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2013/10/02

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第二章 日光への旅 15 石碑・萱葺の家・犂・唐竿・背負い子……ヘビイチゴを食べる


M49


図―49

 

 道路の重要な曲り角や目につきやすい場所には、馬に慈悲をたれ給う神への顕著な記念碑が建っている、ここにその一つのスケッチがある(図49)。碑文を書くことは出来なかったので、いい加減なことを書いておいたが、我国の動物虐待防止会式の諫言(かんげん)、例えば「坂を登る時には支頭韁(はづな)をゆるめよ」とか「馬に水を飲ませよ」とかいうような文句が刻んであるのである。

[やぶちゃん注:この碑は何だろう? 私はこのような訓戒を認めた石碑は見たことがない。当初、私は馬頭観音の石碑であろうと推定した(本来の馬頭観音信仰とは異なり、分かり易い近世以降の信仰で、移動や運搬に用いられた馬が急死し、その路傍に馬頭観音を祀って動物供養塔としたもの。馬に跨った本格的な忿怒相の観音像が浮き彫りにされたものもあるが、通常は「馬頭觀世音」の文字だけを彫ったものが多い)のだが、スケッチを見ると、明らかにかなりの分量の文字が彫られており、通弁に確認したらしいその内容も頗る具体的である。路傍のやや高くなったところに立っていて、短いものの手摺を有する参道めいたものも描かれていることから、どうも馬頭観音ではないようだ。識者の御教授を是非、乞うものである。

「支頭韁(はづな)」原文“check-rein”。端綱、馬の口につけて引く綱のこと。英語の辞書には馬の頭を下げさせないための止め手綱、或いは頭の馬のはみを結ぶ手綱、とある。]

 

 萱葺屋根の葺きようの巧みさには、いくら感心しても感心しきれなかった。こんな風なことに迄、あく迄よい趣味があらわれているのである。よく葺いた屋根は五十年ももつそうである【*】。

 

 

* 『日本の家庭』には屋根のことが写生図と共にある程度まで取扱ってある。

[やぶちゃん注:「ある程度まで」(“some extent”)とあるが、同書の“A STUDY OF ROOFS.”(屋根の考察)は八坂書房の邦訳版(二段組)でも実に三十ページに及ばんとする分量があり、挿入される図(庇・樋や杮板・竹釘・金槌・瓦その他屋根葺き関連のものも含め)も三十六点に及ぶ。大部なのでここでは紹介しないが、特に各種の屋根の棟の拡大や日本各地(東京・近江・摂津・三河・京都・紀伊・大和・遠江・伊勢)の美しく細部まで再現した棟飾りのスケッチは必見である。モースが日本家屋の屋根に深く魅せられていたことが分かり、ここでの“We never ceased to admire the ingenious way in which the thatched roof is treated; ”という謂いも過褒でなく、心底、そう感じていることがよく分かる。]

 

M50

図―50
 

 日本の萱葺屋根の特異点は、各国がそれぞれ独特の型式を持って相譲らぬことで、これ等各種の型式をよく知っている人ならば、風船で日本に流れついたとしても、家の脊梁(むね)の外見によって、どの国に自分がいるかがすぐ決定出来る程である。画家サミュエル・コールマンはカリフォルニアからメインに至る迄どの家の屋根も直線の脊梁を持っていて、典雅な曲線とか装飾的な末端とかいうものは薬にしたくも見当らぬといって、我国の屋根の単純な外見を批難した。日本家屋の脊梁は多くの場合に於て、精巧な建造物である。編み合わした藁から植物が生える。時に空色の燕子花(かきつばた)が、美事な王冠をなして、完全に脊梁を被っているのを見ることもある。図50は手際よく角を仕上げ、割竹でしっかりと脊梁をしめつけた屋根を示している。軒から出ているのは花菖蒲の小枝三本ずつで、五月五日の男子の祭礼日にさし込んだもの。私はこの国で、多くの祭日中、特に男の子のための祭日が設けてあり、かつそれがかく迄も一般的に行われていること――何となればどの家にも、最も貧困な家にも、三木ずつ束にしたこのような枯枝が檐(のき)から下っていた――に心を打たれた。女の子のお祭りは三月三日に行われる。

