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2013/10/31

中島敦 南洋日記 十月四日(土)

        十月四日(土) ボナペ

 朝六時半より公學校。長校長と一時間語る。二時間目、三時間目と授業參觀、後、國民學校へ行く。二時乘込、四時出帆。ボナペの土民富豪ナンペーの長男、姪二人を連れて乘船。色は多少黑けれど、西洋人に似たり。

[やぶちゃん注:「長校長」の「長」は姓か。

 この日附の桓宛の六通の書簡(内、四通は絵葉書で総て正規に投函されたもの)を以下に示す。

   *

〇十月四日附(ボナペで。)

 ヤルートから、こんどはぎやくに、西へ西へとかへつて來ます。

 そのとちゆうで、又ボナペによりました。この前來たときは、まだ小さかつたはたけなつぱが、もうずゐぶん大きくなつてゐました。

 南洋は、草木ののびるのが早いのです。

   *

〇十月四日附(消印トラック郵便局16・10・6。ボナペで。鳳梨果(パイナップルの漢名)の絵葉書。旧全集「書簡Ⅱ」書簡番号四三)

 これは パイナップルばたけ。おいしさうだね。南洋では、パイナップル のかんづめなんか たべません。はたけから、とつて來たのを すぐ、たべるのです。

   *

〇十月四日附(消印トラック郵便局16・10・6。ボナペで。椰子蟹の生態の絵葉書。旧全集「書簡Ⅱ」書簡番号四四)

