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2013/10/17

中島敦 南洋日記 九月二十三日

        九月二十三日(火) コロニヤ

 お彼岸なり。五時起床、七時前教員補來る。青木氏不參。宮野氏、洋二君同道、ジョカージに向ふ。密林中の道を行く、綿の木(カボック)椰子等見事なり、晝顏の淡紅色、點々。

 村に至り土人の家に休息す。四歳ばかりなる兒二人、相竝んで、コンニチハといふ。可愛。その母親も(未だ二十歳前ならんか?)出で來り、る。饗應さる。始めてパンの實の石燒を喫す。味良し。椰子水、バナナ。このバナナはラカタンとて最上種なる由、但し、やゝ熟し過ぎたり。犬數頭、豚數尾、雞あり、猫あり、獨木舟と椰子殼と鍋釜等の雜然たる間に、とびまはり、ねころび、叫び走る。犬はコプラを好むと見えたり。パンの實は喰はず。

 凡て此家の家人、容貌整ひたり、外人の血混れりと覺ゆ。村の入口の家にて、又休憩、村長の家(但し本宅に非ず)なり。正面中央に一老婆傲然と踞坐して喫煙しつゝあり。女王の如し、村長の母親なりと。男子二三、女子二人、中の一人容貌端正なり、村長の妻といふ。一兒あり 十歳ばかり、絶えず舌を出し、幼兒の如くベロベロ音を立てつゝ手をふり足をする。白痴なるべし。「その兒病氣か?」ときけば、村長の妻「頭が惡い」といふ。「生れた時から?」「生れた時は良かつた」

 この家にも犬多し(註)、食用に供するなりといふ。カンナ球根、クロトン、椰子實等を貰ひて、十時前、歸る。たか・桓に手紙を書く。

 

(註)犬肉食はタヒチ、ハワイ、ニュウジイランドにも

 行はる、カヷ酒(シャコア)飮用と共にポリネシアより

 來りしならん。――ミクロネシア民族誌――

 

 午後三時、乘船、明日未明の出帆なりと。

 今日始めて文塾春秋九月號を見る。朝日新聞、土屋淸の名、座談合に見ゆ、但し、全部に亙り削除のみ多くして、興味をそぐこと甚だし。

 

    * 喫煙室雜談抄、

○前田氏、一友とアラカべサンに遊ぶ。途に一童(島民)あり、ピスカンを手に魚を突く。偶〻頭をあげ、此方を向いて微笑す。友人、忽ち、前田氏をひいて、強ひて其の場を去らしむ、後、語つて曰く、「あれは、實は、俺の子なんだ」。

 この類の話、洵に多しと聞く。

○ペリリュウの島民の富豪の一子、東京に遊學す。放蕩無賴、内地の一婦人と姻を通じ、伴うて南洋にかへる。この男、肺を病み、サイパンの病院にて死す。婦既に孕む。内地に歸るを肯んぜずして、ペリリュウなる男親の家に行く。大酋長の家と聞かされて/かねて、想像に畫きをりしとは事變り、陋穢住むに堪へず、泣く泣く内地に戻りしと。

○サイパンの病院の一看護婦(内地人)、自動車の運轉手(島民)と通じ、今も尚同棲す、その家、純然たる島民家屋にして、板の間に薄緣をも敷かず、子等は裸・はだしにて走り廻り、その母親たる内地の女も、恬として顧みざるが如しと。他の内地人の目より見れば、本人は、些かも意に介せざるを見れば、島民男のサーヴィスは餘程宜しきものかと、人々嗤ふ。

