこのような言葉さえも口にしない。

[やぶちゃん注:「クラーレット」原文“claret”。主に英米に於いてフランスのボルドー産赤ワインを通称する語。クラレ。

「ゼラニウムの葉を思わせるような香」ゼラニウムはフウロソウ目フウロソウ科テンジクアオイ属 Pelargonium の園芸栽培されるものの総称と総称(但し、参照したウィキの「テンジクアオイ属」によれば、『紛らわしいことに、ゼラニウムとは同じ科のゲンノショウコなどが含まれるフウロソウ属(Geranium)のことでもある。この2つの属に属する植物は元は Geranium 属にまとめられていたが、1789年に多肉質の Pelargonium 属を分離した。園芸植物として栽培されていたテンジクアオイ類はこのときに Pelargonium 属に入ったのであるが、古くから Geranium(ゼラニウム、ゲラニウム)の名で親しまれてきたために、園芸名としてはゼラニウムの呼び名が残ったのである。園芸店などでも、本属植物の一部をラテン名で ペラルゴニウム(Pelargonium)で呼び、その一方で本属植物の一部を「ゼラニウム」と呼んでいることがあり、これらは全然別の植物のような印象を与えていることがある。ペラルゴニウムとゼラニウムを意識的に区別している場合は、ペラルゴニウム属のうち一季咲きのものをペラルゴニウム、四季咲きのものをゼラニウムとしているようである』とある。ただここでモースは今の我々のイメージする広義のゼラニウムを想起している、と一応とっておく。なお、属名“Pelargonium”はギリシャ語の「こうのとり(pelargo)」に由来し、果実の錐状の突起がコウノトリの嘴に似ることに由来する)。同記載にはゼラニウムの『葉は普通対生または螺旋状につき、単葉で、掌状もしくは羽状の切れ込みや鋸歯のあるものが多く、無毛のものと有毛のものがあり、強いにおいのあるものが多い。青臭いようなこのにおいは、西洋人には好む人が多いが、日本人では嫌う人のほうが多い』とあり、ネット検索をかけると、薔薇に似ているとか、カメムシのような濃縮された青臭さであるとか、銅のようなな金属臭であるとか、花も含めて毀誉褒貶甚だしい(その成分の快いものを改良品種したものが最近は多いらしく、アロマ系の記載にも多出する)。蚊除けに葉の汁を肌に塗るとよいという叙述も見受けられ、調べてみるとゼラニウムの持つ成分の約1/3はシトロネロールという昆虫が忌避する成分であるらしい。ネットでは流石に匂いは嗅げない。残念。

「神かけて云々というような超請(オース)はこの国には無い」原文は単に“an oath is unknown”で、石川氏は分かり易く語を添えている。“oath”とはこの場合、“God damn you!”のような呪いや罵詈雑言などで用いられる神名の濫用を指す。

「莫迦と獣」原文“fool and beast”。「馬鹿野郎!」と「畜生!」。]

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