 これは ヤシガニ。ヤシの木に上つて ヤシのをはさみで 切(き)つて 落(おと)して たべる カニ です。

 このは ヤシの 根(ね)の所(ところ)にゐるところ。

 ヤシガニ を たべると、とてもおいしいさうです。

   *

「ヤシガニ」十脚(エビ)目エビ亜目ヤドカリ下目ヤドカリ上科オカヤドカリ科ヤシガニ Birgus latro。陸生甲殻類中の最大種。分類でお分かりのようにヤドカリの一種である。日本ではヤシガニのその名前や言い伝えから「椰子の木に登って椰子の実を落として食べる蟹」としてのイメージが定着している(実際、少年期に貪るように読んだ複数の魚貝図鑑には、必ずといっていいほど、椰子の木を登るヤシガニの図が配されてあったものだった)が、実際にはヤシガニは口に入るものなら腐肉でも食べる雑食性で、必ずしもその主食を椰子の実としている訳ではない。また、椰子の実を食すことは確かだが(私も映像で、あの硬い繊維質の椰子の実を辛抱強く、あの巨大な鋏を器用に用いて切り裂くいてゆくのを見たことはある)、実を切り落とすために木に登る習性も確認されておらず、これらは口述伝承が独り歩きして生まれた全くの誤解である。英名では“Palm Thief”(椰子泥棒)の他、銀食器や鍋などの光沢のある金属製品を持ち去る習性があるところから“Robber Crab”(泥棒蟹)などと呼ばれることもある。若いヤシガニは貝殻の中にその身を隠すこともある。参照したウィキヤシガニ」によれば、『生息域がインド洋の最西端からミクロネシアまで広がっているため、様々な名前で知られており、グアムではアユユと呼ばれ、その他の地域ではウンガ、カヴュ等と呼ばれることがある。また、生息する地域により様々な色をしており、明るい紫色から茶色まである』とある。その生態は『』雄は雌より大きく体長は40センチメートルを超え、脚を広げると1メートル以上にもなり、4キログラム以上に成長する。タカアシガニには及ばないものの、最大級の大きさである。寿命は50年程度と考えられている。ヤシガニの体は、大きく分けると頭胸部と腹部に分けることができ、10の肢を持つ。2本の前肢は、巨大なハサミになっており、30キログラム近くのものを持ち上げることができる。次の3対の肢は小さなハサミになっており、陸上歩行に適した形になっている。また、垂直にヤシの木を登ることも出来る。沖縄においてよく目撃されるのは、アダンの木に登ることである。木に登るときも降りるときも、頭を上に向けている。また、これらの肢は食べ物を扱うことが出来る。最後の対は非常に小さく、歩行ではなくえらの掃除に使われる。この肢は折りたたまれて鰓室の中に入っているため、外部からは見えない』。『ヤシガニはヤドカリの仲間ではあるが、その大きさのため成体は体に見合う大きさの貝殻を見つけることは困難である。若いヤシガニは、カタツムリの殻などを用い、成長するにつれて、ヤシの実などを使うこともある。他のヤドカリとは違い、成体は腹部がキチン質や石灰質でおおわれ硬く、カニのように尾を体の下に隠すことで身を守る。腹部が硬い物質でおおわれていることで、地上でくらすことによる水分の蒸発を防ぐ。しかし、定期的に腹部を脱皮する必要があり、再び腹部が硬くなるまでは30日ほどかかる。この間、ヤシガニは身を隠す』。『ヤシガニは地下にハサミを使って掘った穴や岩の割れ目を住処とする。日中は天敵と直射日光を避けるために穴の中に隠れており、雨や霧の日でないかぎり外に出ることを避ける。ただし生息数が多い地域では、日中にも食べ物を探しに現れることもある。巣の中で休んでいる時は、入り口をハサミでふさぎ、巣の中の環境を一定に保つようにする。ヤシガニはほぼ陸上生活に適応しているため、海岸線から6キロメートル以上も離れたところで発見されたこともある』。『ヤシガニは成長すると産卵時を除いて水に入る事はない。また、まったく泳ぐことができないため、波打ち際までしか入ることができず、水の中ではおぼれる』。以下、生殖の項。『ヤシガニは5月から9月の間に陸上で頻繁に交尾を繰り返す。7月と8月に繁殖はピークを迎える。雄と雌は交尾のためにもみ合い、雄は雌を仰向けにして交尾を行う。全ての行為は15分ほどかかる。交尾後間もなく、雌は自分の腹部の裏側に卵を産み付ける。雌は数ヶ月間卵を抱えたまま生活し、10月か11月の満潮時、いっせいに孵化したゾエアと呼ばれる幼生を放出する』。『幼生は28日ほど海中をただようが、その間に大部分は他の動物に捕食される。その後海底に降りてヤドカリのように貝殻を背負ってさらに28日ほど成長を続けながら海岸を目指す。上陸後は水中で生活できる機能を失う。繁殖ができるようになるまでには4年から8年かかるとされ、甲殻類の中では例外的に長い期間である』。以下、分布域の項。『ヤシガニはインド洋と西太平洋に生息している。インド洋ではクリスマス島が最も保護されたヤシガニの生態系を維持しており、セーシェル共和国の島々、アルダブラ、グロリウス、アストーヴ、アサンプション、コスモレドに生息している。西太平洋のクック諸島のプカプカ、スワロウ、マンガイア、タクテア、マウケ、アティウ、それにパルマーストン等の島にも生息している。生息域には、ところどころに大きな空白部分があり、例えばボルネオ島やインドネシアの大部分、それにニューギニアなどには生息していない。また、セーシェル諸島でも本島のマヘ島には生息していない。これは、島の住人によってヤシガニが食べつくされた結果である』。『成体は泳いで海を渡ることが出来ないため、幼生体として海にただよう間に他の島々にたどり着いたとされている。しかし、28日間の幼生期の間に全ての島に到達することは不可能であると考える人もおり、漂流物に乗って他の島にたどり着いたのではないかと』考える学者もいる。『日本でも沖縄、宮古、八重山の各諸島にも生息する。近年では、沖縄本島で絶滅したとされていたが、実際は本島全域で姿が確認されている。小笠原諸島でも稀に見つかることがあるが、繁殖はしていないと考えられている。人間による捕殺や道路整備による轢殺により生息数が急激に減少しているため、レッドデータブック絶滅危惧II類に分類されている。しかし、近年の沖縄食ブームにより、食用目的の乱獲が続いている。国家レベルの絶滅危惧種でありながら、乱獲の統制がほぼ全く行なわれていないまれな種でもある』。『ただし地方自治体レベルでは、沖縄県多良間村でヤシガニの乱獲を防ぐことを目的とした「多良間村ヤシガニ(マクガン)保護条例」が制定されており、繁殖期の捕殺について罰則付きで禁じている』。『太平洋の島々では高級食材の一種で、回春薬であるとされている。雌の卵と腹部の脂肪分は特に重宝されている。ロブスターのように茹でたり蒸したりして食べる。島によって調理法は様々で、ココナッツミルクで茹でる地域もある。日本では、沖縄県の一部地域でヤシガニを食べる習慣がある』が、ここで問題なのは毒化する個体があることである。『ヤシガニそのものに毒性はないが、ヤシガニが食べたものによっては毒を蓄えることがあり、宮古島以南でヤシガニにより中毒した例が報告されている。中毒症状は嘔吐・吐き気・手足の痺れなど。死亡例もある。そのため、素人が野生種を捕まえて自ら調理することは大変危険である』。『この毒は沖縄にも自生する樹木・ハスノハギリ Hernandia nymphaefolia の果実に由来すると考えられており、これによりなぜ一部のヤシガニだけが毒を持つか説明がつく。ヤシガニは腐敗物、死肉、時には人間の出した生ゴミまで食べている食性から、体内に有害な病原菌やウイルスを取り込んでいる。そのため調理したヤシガニの生息環境によっては、病原性の食中毒を起こすとされている。まだ研究が進んでいないがヤシガニの食中毒はシガテラ毒が原因で有る可能性も指摘されている』(ハスノハギリ Hernandia nymphaefolia の果実に含まれる有毒成分はポドフィロトキシンといい、嘔吐・下痢・関節痛等を引き起こす。また「シガテラ」は、熱帯の海洋に生息するプランクトンが産生する毒素に汚染された魚介類を摂取することで発生する食中毒及びその毒成分の通称で、多くは Gambierdiscus toxicus などの有毒渦鞭毛藻(クロムアルベオラータ界アルベオラータ亜界渦鞭毛虫門渦鞭毛藻綱に属する細胞表面の縦横の溝と二本の鞭毛を持った単細胞藻類の内で毒素を産生する能力を持った一群)が原因であることが多い。なお「シガテラ」の呼称は、キューバに移住したスペイン人が、この地方で「シガ」(cigua)と呼ばれる巻貝(腹足綱古腹足目ニシキウズガイ上科ニシキウズガイ科チャウダーガイ Cittarium pica)による食中毒の事を “ciguatera”と呼んだことに由来する。ここはウィキシガテラ」を参考にした)『沖縄では、毒を持ったヤシガニは茹でても赤くならないという迷信がある。料理店では、赤くならないヤシガニを廃棄するため安全だと説明している。しかし赤く変色するヤシガニが安全であるという科学的根拠はない。甲殻類を加熱すると赤くなるのは甲羅に含まれるカロチノイド系色素のアスタキサンチンの反応』であって、『毒の有無とは関連性がなく毒を持っていても茹でれば赤くなる』。『ヤシガニは絶滅危惧種であるが、日本では捕殺に制限はなく自由に行える(グアムなど海外では密漁を防ぐため禁漁期間や狩猟可能な時間が定められている国・地域もあり、違反すれば処罰の対象となる)』。『ヤシガニは月の出ていない夜に懐中電灯を持って探すのがよい。逃げ足は速く後ろ向きに逃げ出すが、懐中電灯で照らすと驚いて動きを止める。その時、布切れをヤシガニに被せて、鋏を噛ませると安全に捕獲できる。一般的には新月の三日後が良いとされる。日中にヤシガニを捕らえることも出来るが、穴から掘り出すか煙でいぶりだす必要がある。ヤシの実に火をつけると、その匂いによってヤシガニが集まってくるとも報告されている』。『ヤシガニの鋏脚の力は非常に強力で、プラスチック製のボールペンや万年筆等を容易に切断する。当然、人が指などを挟まれれば切断されるおそれもあるので充分注意しなくてはならない。ヤシガニのハサミは長いが、背部には届かないので比較的小さな個体なら、カニのように背を持てば安全に持つ事も可能だが、大きな個体では持ちきれない。ハサミを抑えつけると、今度は脚の鋭い爪で引っ掻くので、裂傷の原因となるため注意』(以前に調べたところではヤシガニの鋏は想像以上に協力で鋭く、その切創も深く、指の切断及び雑菌の侵入による重篤化の例もあったやに記憶している)。