[やぶちゃん注:判読の便を考え、「註」の前後及び「*喫煙室雜談抄」の前に空行を設けた。「註」底本の字配を用いた。

「パンの實」双子葉植物綱イラクサ目クワ科パンノキ Artcarpus altilis の実。属名はギリシア語でパンを意味する“artos”と果実“karpos”からなる。無核種はタネナシパンノキ(英名:Breadfruits tree)、有核種はタネパンノキ(英名:Bread-nut tree)と呼ぶ。ポリネシア原産で高さ十五メートル程度まで大きくなる。葉は大きく七~九裂の掌状。雌雄異花。葉が大きくよく茂ることから熱帯地方では日陰樹として公園や庭園・街路樹として植えられる。果実は黄色、黄褐色で直径一〇~三〇センチメートルで、枝先に二、三個ずつ着生し、成木からは年間五〇~二〇〇個を得ることが出来る。繁殖は種または分根により、定植後四~八年で結実する。果肉に澱粉を含み、蒸し焼き・丸焼き・薄切りなどにして焼いて食用とされ、火で乾燥させてビスケット状にすれば長期に貯蔵することも可能である(果肉を葉で包んで土に埋めて発酵させるという長期保存方の食べ方もある)。味はサツマイモに似ているとされる(以上はウィキの「パンノキ」に拠った)。

「ラカタン」種は、本邦で一般的に我々がバナナとして食すキャベンディッシュ種と色や形はよく似ているが、一回り以上小ぶりで、クエン酸が平均してキャベンディッシュ種の凡そ一・五倍含まれていることを大きな特徴とする。そのためにまったりとした甘さではなく、ほのかな酸味を持っていて口当たりもさっぱりとして、この酸味が高い糖度の甘みを引き立てて、結果的に濃厚な味わいを感じることが出来るという。また、果肉の色もキャベンディッシュなどのように白っぽい色ではなく、ややオレンジがかったような濃い色をしている。本邦には食品メーカーの「ドール」が、「スポーツバナナ・ラカタン」というキャッチ・フレーズで二〇〇九年三月から本格的に輸入販売を始めるようになった(以上は「旬の果物百科」の「ラカタン(バナナ)・スポーツバナナ:バナナの品種」に拠った)。

「コプラ」(英語:copra)は単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ココヤシ Cocos nucifera の果実の胚乳を乾燥したもの。灰白色で約四〇~六五%の良質脂肪分を含む。

「クロトン」一応、被子植物門双子葉綱キントラノオ目トウダイグサ科コディアエウム属クロトン Codiaeum variegatum に同定しておく。別名ヘンヨウボク。スンダ諸島・インド・ジャワ~オーストラリア・モルッカ諸島・マレー半島などアジア・オセアニアに分布する熱帯性の常緑低木。葉は黄色や赤・オレンジ色の様々な模様が入って非常にカラフルなため、古くから観葉植物として親しまれており、熱帯地域では庭木としても利用される。雄花と雌花を咲かせるが、孰れも小さくあまり目立たない。以前はクロトン属に分類されおり、その名残で園芸では現在もこの名前で呼ばれる。葉の大きさや色・形に多くのバラエティーがあり、百を超す園芸品種がある(ここまでは京都けえ園芸企画舎すくーでりあのサイト「ヤサシイエンゲイ」の「クロトン」に拠った)。但し、クロトンは他にもインド及びマレー諸島に自生する同じトウダイグサ科ハズ Croton tiglium(劇薬で強い皮膚剥離作用を引き起こすハズ油を採取する。これはウィキの「ハズ油」によればケミカル・ピール(化学薬品を使った皮膚の剥離)による若返りのために用いられたり、実験動物に対して痛みや鎮痛・抗炎症薬・免疫学の研究のために使用されているという)をも指す。