[やぶちゃん注:「サミュエル・コールマン」“Samuel Golman”は不詳。識者の御教授を乞う。]

M51

図―51

 

 日本の犂(すき)は非常に不細工に見える(図51)。だが、見た所よりも軽い。鉄の部分は薄く、木部は鳩尾(ありさし)のようにしてそれに入っている。これを使用する為には、ずい分かがまねばならぬが、この国の人々の深く腰をかがめたり、小さい時に子供を背負ったり、田植をしたりする習慣は、すべて、非常に力強い背中を発達させる役に立つ。赤坊や小さな子供が両手の力を籍(か)りずに床から起き上るのを見ると、奇妙な気がする。彼等の脚は、腕との割合に於て、我々のよりも余程短い。これは一般に坐るからだとされているがそんな莫迦なことはない。

[やぶちゃん注:「鳩尾(ありさし)」(原文“a dovetail joint”)は合板をする際の技法である仕口(しぐち)の一種「蟻差(ありさし/ありざし)」のこと。主に板材の反りを防ぐために木目と直角に鳩尾形(きゅうびがた:凸凹の溝。蟻枘(ありほぞ)ともいう。)を彫ったものを同様の反転型に嵌め込むこと。]

M52

図―52

M53

図―53 

 

 この国の連枷(からさね)は我々のとは全く違う。柄は竹製、その末端を削って図52のように曲げ、そこに打穀部を取りつける。何人かがそろって連枷を使っているのを見るが、いい事に、この連枷は一つの平面のみにしか動かない。我国の連枷はどっちへでもくるくる廻る結果、下手な人がやると自分の頭を撲ったりするが、日本のだとそんなことは無い。穀物は家に近く、莚の上に奇麗にならべて日に乾す。鶏は自由自在に入り込むが、いまだかつて追っ払われるのを見たことがない。農夫は野から草や穀物を運ぶのに長い架(しょいこ)を使う(図53)。その架は人間の背よりも高いので、背中の上の方に背負う。人が休むと架の下端は地面に着く。穀物は大きな束にして縛りつけるので、小さな乾草架なら、一杯になって了うであろう。

[やぶちゃん注:「連枷(からさね)」(原文“flail”)唐竿・殻竿(からざお/からさお)。麦打ちとも。稲や麦などの脱穀に用いた農具。柄の先の枢(くるる)に打ち棒をつけて柄を振り、打ち棒を回転させて筵の上の穂を打つ。

「長い架(しょいこ)」(原文“long racks”)「しょいこ」は「背負い子」の音変化で荷物を括りつけて背負うための木製・金属製の長方形の枠。背負い梯子。「架」には棚状の物の他にも、広く物を支え保持する器具の謂い(「銃架」等)がある。但し、「架」を「しょいこ」と訓ずるのは必ずしも日本語では一般的とは言えない。]

 

 路に沿って我々は折々、まるい、輝紅色の草苺(いちご)を見たが、これは全然何の味もしなかった。今迄に私は野生の草苺を三種類見た。人家の周囲には花が群れて咲いている。蜀葵(たちあおい)は非常に美しく、その黄色くて赤い花はあまり色が鮮かなので殆ど造花かと思われる程である。いや、まったく、花束に入っていたのを見た時には、造花に違いないと思った。最も美しいのは石榴(ざくろ)である。門の内には繁く程美事な赤い躑躅(つつじ)の生垣があった。我国の温室で見るのと全く同じ美しい植物である。

[やぶちゃん注:「輝紅色の草苺」これはバラ目バラ科バラ亜科キジムシロ属ヘビイチゴ Potentilla hebiichigo と思われる。]

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