   *

〇十月四日附(消印トラック郵便局16・10・6。ボナペで。ボナペ島民の踊りの絵葉書。旧全集「書簡Ⅱ」書簡番号四五)

 をどる人 が ずゐぶん たくさん ゐるだらう? 何人(なんにん)ゐるか、かぞへてごらん。

 をどりの一番上手(ばんじやうず)なのは、ボナペではなくて、ヤップといふ島の土人たちです。

   *

〇十月四日附(消印トラック郵便局16・10・6。ボナペで。『石燒の實況』の絵葉書。旧全集「書簡Ⅱ」書簡番号四七)

「石やき」といふ 土人のおりやうり。石をやいておいてから、そのあつい石で、ぶたにはとりパンのみをやきます。パンのみなんか、すぐ、やけるけど、ぶたの大きいのなんか 八じかん もかかります。ぶた一ぴき そのまま 燒(や)くのですよ。

   *

〇十月四日附(ボナベで。)

 この間は、靑(あを)いバナナをたべました。靑(あを)くても、よく熟(じゆく)してゐる、めづらしいバナナです。南洋でもめづらしい種類(しゆるい)のバナナです。

 クサイでは、オレンヂをたくさんたべました。

   *

ミクロネシアには現在五〇〇近いバナナの品種があると聴くが、管見したところでは青い完熟バナナの記載はない。識者の御教授を乞うものである。]

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