「カヷ酒(シャコア)」カヴァ(kava)酒。双子葉植物綱モクレン亜綱コショウ目コショウ科コショウ属カヴァ Piper methysticum の根を乾燥させて粉状にして水に混ぜるか或いはそのまま水で揉み出したものを漉した泥水様の液体。以下、ウィキの「カヴァ」によれば、メラネシアからポリネシアにまたがるフィジー(フィジーではヤンゴーナと呼称)・トンガ・サモアなどで常用される嗜好品で向精神性薬物で、「カバカバ」「カバ」「カヴァカヴァ」などとも表記される。また、このカヴァを使った儀式もその名で呼ばれることがある。植物としてのカヴァ(ヤンゴーナ)植生域はハワイからニューギニアまでと広く、その飲用物としてのカヴァの効果は鎮静作用を主とする。アルコールは含有しないが、酒に酔った時のような酩酊感があり、飲用時には口内の痺れを覚えることが多い。カヴァは現在、南太平洋諸島域その他の多くの国々で規制されずに飲用に供され、向精神性薬性を持つものの合法薬物ということになる。但し、カヴァの成分を抽出し製造されたサプリメント剤による重篤な肝臓障害を含む健康被害が欧米諸国で発生しているとされ(これらの例には専門家による疑問の声もある)、医薬品として規制管理されつつあり、日本においても厚生労働省は二〇〇二年十一月付で販売監視強化の通達を各都道府県に出している。肝機能障害などの副作用はクサノオウ・セイヨウオトギリソウ・エキナセアや紅茶きのこ・混合中国ハーブなどのハーブと併用した場合に発生しているという報告が複数あるとする。米国ではサプリメントとして販売されているが、米国ハーブ製品協会は、妊娠中に使用しない・授乳期間中に使用しない・特定の使用制限のあるハーブにランクしている。カヴァは複数の社会で宗教的・社会的な儀式に用いられ、重要視されてきた。ハワイ語では“'AWA”(アヴァ)と称し、現在では儀式として用いることもあるものの、二日酔い止めの薬として使用されているようである(この部分には要出典要請が求められている)。

「たか・桓に手紙を書く」たか・桓の順で以下に示す。

   *

〇九月二十三日附(消印ボナペ郵便局16・9・23。ポナペ島にて。東京市世田谷区世田谷一丁目一二四 中島たか宛。封書。)

 九月二十二日、未明(みめい)にポナペ着、朝食前に(支廳の艀舟(はしけ)が來たので)上陸。まだ七時半頃なのに、もう何處でも朝食を作つて呉れる所がない。といふのは、夜が明け、六時には役所学校が始まるのだから七時半なんて、もう晝に近い(?)頃なんだ。やつとすしやへ行つて鮨(すし)で朝食を済(す)ます。支廳では、地方書記の宮野氏の家に僕を泊らせるように手配しておいたといふ。そこで宮野氏の家に行つて、御厄介にな晝食。後、宮野氏の案内で公學校國民學校を覗いて見る。ポナペは大きな島だ。山がある。かなり高い(二千尺位の)山が。瀧も川もあるさうだ。南洋で一番大きな島(といつても、本當は、たかが知れてるが)なんだ。又、南洋で一番雨の多い所、南洋で一番涼しい所だ。街を一廻りして宮野氏宅に歸り、入浴、晩食、これから一週間ぶりで、陸上で採る所だ。大變親切にして頂いてるんだが、さて、どうお禮をしたものか、(宿屋ぢやないから、失禮なことも出來ないし)これが今から頭痛の種だ。

 所で、僕の豫(ヨ)定表が變るよ。笠置丸がいよいよ缺航で、次の横濱丸を待たねばならぬから、大體十月七日パラオ丸下船後が次の樣に變る。

  十月七日――一一パラオ丸よりトラック島に下(げ)船。これか

 ら十月下旬(二十八九日頃)までトラック滯在。各島々

 を觀察、

  十月下旬――トラックより横濱丸(ヤルート行)に乘

 船。後戻(アトモド)りをする。

  十月末――再びポナペで横濱丸より下船。十一月十日

 過頃迄ボナペ滯在。前に見殘した所を觀察、

  十一月十日頃――ボナペより横濱丸(横濱行)に乘船。

  十一月中旬――サイパン着。横濱丸より下船、ここで

 十日ばかり滯在して、都合の良い飛行便でパラオに歸る。

 トラック・ポナペ間を二度往復するのは莫迦(バカ)げてるやうだが、ポナペは中々大きな島でパラオ丸の往(ゆ)きと歸りとだけの四日間だけでは見きれないからだ。右のやうにすると、すつかり見られる。船が缺(ケツ)航のお蔭で却(かへ)つて、よく觀察できるわけだ。その代りパラオへ歸るのが一月近く遲れる。或は十二月になるんぢやないかと思ふ。

