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2013/09/07

霧・ワルツ・ぎんがみ――秋冷羌笛賦 無題二十首(元町点描) 中島敦

廛頭(みせさき)の羅馬字繁み元街は開化の匂まだに失せぬかも

 

元街は異人往く街吾が愛でてか往きかく往き徘徊(たもと)ほる街

 

[やぶちゃん注:「徘徊(たもと)ほる」「た」は語調を調え強調する接頭語で「もとほる」は「廻(もとほ)る」で、巡る・廻る・徘徊するの意の上代語であるから、同じ所を行ったり来たりする、徘徊するの意となる。]

 

元街は開化のむかし土燒くとムッシュ・ヂェラァル住みにける街

 

[やぶちゃん注:「ムッシュ・ヂェラァル」アルフレッド・ジェラール(Alfred Gerard 一八三七年~一九一五年)はフランス人で、元治元(一八六四)年、二十代で来日、開港間もない横浜で商売を始めた。当初は横浜港に入港する船舶に食料品などを供給する業務をしていたらしいが、明治初期には山手(現在の元町公園のある高台とその斜面)の湧き水に着目、船舶給水業を営むようになる。この水は非常に良質で、当時の船乗りの間では評判だった伝えられる。次いで彼は西洋瓦と煉瓦の製造工場“A Gerard's Steam Tile and Brick Works”を現在の元町プール(後の歌に登場)付近に設立した(それが本歌の「土燒く」の意)。そこで製造される瓦と煉瓦は「ジェラール瓦」あるいは「フランス瓦」と呼ばれて山手居留地の外国人の家や山下町の商館などの建築に広く用いられた。現在でも横浜の旧外国人居留地を中心にこれらの瓦が発掘されることが多い。その後、給水業と瓦製造業の成功によって財産を築き、明治二四(一八九一)年頃、五十代でフランスに帰国した(以上は M.Ogawa 氏の「発祥の地コレクション」の「西洋瓦発祥の地に拠った)。「郷土文化財探訪プロジェクト 葉月」の運営になる画像満載の「ジェラールの瓦工場と水屋敷跡」も参照されたい。]

 

いにしへの逍遙學派(ペリパテテイツク)われと來て秋の山手を往きつ語らな

 

[やぶちゃん注:「逍遙學派(ペリパテテイツク)」正確には英語で“Peripatetic school”。アリストテレスが紀元前三三五年にアテナイに開いた学校リュケイオン(Lykeion)に学んだ弟子の総称。アリストテレスが学校内の屋根附きの散歩道「ペリパトイ(peripatoi)」を逍遙しながら講義したところからペリパトス学派ともいう。形而上学・文学(詩学)・生物学・動物学・修辞学・政治学・論理学など多岐に亙った博物学的哲学の一派である。]

 

たまさかの冬の南の風なれば屋根靑き家も窓を展(あ)けたり

 

[やぶちゃん注:「傾斜(なだり)」「雪崩れる」「傾れる」の古語「なだる」の名詞形で斜めに傾いていること、傾斜、傾斜面をいう。「なだれ」とも。]

 

向つ丘の南傾斜(なだり)の日溜りに赤き家見ゆ靑き家も見ゆ

 

冬日照る丘の傾斜(なだり)に新しき家建ちけらし屋根葺ける見ゆ

 

この坂の疎ら榛の木葉は落ちて朝を靜かに人上(のぼ)り來る

 

[やぶちゃん注:「榛」ブナ目カバノキ科ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii。読みは、ハンノキの古名の「はり」「はん」の二様に考え得るが、ルビを振っていない点では「はん」、中島敦が好んで用いる万葉の言辞とすれば「はり」である。私は後者を採りたい。]

 

葉の落ちし枝のひろごり木末(こぬれ)なる實はすがれたり桐にかあらむ

 

[やぶちゃん注:「木末(こぬれ)」上代語「このうれ」の約。「うれ」は上代語で草木の新しく伸びて行く末端、梢のことであるから、この梢の意味を含める。]

 

大方の草は黄ばみぬさ丘邊に飛行機あぐる子が小さく見ゆ

 

美容院ミミの門邊の眞澄(まそ)鏡われ追行けばわれを映すも

 

[やぶちゃん注:「美容院ミミ」不詳。旧所在地等ご存知の方はご連絡を乞う。

「眞澄(まそ)鏡」上代語で「真澄みの鏡」の約。よく澄んではっきり映る鏡。一種の神鏡であったが、ここでも何か中島敦自身(「われ」)の「影」を映す辺り(「まそかがみ」は「影」の枕詞でもある)、何かそうした神妙夢幻な雰囲気を作者は含ませているように思われる。]

 

蔦の葉の赤らみ著(しる)きファサァドにスコッチ・テリア畏(かし)こ顏(がほ)する

 

