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2013/10/10

僕と妻の那須路弥次喜多道中記

那須に二日間、湯治に行った。

茶臼山にロープウェイで登る。ガスって下界は見えなかったが、登ってゆく途中は少し紅葉の気分を味わえた。
着いて見ると山頂までは相当にあり(表示では800m)、両杖の妻にはとても無理なので、牛ヶ首分岐(山頂まではここから600m)の少し上まで独りで登ってはみたものの、見上げた山頂までの距離の往復を考えると下りで走っても一時間で戻るのは無理と思い(ロープウェイは30分おきにしか出ない)、断念して妻の所へとって返した(景色が良ければまだしも、あのガスの中では退屈であろうから)。しかも実は下るバスはと言えば一時間に一本しかなく、この早回しのスケジュールを採らないと、健脚で幾らでも歩く覚悟ならいざ知らず、我々のような非力な徒歩旅行者ではトンデモナイ驚愕の待ちぼうけを食らうことになってしまうのである。

一泊目は大丸(おおまる)温泉旅館という老舗であった。これは「日本秘湯を守る会」の宿」で、茶臼山の山麓奥にあって多少は時間が掛かるものの、秘湯と呼ぶほどには辿り着くのに困難な印象はない。

僕らの旅は一切合財が総て妻任せで、余程特別に僕の琴線に触れるものが事前に妻が示唆してでも呉れない限り、事前に調べることを迂闊な僕は全くしないのである。――その結果として翌日、鹿の湯の上手にある殺生石をバスとタクシーでスルーした時には敬慕する芭蕉先生には一寸悪い気がしたものだった(「那須野」で気づかねばならぬのに、殺生石のそばを通ることをさえ実に僕は認識していなかったのであった)。――

着いてみるとこの宿、先々代の当主が若き日に乃木大将の書生をしていたことから、乃木夫妻が毎年のように湯治に来ていた所縁の宿であることを知った。
乃木大将の所縁の品々がロビーに展示されており、書生だった当主に寄せた静夫人の手書きの書簡はとてもしなやかにしてしとやかな筆致であった。
奥の暗がりに自決の日の朝に別々に撮った礼装の乃木大将と静夫人の大きな写真が飾られていた。
これは9月13日の明治天皇大葬の日の自決の朝に撮ったものの複製と見えた。
その傍にある説明書きによれば、先々代ら書生は乃木から是非御大葬を見に行くようにと促され、その日の夕刻は休みをとって葬儀に参列し、留守にしていたとある。
僕の「眼は長い間、軍服を着た乃木(のき)大將と、それから官女見たやうな服裝をした其夫人の姿を忘れる事が出來なかつた」(夏目漱石「こゝろ」)。
きっと口を結んでひどく緊張の面持ちをしたその静さんは、この時とうに自身も夫とともに逝くことをとつくに決心していたものとみえる。
……中島敦の禁断の恋の相手の静さんといい……ここでまた出逢った『本当の』静さんといい、何か不思議な因縁のようなものを僕は強く感じざるを得なかった。……

この宿、露天は渓谷の上下に出来た「川湯」なのである。
これは単なる比喩ではない。正真正銘、3段(但し、2段目はちっこい。個人的には面倒臭いけれど一番上のものが山の斜面に向かって入っているうちに、熊や猪が今にも現われそうな、山中の隠し湯にいる気分で気に入った)に分かれた豪快な渓流そのままの露天なのである。
川(湯)底も石ころや砂地である(因みにこの川湯は混浴である。但し、女性専用が最上段に別にあり、それ以外にも女性専用露天はある。因みに僕は残念ながら混浴には全く興味がない。昔、伊豆北川温泉の黒根岩風呂で、むっちむちの若い女性が目の前を通り過ぎで、思わずどきっとした拍子に足を滑らせ、美事に脛を削って以来、混浴は大嫌キライである)。
海岸で転倒して右腕を粉砕した僕としてはやや足元の不安定が気になった(実際に翌日に掛けて6度ほど入ったが何度も足を挫きかけた)。
最初にそこの入った(まだ午後3時にもなっていなかった)折り、中年の筋肉質の男性が入っていたので、
「露天は足場がちょっと不安定ですね。」
と話しかけたところ、
「ハぁ?……へへ、はぃ。」
と妙な笑いをしながら答えた。……