◎この宮野氏の家には九つになる男の兒がある。桓と同じ二年生。南洋の兒だけに桓の樣にマセテはゐないが、する事や云ふ事は大體似てゐる。宮野氏が山口縣の人だといふから田中忠勝(順ちやんの御亭主)氏のことを話したら、大變良く知つてゐるといふ。隣村なんださうだ。士官學校時代迄は知つてゐると言つた。世間は狹いものさ。

 九月二十三日。五時起床(といつても此處では寢坊の方だ)。今日、お彼岸で、學校の見學も出來ないので、ジョカージといふ島民部落を見に行つた。往復三時間ばかり。大變面白かつた。案内は、公學校の教員補。(土人だがで、教育のある者で、公學校の(日本人)先生の補助をする者。勿論月給を貰つてる)同行は宮野氏と、其の息子。

 密林の中を斫(き)り開いた路を通つて行くんだが、椰子や、綿の木(カボックといふ。椰子よりも大きく高い)やマンゴーの大木が、パラオなどより、ずつと見事だ。部落へはいつてから、土人の家に寄つたら、御馳走してくれた。始めてパンの實をたべた。うまいね。おいもとパンの間ぐらゐの所。蒸し燒にしてくれたんだが、いや味がなくて大いに宜しい。之とコーヒーとの朝食なら、僕は喜んで喰べるね。パンの實のほかに、椰子の水、バナナ等も出してくれた。四つ位の男の子と女の子とが竝んで「コンニチハ」といふ。かはいいつたら、ない。(この者たちは混血なんだ。顏立が良すぎる。一般にポナべに來て氣が付くことは、西洋人と土人との混血の大變多いことだ。立派な顏をしてるのがゐるよ。あれで背廣でも着て出てきたら(脊も高いしね)實に堂々たるものだと思はれる混血土人が(鼻は高いし、色は日本人ぐらゐだし)ハダシで泥の中を歩いたりしてゐる。この子達のおつかさん(まだ二十になつたか、どうか)も中々良い顏立だ。日本語が良く判る。公學校へ行つてたのか? と聞くと、ハイ、と云つた。庭にはネ、犬が六七匹、豚が十匹位、雞が七八羽、猫が二匹ほど遊んだり、寐ころんだりしてる。犬が澤山ゐるのは、食用にするためなんだ。どんな味が、するものかね。

 ポナペでは何處へ行つても(老人も子供も)僕等に向つて必ず、テイネイに禮をして、「コンニチは」とか「オハヤウゴザイマス」といふ。小さな子供にいはれると、嬉しいよ。頭をなでてやるよ。さうすると、ニヤリと笑ふよ。かはいいもんだね。とにかく、ポナペ土人の容貌はパラオ土人に比べると、ダンチに優れてゐる。

 今日午後、パラオ丸に歸る。船は明朝暗い中に出るさうだ。

 二十三日午前十一時、宮野氏宅にて、

 

 ポナペの島は、徒歩で廻ると八日間かかるぐらゐの大きさだ。だから、トラックあたりの小島から來ると、隨分大きいと思ふね。今、この家の窓から見渡すと、向ふに高い山々がつらなり、その麓(フモト)一帶、ずうーつと椰子林になつてゐる。何萬本あるか、しらぬが、見事なものだ。パラオなどでは見られぬ景色だ。同じ南洋でもこゝまで來ると、花や鳥の種類が大分違ふ。椰子でもバナナでもパラオとは種類の違ふのがある。

 それに氣候も大分涼しい。昨夜も大變涼しかつた。夜中に咳が出た位。ワイルス氏病といふ恐ろしい病氣がこの島(それと、明後日上陸するクサイ島とに)ある。溜り水、沼地などに踏込んだ時、足から、菌がはいつて來るんだ。黄痘(ワウダン)みたいになり、おしつこが出なくなつて死んぢまふ。近頃は早く氣がつけば、注射で救はれるさうだ。但し、僕なんぞが見て廻る所に、そんな危險はない。

 この島にも日日草が澤山咲いてゐる。お前が新池から持つて來たことのある千日坊主も。カンナも多い。名の判らぬ蘭科の植物の花を大分見受ける。ヒビスカスはパラオ同樣。

(これ迄の手紙は横濱丸が十月十日頃迄に持つて行くだらう。これ以後は僕の今乘つてるパラオ丸が運ぶことになる)

