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2013/10/02

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 1 イントロダクション

 第三章 日光の諸寺院と山の村落

M57_2

図―57

 

 我々は世界的に有名な日光の諸寺院に近い橋石で数日間逗留することになった。東京にくらべるとここは二千フィートも高い。この村は広い流床と高い河岸とを持つ、大きな、轟き渡る川に沿うて、細長く横たわっている(図57)。周囲全体はホワイト・マウンテン地方の荒地と同じように、岩の山脈や山の森林や乱れ繁る若林で荒々しく見える。日光の寺院の無比にして驚嘆に価する特質を諒知するために、人はこの野生さと近づき難さとのすべてを、心に留めていなくてはならぬ。村の町通りは全体にわたって坂である。それは僅かに屈曲していて石が敷きつめてあり、丁度真中の所に石の溝があって、水が勢強く流れている。通りの両側にも溝がある(図58)。中央の溝は所々広がって四角い井戸になり、ここで女の人達が桶や手桶を洗ったり、手や足に浴したりする。この水は山間の渓流から流れて来るので、水晶のように奇麗である。飲料水は別の井戸のを使う。道路の各所に石段があるが、全体として、車輪のついた運搬機が、いまだかつてこの道路を使用していないことを示している。目に入るものは駄馬ばかり、人力車でさえも石段を越して行くことは困難である。

 


M58
図―58

 

[やぶちゃん注:「橋石」原文は“The village of Hashi-ishi (stone bridge)”。このような地名はない。既に注しているが、再注する。ここで石川氏は割注して『〔括弧してストーンブリッジとしてあるが現在の日光町字鉢石(はついし)のことらしい〕』と記しておられ、図―37で見ても鉢石宿であることが分かる。その発音の誤認と、恐らくは日光の入口に当る鉢石の大谷川に架かる神橋との混同による思い込みからかく言っているように思われる(この橋は石造ではないが、橋脚が石造でそれに切石を用いて補強されている特殊なものであることから、モースはこの石造橋脚の説明を通弁から聴いていたと推定される)。

「二千フィート」609・6メートル。現在の日光市市街地の平均標高は約600メートルで、世界遺産登録で昨年正確に再測定された日光東照宮五重塔のある位置の標高は634メートル(私にとってはどーでもいいけど、東京スカイツリーと同じだソウである)であることが判明している。

「ホワイト・マウンテン」ニューハンプシャー州の北部一帯からメーン州西部に跨る約80万エーカー(約3230平方キロ)に及ぶ広大な山脈。ワシントンやジェファーソンなどのアメリカ歴代大統領の名が付された山々があるが、それらは殆んど一年中雪で被われていることに由来する。ニューイングランドでも人気の観光地である。]

 

 我々は村一番の宿屋に泊った。道路から古風な建物のいくつかが長く続いて、美しい廊下や、掃き清めた内庭や、変った灌木や、背の低い松や、石燈籠や、奇妙な塀や、その他すべてが、如何にも人の心を引きつける。我々はかくの如き建物の最終の部屋――下二間、二階二間である――を選定した。そこの廊下は殆ど部屋と同じ位広く、そして張り出した屋根で覆われている。我々はテーブルを廊下に持ち出し、夜は頭の上の桷からぶら下った、二つの石油洋燈(ランプ)の光で、物を書く。これ等の洋燈は我々を除いては唯一の欧州、又はアメリカとの接触の形蹟である。我々が逢うのは日本人ばかり。新聞紙片、ポスター、シガレットの箱、その他外国の物は一つもない。今、午後十時、ここでこれを書いている私にとつて、昆虫類は大いに歓迎はするが、うるさい。私は手近に昆虫箱を置き、誘惑に堪え兼ねて、蛾のあるものをピンでとめる。それ等はすべて実に美しいのである。その多くは、我国にいるのと同じ「属」に属するので見覚えがあるが、色彩や模様は異っている。時々、私の紙の上に、驚く程同じ様なのが落ちて来て止るが、それにしても相違はある。ここで書いて置かねばならぬのは、晩飯に食った野生のラズベリーのこと。形は我国のものの二倍位でブラックベリーのように艶(つや)があり、種子は非常に小さく、香はラズベリーで味は野生的な森林を思わせるもの。実に美味で我国のとは全く異る果実であった。

[やぶちゃん注:モースたちが泊まった宿は具体的には分からないが、ウィキの「鉢石宿を見るに、天保一四(一八四三)年の「日光道中宿村大概帳」によれば、鉢石宿の本陣は二軒設けられており、他に旅籠が十九軒、宿内の家数は二百二十三軒、人口は九百八十五人であったとあり、二つの本陣は入江喜兵衛(御幸町)と本陣高野源蔵(中鉢石町)であることが分かる。この内、前者は鉢石宿の入口近くの町名であり、後者は図の鉢石の町並みが東北方向へ少し曲がる附近、鉢石宿のほぼ中央に当たる町名であることが現在の地図と照合すると判明するから、ここでモースが村一番の宿屋」と言い、「道路から古風な建物のいくつかが長く続いて」と表現するには後者本陣高野源蔵方の方がしっくりくるように思われる。

「桷」は「たるき」(垂木)と読む。

「ラズベリー」底本には直下に石川氏による『〔木苺の一種〕』という割注がある。バラ目バラ科バラ亜科キイチゴ属 Rubus の一種であるが、今回調べて見て、キイチゴには驚くほど種が多いことが分かった。加えてモースの叙述があまりに簡便なため、およそ種の同定は不能である。]

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