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2013/09/03

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 5 土蔵の建築

 かなり広い焼跡を通過した時、私は今までこんなに人が働くのを見たことがないと思った位、盛な活動が行われつつあった。そこには、小さな、一階建ての住宅や、吹けは飛ぶような店舗と、それから背の高い、堂々たる二階建ての防火建築との、二つの形式の建物が建てられつつあった。大きな防火建築をつくるに当っては、先ず足場を組み立て、次にむしろで被覆するのであるが、これはふんだんに使用する壁土が、早く乾き過ぎぬ為にするのである。かかる建物には、重い瓦の屋根が使用される。これは地震の際大いに安全だとされている。即ち屋根の惰性は、よしんば建物は揺れても、屋根は動かぬようになっているのである。一本の杖を指一本の上に立てようとすると困難である。だが、若し重い本を、この杖の上に結びつけることが出来れば、それを支えることは容易になるし、本をすこしも動かすことなしに、手を素速く数インチ前後に動かすことも出来る。先ず丈夫な骨組みが出来、その梁(はり)の間に籠細工のように竹が編み込まれ、この網の両側から壁土が塗られる。
[やぶちゃん注:土蔵の構造説明と建造風景。原典を見ると、この段落は次の段落と繋がっている。また繋がって訳されるべきところと思われ、石川氏の改行はやや不審である。直前に石川氏が特に言葉を補っているように(後注参照)、ここのパートの記述の分かり難さ(後注参照)を整理する目的が、読者のためというよりも、主に訳す訳者の意識や作業行程に必要であったからかも知れない。
「屋根の惰性」原文は“inertia of the roof”。“inertia”は①〔物理学上の〕慣性・惰性・惰力。②不活発・遅鈍。③〔医学上の〕無力(症)・(運動の)緩慢、の意。下線があるが、原典では特にアンダー・ラインやフォント変更は行われていない。物理学用語の使用がやや唐突に感じられるために石川氏が学術的用語であることを示すために用いたものであろう。我々には馴染みのある「慣性」とするか、若しくは「即ち、よしんば建物は揺れても、屋根は慣性の法則によって動かぬようになっているのである。」と意訳した方が私には分かりがよいように感じられる。
「一本の杖を指一本の上に立てようとすると困難である。だが、若し重い本を、この杖の上に結びつけることが出来れば、それを支えることは容易になるし、本をすこしも動かすことなしに、手を素速く数インチ前後に動かすことも出来る。」原文は“In balancing a cane on the finger some difficulty is experienced. If a heavy book could be fastened to the top of the cane, it would be much easier to balance it, and the hand could be moved rapidly back and forth a few inches without the book moving at all.”。私が馬鹿なのか、日本語も英語もどちらもよく意味が分からない。これは所謂、皿回しの際の様にバランスをとることが可能であることを言って、瓦や梁で重い棟の部分を杖に相当する柱でバランスをとって支えていることを言っているのであろうか? どなたか、是非、私に分るように説明して下さいませんか? (追記)ブログでの以上を公開したところ、私の教え子(海外勤務)とからメールが届いた。それによれば――“cane”には「杖」という意味の他に、藤や竹などの「茎」という意味もあり、ここはつまり、非常に軽い茎や棒を指の上に立ててバランスを取る際、棒の上方に重いものが載っていると、その重い物体は「慣性」の法則によってなかなか動かないため、指をかなり大きく左右に動かしても、物体を乗せた棒は容易に立ち続ける。我々の少年期の掃除の時間の遊びの記憶を例にとるなら、指の上で壊れた自在箒の長い柄だけを立たせることよりも、先に大きな雑巾や綿やジュートなどの分厚く柔らかな繊維がついたモップのようなヘッドが有意に重いものを逆さに立たせる方が容易である。更にはモップの先に水を含ませてより重くすれば、逆さに立て続けることはより容易となる。モースはこれと同じような感覚を言っているような気がする。――とあった。加えて、その彼の大学生の長女の方(彼女は英語に堪能である)にも原文を読んで貰ったところ――重いものを棒の上に乗せると、それが重いものであるほど、下で支える手をいくら激しく震わせても、容易に安定し続ける(重いものは「慣性」の法則が大きく働くので、細かい振動にはびくともしない)という意味だと思われ、受験勉強か高校の英語かで、この文章を読んだ記憶がある――とのこと。愚鈍な私も少年時代の悪戯を思いだして、目から鱗であった。それにしてもモース先生の文章恐るべし、今や日本人の英語学習にさえ凡そ百年前(本原典は一九一七年刊。本邦年号では大正六年)用いられているのか!
「先ず丈夫な骨組みが出来、その梁(はり)の間に籠細工のように竹が編み込まれ、この網の両側から壁土が塗られる。」底本では「〔蔵を建てるには〕先ず丈夫な骨組みが出来、その梁(はり)の間に籠細工のように竹が編み込まれ、この網の両側から壁土が塗られる。」という補填が石川氏によってなされている。]

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