   *

以下にこの書簡の注を附す。

・「二千尺」六〇六メートル。カロリン諸島旧ポナペ島、現在のミクロネシア連邦ポンペイ州ポンペイ島(Pohnpei)は平均直径約二四キロメートルの東西にやや長い円形の島で、周囲には堡礁が発達し、ラグーン内の二十五の小島とともに島のほぼ全周を囲んでいる。面積は約三三〇平方キロメートルでミクロネシア連邦最大の島で地質時代の火山島に由来し、ここで敦が言っているのは島のほぼ中央に位置する最高峰のナーナラウト山(Nahnalaud:大きな山の意)。標高は敦の目視は外れで七九八メートルある。なお、この山はミクロネシア連邦の最高峰でもある。その他にもそのすぐ南にあるギーネニ山(Ngihneni:霊魂の歯の意。標高七九一メートル)ど、五〇〇メートル以上の山々が中央部に聳えている。敦が言うように雨が多いため四十に及ぶ川があり、島の至るところで瀧が見られる(ケプロイ滝・リトゥトゥーニヤップ滝が有名)。本島の海岸線は殆どがマングローブ林で、白砂のビーチはラグーンの島々で見ることが出来る。島の南西約十キロメートルの地点にアンツ環礁(Ant Atoll)、北西約三十キロメートルの地点にパキン環礁 (Pakin Atoll)があり、現在は孰れもダイビング・スポットとして名高い。因みに「ポンペイ」とはポンペイ語で、「石積み(pehi)」+「の上に(pohn)」という意である(以上はウィキの「ポンペイ島」に拠った)。

・「横濱丸」日本郵船の所有の貨客船。昭和一七(一九四二)年三月十日にニューギニア島サラモア沖で上陸作戦中に空爆により沈没した(戦時徴傭されたものと思われるが確認出来なかった)。

