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2013/09/07

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 13 江戸からの画期的なリサイクル事情の礼讃

 第17図は子供を背中に負う一つの方法を示している。お母さんは背後に両手を廻し、そして赤坊の玩具を手に持っている。
[やぶちゃん注:図―17の子は先に注した芥子坊主に加えて「ごんべい」があるのが分かる。]

M17

図―17

 東京の死亡率が、ボストンのそれよりも少ないということを知って驚いた私は、この国の保健状態について、多少の研究をした。それによると赤痢および小児霍乱(コレラ)は全く無く、マラリアによる熱病はその例を見るが多くはない。リューマチ性の疾患は外国人がとの国に数年間いると起る。しかしわが国で悪い排水や不完全な便所その他に起因するとされている病気の種類は日本には無いか、あっても非常に稀であるらしい。これは、すべての排出物資が都市から人の手によって運び出され、そして彼等の農園や水田に肥料として利用されることに原因するのかもしれない。我国では、この下水が自由に入江や湾に流れ入り、水を不潔にし水生物を殺す。そして腐敗と汚物とから生じる鼻持ちならぬ臭気は公衆の鼻を襲い、すべての人を酷い目にあわす。日本ではこれを大切に保存し、そして土壌を富ます役にたてる。東京のように大きな都会でこの労役が数百人の、それぞれ定った道筋を持つ人々によって遂行されているとは信用出来ぬような気がする。桶は担い棒の両端につるし下げるのであるが、一杯になった桶の重さには、巨人も骨をおるであろう。多くの場合、これは何マイルも離れた田舎へ運ばれ、蓋のない、半分に切った油樽みたいなものに入れられて暫く放置された後で、長柄の木製柄杓(ひしゃく)で水田に撒布される。土壌を富ます為には上述の物質以外になお函館から非常に多くの魚肥が持って来られる。元来土地が主として火山性で生産的要素に富んでいないから、肥料を与えねば駄目なのである。日本には「新しい田からはすこししか収穫が無い」という諺がある。
[やぶちゃん注:「小児霍乱(コレラ)」“cholera infantum”。狭義に考えれば、幼児では死亡率が高いコレラ菌感染症であるコレラであるが、コレラに似た「米のとぎ汁」のような白い便を排泄することもある、高湿度で人口密度の高い地帯の小児にみられる急性の感染性消化器系疾患(そこには死には至らないものの、まさに病態の類似から「仮性小児コレラ」と称するものも含まれるように思われる。平凡社「世界大百科事典」によれば仮性小児コレラは晩秋から冬にかけて主として離乳期前後(生後六ヵ月から一年半ころ)の乳児がかかる乳児下痢症で、コレラ様の白っぽい下痢便を出すことから冬季白色便下痢症・白痢などとも呼ばれる。仮性小児コレラという病名は明治四三(一九一〇)年に医師伊東祐彦(九州大学医学部初代学部長及び九州医学専門学校初代学長)が命名したものであるが、本邦ではかなり古くから知られていた病気で、日本中どこでも発生するが、その発症は気象・気温と相関があり、全国的にみると北から南へと発生が移っていくように見受けられる、とある)を含むものであろう。
「我国では、この下水が自由に入江や湾に流れ入り、水を不潔にし水生物を殺す」原文“With us this sewage is allowed to flow into our coves and harbors, polluting the water and killing all aquatic life;”。海産無脊椎動物の専門家ならではの謂いであることに着目。……おぞましい汚染水を垂れ流して「ダイジョウブだぁ!」と微笑んでいる今の日本を、モース先生が知ったらどう思われるだろう……と、ふと考えた。……
「東京のように大きな都会でこの労役が数百人の、それぞれ定った道筋を持つ人々によって遂行されているとは信用出来ぬような気がする。」原文は“It seems incredible that in a vast city like Tokyo this service should be performed by hundreds of men who have their regular routes.”。私は一部の人間が「それぞれ定った道筋を持つ人々」を差別的なニュアンスで誤読する可能性を危惧する。ここは「……この労役が数百人の」――排泄物の汲み取りを専門とする業者によって、しかもそれぞれがダブることのない周回回収ルートを持った人々によって――「遂行されている……」、しかもそれに洩れる箇所(汲み取りがされない場所)が殆んどないということは、それこそ殆ど「信用出来ぬような気がする」という意味である。]

この国の人々は頭になにもかぶらず、ことに男は頭のてっぺんを剃って、赫々(かつかく)たる太陽の下に出ながら、日射病がないというのはおもしろい事実である。わが国では不摂度な生活が日射病を誘起するものと思われているが、この国の人々は飲食の習慣において摂度を守っている。
[やぶちゃん注:明治一〇(一八七七)年の段階では未だ多くの男性が月代を剃っていたことが分かる。]

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