この大丸旅館、この川湯もお薦めだが(足場が気になったもののやはり他では味わえない野趣に翌日には虜となった)――実は何より、食事が素晴らしいのである。

……今回の那須は二泊で、妻は不満を覚えるのを避けるため、二日目には絶対の本命馬たる那須塩原の老舗中の老舗山楽(昭和天皇が皇太子時代に泊まってその眺めが気に入って直近に那須御用邸を建てたという曰くつきの旅館)を押さえていた。しかし……
……先に言ってしまおう。
山楽の夕食は――そこに一泊単独で泊まったならば――恐らくは相応に老舗の味として満足出来るものであったことは保証する(実際に宿のアンケートには、幾つかの疑問点を記しながらも――それも概ね前日の大丸の夕食の面白さが完璧に尾を引いて比較せざるを得なかったからでもあるのだが――総ての「満足」に〇をした)。
……そうなのである。
……この料金的には決してハイ・ランクとは言えない(但し、あの周辺域では老舗なればこそグレードは最も高い)大丸旅館の、その夕食を食べたその新鮮な感動の後では――余りにも山楽の夕食は――定番の正統的な美食で「あった」/で「しかなかった」――というのが本音なのである(なお、この結果的ミスには珍しく頑固な妻さえも肯んじた)。

大丸の夕食の素晴らしさは、何より、如何なる一品も、最初から最後まで退屈させないオリジナリティに富んでいた、という稀有の点にあった。
それは恐らく――金額的に限られた食材を用いつつ、どうすればそれなりに目の肥えた、そして同時に「秘湯の宿」というイメージの属性である意外性や野趣を期待する客の思いを満足させ得るか――という当たり前の、しかし、最も困難な核心を実に真剣に、そしてすこぶる誠実な自由さで表現し得た結果である、と僕は信じて疑わないのである。
以下にその献立を示すが(頭の「御献立」が切れた。悪しからず)、ここには料理長の名も記されてはいない(但し、旅立つ前日にたまたまTVで放映された番組(これには実は山楽も取り上げられていたという)で妻が見た感じでは40代前半の若い料理人であったと聴く)。

Oomaru
この中でも絶品は、栃木牛のしゃぶしゃぶ用二色鍋に用いられた胡麻味噌仕立ての牛蒡スープである。
僕は胡麻味噌を実は好まない。ポン酢さえ好まない。普通なら一切使わずに塩で食うのが常である(刺身も同様で私は醬油を用いない)。でないと本来の肉の旨味が消えると信じているからである。ところが――このスープ――驚くべき異様な美味さなのだ! しゃぶしゃぶを終わった後、僕は鍋から残ったスープの、アクの浮いたのもものともせず、総て移しとって飲み干したことをここに告白しておく(翌朝までにこのレシピを教えて貰う約束をしたのだが、仲居さんが忙しさの中で忘れてしまい、誠に残念であった)。
その他の山中ならではの、茸や山菜の新鮮さは言わずもがなである。温泉水仕込みの日本酒(これなかなか侮れない味である)を始めとして地酒のラインナップも豊かである。

大丸旅館――これは是非とも足を運ばれたい。ハイソな世界とは無縁な(但し、それ向きの特別室はある)まさに「秘湯の宿」である。言っておくが、無論、僕は大丸旅館の廻し者でも何でもない。全く以って素直に言わずにはおれない故にここに記した。

翌朝、宿を後にした送迎の車窓から何気なく見ていたら、宿の庭師が作業をしていた。その彼が向き直ってこっちを見た。
昨日、露天の足場の悪さを僕が告げた人だった。恐らく、彼は川湯の構成の担当者でもあろうという気が直感的にした。それがあの、「ハぁ?……へへ、はぃ。」であったことにその瞬間、気がついた。あちゃぁ…………

昼まで時間がある(昼は那須ならではの蕎麦をと目論んでいたところが、水曜定休の店が異様に多く、妻の足の関係上、場所も次の山楽に近くなくてはならないから、仕方なくガイドプックにあった――先日の福島で鬼門となった――イタリアン・レストランを予約していた)。
古くからの立ち寄り湯である鹿の湯へ行く。
低温から高温まで現在は男湯で6種の温度が配された強い硫黄泉である(但し、酢ヶ湯ほどではない)。
僕は比較的高温の湯には強い方だと思う。但し、唯でさえ頻拍である拍動が高まるので熱いからではなく、落ち着かなくなって長湯は出来ない。ここでも44度が普通に入って好い感じ。46度も大丈夫だったが、流石に48度は腕を入れて開いた途端に掌が耐えられる熱さではなかったので入れなかった。それでも46度が平気だったから何日か湯治に通えば48度にもマゾヒスティックに馴れるかもしれないなあとは思ったが、高温の湯船の周囲に「俺はここに入れるぞ」というギョろついた目つきのサド公爵のようなマゾ御仁が屯っているのは何だかゆっくらと湯につかりたい気分を台無しにする。男というものはどうも妙なところでマゾヒストで子供染みているものだなんど一人合点したものである。