・「ワイルス氏病」病原性レプトスピラの感染による人獣共通感染症である黄疸出血性レプトスピラ症のこと。特にヒトの場合の重症型に対してワイル病と呼称することが多い(「ワイル」は一八八六年にドイツの医学者アドルフ・ヴァイル(Adolf Weil)により始めて報告されたことに因む)。古来より秋疫(あきやみ)・用水病・七日熱(なぬかやみ)等の名前で呼ばれたが、この黄疸出血性レプトスピラ(ワイル病)の他現在は秋季レプトスピラやイヌ型レプトスピラなども含む。感染症法の四類感染症で家畜伝染病予防法の届出伝染病にも指定されている。と畜場法においては全頭廃棄の対象となる病気である。レプトスピラ症はスピロヘータ目レプトスピラ科レプトスピラ属に属するグラム陰性菌のレプトスピラ(Leptospira)・レプトネマ(Leptonema)・ツルネリア(Truneria)の病原株を原因とするもので、好気的環境を好んで生育し、これらの下株は、中性から弱アルカリ性の淡水中や湿った土壌中で数カ月は生存出来るとされている。鼠などの野生動物を自然宿主とし、ヒトだけでなくイヌ・ウシ・ブタなど殆どの哺乳類に感染する。腎臓尿細管などで増殖し、排泄物を経由して汚染された水や土壌から経口・経皮的に感染する。ヒトからヒトへの感染は起こらない。ヒトへの感染は潜伏期間が三日から十四日ほど、悪寒・発熱・頭痛・全身性倦怠感・眼球結膜の充血・筋肉痛・腰痛など急性熱性疾患の症状を示すとされる(これらはツツガムシ病や日本紅斑熱に似た症状でもある)。軽症型の場合は風邪と似た症状でやがて回復するが、ここで敦が述べるような重症型(ワイル病)では、五~八日後から黄疸・出血・肝臓障害・腎臓障害などの症状が見られ、エボラ出血熱と同レベルの激烈な全身出血を伴ったり、播種性血管内凝固症候群(出血箇所のみで生じるはずの血液凝固反応が全身の血管内で無秩序に起こる病態)を引き起こす場合もある。重症型の死亡率は五〜五〇%とされる。但し、初期の把握痛や結膜充血及び進行して発現するとされる黄疸・点状出血・肝脾腫など特徴的な症状を示さないケースもあるという。中南米・東南アジアなどの熱帯、亜熱帯地域での流行があり、東南アジアの流行は七~十月に集中する。特に被害が深刻なのはタイで年間数千人規模の流行が現在もみられる。日本では一九七〇年代前半までは年間五十名以上の死亡が報告されていたが、近年では患者数・死亡者数とも激減し、各地で散発的に認められる程度となっている(近年の大きな集団感染の例は一九九九年の沖縄県八重山諸島で確認されているのみ)。感染者は下水道工事関係者や畜産関係者などの患者が多く、職業病の一つとされる。また近年では海外渡航者の増加に伴い、流行地からの輸入感染例が報告されており、海外からの家畜や伴侶動物などの輸入を介して国内にレプトスピラが持ち込まれている可能性も指摘されている。近年の海外のケースではトライアスロンなどのウォーター・スポーツによる集団発生や、二〇〇九年十月のフィリピンでの台風による集中豪雨によるマニラ首都圏の冠水後の蔓延による同感染症による八十九名の死亡例がある。治療には主に抗生物質が使用され、軽症型にはβラクタム系・アミノグリコシド系・テトラサイクリン系が、重症型ではストレプトマイシンやペニシリン系の抗生剤が使用されることが多い。但し、投与後に発熱・低血圧などのショック症状であるヤーリッシュ・ヘルクスハイマー(Jarisch Herxheimer)反応(梅毒・レプトスピラ症・回帰熱などの治療のためにペニシリンなどの抗生物質を投与した際に身体に起こる反応(副作用)を指す語で、全身性倦怠感・発熱・頭痛・悪寒・筋肉痛・頻脈・体温の上昇・呼吸切迫・血圧低下・一時的な病変部位の悪化を示す。一般には投与後二時間前後から始まり、通常ならば一~二日で回復する。体内の病原の細菌などが一斉に大量死滅・破壊を起こして毒素が短時間で血液中に放出されることが原因と考えられている)を起こす場合がある。病原性レプトスピラは五十度十分間の熱で死滅するほか、乾燥やペーハー六・八以下の酸に弱いため、次亜塩素酸ナトリウム・ヨード・逆性石鹸などによって消毒が出来る(但し、耐低温性を持つ)。予防には血清型が合致する菌に対しては六年程度免疫が有効となるとされるワイル病秋疫混合ワクチンがあるが、これは初回に一週間間隔で二回、更に一年後にもう一度接種する必要があり、しかも確認されている病原性レプトスピラの血清型は二五〇以上あるのに対し、現在のワクチンはその内のたった五つの型にしか対応していない。軽症型の治療にも使われるドキシサイクリンなどのテトラサイクリン系抗生剤は予防に効果があるものの、長期に亙る服用は奨められないとされる(以上はウィキの「レプトスピラ症」他同リンク先記載に拠った)。

・「新池」妻たかの郷里である愛知県碧海郡胃依佐美(よさみ)村新池(しんいけ)。現在は刈谷市半城土町新池。

・「千日坊主」双子葉植物綱ナデシコ亜綱ナデシコ目ヒユ科センニチコウ(千日紅) Gomphrena globosa の別名。Gomphrena 属はアジア・アフリカ・オーストラリアの熱帯地方とアメリカ合衆国南部から南米にかけて百種近くが分布し、春播き一年草の園芸植物として人気が高い。草丈は凡そ五〇センチメートルで全草に粗い毛が生えている。花期は七月~九月で直径二~三センチメートルの松かさを少し押し潰したような形の苞が咲く。改良品種は紅・白・紫・朱色・樺色・ピンクと多彩で、花序の中心部が白いボカシになる品種などもあり、仏花やドライフラワーに最適とされる。特に近縁種のキバナセンニチコウ Gomphrena haageana の改良品種で鮮やかな朱色を呈する「ストロベリー・フィールズ」は人気種である(以上はウィキの「センニチコウ」に拠った)。

