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2013/10/27

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 18 男体山山頂にて


M82


図―82

M83

図―83

 

 今や我々は絶頂から百フィートの所に来た。その一方の側は、千フィートをも越える垂直な面で、古い噴火口の縁である。絶頂のすこし下に真鍮で蓋った黒塗の頑丈な社がある(図82)。それを最高点から見た所は図83で示した。扉には鍵がかかっていたが、内部には仏陀の像があるとのことであった。前面の壇、即ち廊下には錆びた銭若干があり、絶頂近くには槍の穂や折れた刀身が散っていたが、いずれも何世紀間かそこにあったことを思わせる程錆びて腐蝕していた。見受ける所これ等に手を触れた者は一人もないらしく、私は誘惑に堪え兼ねて小さな錆びた破片二つを拾った。これは神社へ奉納したものである。図83に見える最高所には岩に深く穴のあいた所があるが、昔ここで刀を折った。それよりもっと珍しいのは、犠牲、あるいは、立てた誓を力強めるためにささげた、何本かの丁髷(ちょんまげ)である。話によると日本の高山の、全部とまでは行かずとも、殆どすべてには、神社があるそうである。驚く可き意想であり、彼等の宗教に対する帰依である。八月にはかかる場所へ、日出と共に祈禱をささげんとする人々が何千人と集る。その中にほ難苦を堪え忍んで、何百マイルの旅をする者も多い。私は我々の宗教的修業で、メソディスト幕営(キャンプ)集合以外、これに比すべきものは何も思い出せなかった。

[やぶちゃん注:「百フィート」約30・5メートル。

「何百マイル」100マイルは約161キロメートル。

「メソディスト幕営(キャンプ)集合」原文は“Methodist camp meetings”。メソジスト・キャンプ・ミーティングはメソジスト野営天幕集会又は伝道集会と訳され、アメリカ合衆国の開拓期にキリスト教の長老派教会から始まった集会様式。参照したウィキの「キャンプ・ミーティング」によれば、18世紀のアメリカにおいて、未踏の荒野への何千人もの移住は、ある種の宗教的真空状態を引き起こしていた。礼拝のできる家がほとんどなかっただけではなく、正規に任職された聖職者の不足はより深刻であった。「キャンプ・ミーティング」は、こういった状況のなかから現れた革新的な対応策』として登場したもので、『宗教的集会の開催は口伝えに広められた。当時の原始的な交通手段のために、これらの会合が居住地より数マイル以上離れたところで開催されるなら、出席希望者は外泊を覚悟せざるを得ず、適切な宿泊施設もお金もないにもかかわらず、彼らは開催期間中はその場所や近くでキャンプするなどして、居残ることを切望した』。『大規模な野外礼拝には、真摯な信仰的情熱と関心から多くの人が広い地域から出席し、または好奇心と困難な辺境地のでの開拓生活における休息のつもりでやってきた者も、その多くが改心させられた』。『彼らの日常から解放されての集会期間の間、これらの集会は、伝統的な礼拝様式とは異なり、出席者に切れ目ない礼拝を提供した。しばしば数時間を超える一人の説教が終わると、別の者が立ち上がって前の者に代わった。これらの会合は、アメリカ合衆国の第二次大覚醒として知られる信仰復興に多大な貢献をした。特に大規模で成功したキャンプ・ミーティングには、1801年のケンタッキー州ケーンリッジで開かれたものがあり、宗教回復運動(Restoration Movement)の発足とみなされるものである』とある。モースが実見したと思われるものに年代的に最も近いものとして『ニュージャージー州オーシャングローヴに、1869年に創立されたコミュニティは「Queen of the Victorian Methodist Camp Meetings」と呼ばれた。19世紀の終わり、心霊主義の信者もまたアメリカ合衆国中でキャンプ・ミーティングを催した』という記載があり、また『1815年、現在のオハイオ州トロントで、シュガーグローヴメソジスト監督教会の牧師であるJM・ブレイ師は、年に一度のキャンプ・ミーティングを始め、それは1875年に、現在のホロウロック聖霊キャンプ・ミーティング協会によって購入されたことで超教派となった。今日もキャンプ・ミーティングを運営しているその協会は、アメリカ合衆国に現存する最古のキリスト教のキャンプ・ミーティングであると主張する』という同協会のそれもその候補になろう。『アメリカ合衆国のキャンプ・ミーティングは長い間広大な規模で開催され続け、現在も開催されているものもある。主にペンテコステ派』(プロテスタント教会の内のメソジストやホーリネス教会の中から1900年頃にアメリカで始まったペンテコステ運動(Pentecostalism:聖霊運動)から生れた教団・教派の総称乃至俗称)『の集団だが、いくつかの他のプロテスタントや心霊主義の宗派も行っている。リバイバル集会(revival meeting)は、しばしば、辺境地の野外礼拝の精神を現代に再現した試みと論じられる』とある。]

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