鹿の湯までタクシーを呼んでイタリアン・レストラン「ラ・ヴィータ・エ・ベッラ」へ行く。
着いて吃驚り――妻は「何だかちっちゃな店みたい」などとガイドブックの写真から美事な勘違いをしていて僕もそれを勿論、無批判に真に受けていたから――これは硫黄臭をプンプンさせて来るところでは――ない――それこそサド侯爵の城カイ! と突っ込みたくなるシロモノで、そもそもが「ミッシェルガーデンコート」という結婚式場の併設レストランではないカイ!――とまあ……若い教え子諸君などはとっくにご存知なのだろうが……そこにバチガイな我ら二人がご来場という次第で……。他の三組中の二組はどう見ても結婚式プランニングのための下調べらしく(もう一組は那須のセレブ別荘族の老夫婦ぽいカップル)、教会見たような部屋で我々二人だけが完全に服装硫黄臭ともに完璧なバチガイ・カップルであった。
しかも、ここ、どう考えても車以外ではこれないところなのに、「ワイン・メニューを」と頼んだら、「グラス・ワインはハウス・ワインのみとなっておりますが……」と言うから、「いや、フル・ボトルですよ」と答えれば、向こうは恐縮、「水いらない。グラスは二つ」とやらかすのは、これ、どうも「ここ」ではトッテモ尋常ではないようなのだ。……
――しかし!――何と! ここで僕は永く食べたかった食材を口にする機会に奇しくも巡り逢ったのであった!
それはパルマでも幻の生ハムと呼ばれるクラテッロ(culatello)なるものであった。コースのオプション追加(¥1000)であったが、何かが「食うべし!」と命じた。
出てきた時に、思わずその一片を掌に包んで嗅いでみた――知られたパルマやサンダニエーレなんか眼じゃない!
――一口含んだ、その瞬間――
――震えた――
――これこそあのベルナルド・ベルトルッチの「暗殺のオペラ」の生ハムだ!
――と直感したからである
……無論、映画から臭いがした訳ではない……
――永く、あの焼きついた映像の中で熟成された臭い(これは断じて「匂」ではなく「臭」なのだ)がしたのである!(確認はしていない。これはもう僕の霊感的思い込み以外の何ものでもないのである)
豚のお尻の肉を赤ワインに漬けたりして熟成させたものでトンデモナく美味い!!!
――これはカケ値なしに「美味い!!!」
――エクスクラメンション・マーク3っつ――である!!!
このクラテッロ、限定製造でしかも日本に輸入される分の半分近くをこの「ラ・ヴィータ・エ・ベッラ」の監修シェフ石崎幸雄が買っているとのこと。彼の店に行く機会があったら、これだけはお見逃しなく! 慄っとするほど美味なること間違いナシ!

中世貴族のお城みたようなそこを後に、大荷物を担いだ下男と杖の姫が秋の那須野の林道をとぼとぼと歩いては停まり、停まっては歩く。

幸い、雨に逢うこともなく、何とか山楽へ到着した。恐らく、あの旅館に歩いて来る客はまずいないんじゃないかと思う。そんな高級旅館ではある。
しかし、先に記した昭和天皇皇太子の砌りの話を採り上げずに(但しほぼ同じ箇所から引いている――それも昨日の旅館のある大丸近くから――「御用邸と同じお湯です」とは浴場に書かれてはいるが)針生さんという老女の懐古談が、掲げられているのには、共感を覚えた。
そこには――
黒磯の近くに埼玉(さきたま)飛行場があって昭和20年5月頃から、ここから14、5歳の少年航空兵が特攻隊として出撃していった。その出撃前夜には、この山楽で酒宴が開かれたが、その特攻兵のつける日の丸を赤インキで作ってあげていたのが看護婦で針生さんの姉で、そのお姉さんの述懐の中に山楽の宴席で思わず、一人の特攻兵が「誰もいさぎよく特攻してゆく勇気なんて実際にはないんだ」と呟いた……
といったことが書かれていたのである(因みに昭和4年生まれの僕の父もまさにそうした少年航空兵の一人であったことはブログを始めたずっと昔に書いた)。
……僕と妻はその記事をなにか遠い昔の自分たちの経験ででもあったかのようにしみじみと読んでいたのであった……。

最後に。
先に料理のことではゴタクを並べたが、無論、ここは那須ではもうぶっちぎりの名宿である。森の奥の雰囲気の露天はすこぶる落ち着く。まず以って裏切られることはない。しかし乍ら僕のこの度の体験から言うならば、ここに一泊して、翌日、大丸へ行かれたがよい。さすれば間違いなく幸せにして完璧な120%の満足を得ることを僕と妻は確かに約束するものである。――

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