・「ヒビスカス」ハイビスカスのラテン語風の読み。広義にはアオイ目アオイ科フヨウ属 Hibiscus に属する花や植物の総称(“hibiscus”(ヒビスクス)は古ラテン語でタチアオイの仲間を指す言葉であったが近代になってタチアオイ属と同じアオイ科に属する別の仲間フヨウ属を指す学名に転用された)。日本では狭義にはその中でも熱帯及び亜熱帯性の幾つかの種がとくに「ハイビスカス」と呼ばれ、南国のイメージを纏った植物として広く親しまれている。園芸用観賞用として幾つかの種が「ハイビスカス」として流通するが、その代表的なものはブッソウゲ(仏桑華)Hibiscus rosa-sinensis である(以上はウィキの「ハイビスカス」に拠った)。

・「クサイ島」現在のミクロネシア連邦のコスラエ州コスラエ島の旧称(ここは他のミクロネシア連邦の州と異なり、コスラエ島のみで一つの州を成している)。以下、ウィキの「コスラエ島」によって概説しておく。以前はレラ島が離れて存在したが、現在は「コーズウェイ」と呼ばれる道路で繋がっている。タフンサック・レラ・マレム・ウトエの四行政単位に分かれるが、タフンサックの中には陸路がなく海からしか行けないワラン村が、レラの中には州都のトフォール村も含まれる。島の内部にはジャングルが広がり、島人は海岸沿いに居住している。年間を通じて二五~三二度ほどの気温である。敦はワイル病の島として紹介しているが、現在の同島は一九九八年にデング熱が流行したものの、一般的には疫病は皆無である、とある(但し、島内には州立病院が一つだけあるが、医療レベルは低く、病院内の衛生状態も悪い)。『プロテスタント系の一派が、ほぼ全島民の信仰を集める。信仰心は高く、日曜日は安息日として海に入ること、仕事、魚釣り等が禁じられており、観光客が知らずに遊んでいると、住民に怒られる。家庭では料理もしないのが普通で、前日に作り置いた、ココナッツスープで煮込んだお粥を食す。コスラエ人が営業する店はすべて日曜は休みである。オーストラリア人やアメリカ人が経営するホテルのレストランは日曜日も営業しているが、ビールなど酒類は購入できない』。『住民は日曜には教会に集まり、礼拝する。賛美歌を通して合唱の文化が育っており、知らない歌もすぐに合唱する。クリスマスには各地の教会でマーチが行われ、「1組」「2組」など、日本統治時代の「隣組」に分かれて組ごとに競い合う』。『宗教上の地位が、社会的な地位を上回ることもあり、宗派の戒律である「酒を飲まない・たばこを吸わない」ことが上に立つものの条件とされる』。『英語とコスラエ語が通用する。年輩の男性の中にはきれいな日本語を話す人も多いが、年と共に減っている。太平洋戦争後はアメリカ合衆国の統治下にあり、高校では英語で授業が行われるのが建前であるが、生活言語はほぼ100%コスラエ語であるため、現実にはコスラエ語で行われている事が多い』。なお最後に、上記記載中のデング熱についてウィキデング熱」を参照した注を施しておきたい。デング熱(英語:dengue fever)はデング・ウイルス(Dengue virus)を病原体とする熱帯性感染症の一つで一過性の熱性疾患(感染しても八割は無症状で、それ以外も軽度の症状、例えば合併症を伴わない発熱症状が現れるだけが殆どである。但し、五 %の感染者で重症化が起こり、さらにその一部では生命を脅かすこともある、とある)。発熱・頭痛・筋肉痛・関節痛・はしかの症状に似た特徴的な皮膚発疹などを主症状とする。英語では“break-bone fever”(骨に激しい痛みを伴う発熱)と言い、重度の疾患に対しては「感染性血小板減少性紫斑病」(infectious thrombocytopenic purpura)」や「フィリピン出血熱」「タイ出血熱」「シンガポール出血熱」という別称がある。昆虫綱双翅(ハエ)目長角(糸角/カ)亜目カ下目カ上科カ科ナミカ亜科ナミカ族ヤブカ属ネッタイシマカ Aedes aegypti やヒトスジシマカ Aedes albopictus などの蚊によって媒介される(但し、ヒトスジシマカはヒトを主な吸血対象としないため、デング熱の媒介は稀である)。このウイルスには四つの異型があり、ある型に感染すると、通常その型に対する終生免疫を獲得するが、他の型に対する免疫は短期間にとどまる。また、異なる型に続けて感染すると、重度の合併症のリスクが高まるとある。『デング熱が文献に現れるようになったのは1779年からであり、ウイルスが原因であることや伝染経路について解明されたのは、20世紀初頭である。第二次世界大戦以降、デング熱は世界的に広まり、1960年代からその発生数は急激に増加している。現在では、110ヶ国以上で毎年およそ5000万から1億人が感染する風土病となっている。その原因として、急激な都市化や地球温暖化が関与していると考えられている。対策としては、蚊の駆除の他に、ワクチンの研究やウイルスに直接働きかける薬物治療の研究が進められている』。なお、デングウイルスには認可されたワクチンがなく、蚊に刺されないようにする以外に予防法がなく、また特別な治療法もない。最後に。この「デング」という奇妙な名についての部分(わざわざ注したのも実はこれをどうしても転載したかったのである。注記記号を省略した)。『「デング(dengue)」の語源は明らかではないが、悪霊によって引き起こされる病気を意味をするスワヒリ語「Ka-dinga pepo」に由来するという一説がある。また、スワヒリ語「dinga」は、えり好みする、注意深いという意味のスペイン語「dengue」が語源で、デング熱から来る激しい関節痛に苦しむ人が歩く様子を描写する言葉とも言われている。一方、スペイン語「dengue」は、発音が似ているスワヒリ語「dinga」から由来したという説もある。デング熱に苦しんでいた西インド諸島の奴隷たちが、ダンディな(気取った)姿勢や歩き方をしていたと言われていて、「ダンディ熱(dandy fever)」とも呼ばれるようになった』とある。私は遠い少年の日、この病名を見てもろに天狗を連想し、天狗があの羽団扇を振ると正体不明の熱病に罹るような気になっていたのを思い出す。その後は単純にデングという報告かぐらいにしか思っていなかった。今回、調べてみてまさに正体不明の名であったことを知って、『何だかやっぱり天狗じゃん……』などと思ったものである……。なお、実はこの視察旅行の直前(八月下旬から九月初旬)まで、敦はこのデング熱に悩まされていたことが書簡から分かる。