蔦匍(は)ひし煉瓦煙突今朝はしも煙吐きたり霜置きければ

 

中つ世のシャルマーニュ攻めし城の如フェリスは立つ夕くろぐろと

 

[やぶちゃん注:「くろぐろ」の後半は底本では踊り字「〲」。

「シャルマーニュ」カール大帝(Karl der Grosse 七四二年~八一四年)。フランク王国の王(在位七六八年~八一四年)にして西ローマ皇帝(在位八〇〇年~八一四年)。フランス語ではシャルルマーニュ(Charlemagne)。カロリング朝のピピン三世の長男で、七六八年の父の死とともに弟カールマン(Karlmann 七五一年?~七七一年)とともにフランク王位を継いで弟の死とともに唯一の王となる(ここまで平凡社「世界大百科事典」に拠る)。日本ではカール大帝の名が世界史の教科書などでも一般的に使用されているが、フランス語のシャルルマーニュもフランスの古典叙事詩や歴史書などからの翻訳でよく知られている。カール大帝の死後のフランク王国分裂後に誕生した神聖ローマ帝国・フランス王国・ベネルクス・アルプスからイタリア半島等の各国史を見るとき、彼は中世以降のキリスト教ヨーロッパの王国の太祖として扱われていることが分かり、特にドイツ史とフランス史にあっては、フランク王国の大きな功績をそのまま継承する国との歴史観が主流で、彼を古代ローマやキリスト教及びゲルマン文化の融合を体現した歴史的人物として評価する傾向が強い。彼の生涯の大半はまさに「攻めし城」と敦が言うように、討伐で占められていた。四十六年の治世の間、実に五十三回もの軍事遠征を行っている(この部分はウィキに「カール大帝」に拠る)。因みに、彼の添名は大きな体軀(身長約一九五センチメートル)に由来し、小肥りで風貌は丸く、無鬚であった(ここは戻って平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

「フェリス」現在、横浜市泉区にあるフェリス女学院大学の前身であるフェリス和英女学校。明治三(一八七〇)年にアメリカ改革派教会の宣教師メアリー・E・キダーが、ヘボン施療所で女子を対象に英語の授業を開始、これが女子校として最も古い歴史を持つフェリス女学院の発祥とされる(のちに男子部は明治学院となった)。明治八(一八七五)年にアメリカ改革派教会外国伝道局総主事であったフェリス父子の支援によって横浜・山手一七八番に校舎・寄宿舎が落成、「フェリス・セミナリー」と名づけられ、フェリス女学院中学校・高等学校の基となった(ウィキの「フェリス女学院大学」に拠る)。]

 

あしびきの山手のプウル水涸れて見る人もなし萩散れれども

 

[やぶちゃん注:「山手のプウル」元町公園の中段に現存する。このプールは関東大震災からの復興記念及び昭和天皇の即位大典(即位の礼は昭和三(一九二八)年十一月十日)を祝っての公園建設に合わせて横浜市青年団が発案、横浜唯一の公式プールとして昭和五(一九三〇)年に建設されたもので、参照した「横浜ジェントルタウン倶楽部」の「元町公園」に、『水屋敷の名のとおり湧き水で冷たいが、夏には涼を取るに人の声が谷間にこだましている』とあって、ジェラールがここに目をつけた湧水が現在も健在であることも分かる。さらに、先の歌に出たその彼の煉瓦工場の跡地でもあったことから、元町『プールの管理棟には発見された当時の瓦に葺き替えられ、由来板と共に昔の面影に浸ることができる』とある。今度、是非、じっくりと見て歩きたいものである。]

 

霜月や山手の丘ゆひさ方の空のはたてに柔毛雲(にこげぐも)見つ

 

[やぶちゃん注:「柔毛雲」綿雲(わたぐも:積雲の別名。)のことか。……私は遠い昔、山手のフランス料理店山手十番館の庭で、これと同じ光景を眺めていたのを思い出した。……]

 

たまくしげ箱根の山の遠白くたゝなはる見ゆ山手に立てば

 

この丘に夕時雨きつ鋪道(しきみち)をヘッド・ライトのひた走り來る

 

夕まけて雨はあがりぬしかすがに敷石道の冷えの著(しる)しも

 

夕まけて雨はあがりぬこの丘のほのに明るき靜けさにをり

 

[やぶちゃん注:「夕まけて」は歌語の「夕方設(ゆふかたま)けて」(名詞「夕方」+動詞「設(ま)く」の連用形「まけ」+接続助詞「て」)の約であろう(但し、各種辞書には載らない。ネット検索をするうちにGLN企画普及室「GLN(GREEN & LUCKY NET)からこんにちは」の『41d 短歌文法「連語」』で辛くも発見出来た)。「設(ま)く」には、その時期を待ち受ける、待つ、の意がある。夕方を待って、夕方近くなって、の意となろう。]

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