 

 次に同じ日に投函された同日附桓宛書簡二通を示す(旧全集「書簡Ⅱ」書簡番号三三及び三四。傍線は底本では右傍線)。

 

〇九月二十三日附(消印ポナペ郵便局16・9・23。ポナペにて。ポナペ島ジョーカジ村海岸の絵葉書)

 けふ この村へ行つて 土人のうち で ごちそう に なりました。やしの水とパンの み と バナナ の ごちそう です。とても おいしいとおもひました。この土人のうちには 犬とねこぶたやぎにはとりあひるとがゐます。コプラ(やしの中にある白いもの)を投(な)げてやると、みんな、あつまつて來ますが、その中で、一ばん 犬がゐばつてゐます。犬がゐない時はぶたがゐばるさうです。犬もぶたもゐないと、やぎがゐばるさうです。

 ぶた が ゐばるなんて ずゐぶん をかしいな!

 

〇九月二十三日附(消印ポナペ郵便局16・9・23。ポナペにて。ポナペ島ナロト村島民の魚取りの絵葉書)

 土人は みんな 槍(やり)のやうなもので 魚(うを)(さかな)を突(つ)いて、とります。小さい子どもでも とても うまいものです。

 こんな淺(あさ)い所には功利も剖勧もヱないから、大丈夫(だいじやうぶ)です。

 

「(さかな)」はルビではなく本文の表記である。敦は桓に妻たかへの書簡とは別に多くの絵葉書を送っている。彼の子煩悩さがよく伝わってくる事実である。

 

「犬肉食」ウィキの「犬食文化」の「太平洋島嶼地域」の項には、ポリネシア、ミクロネシアの島々では犬は豚・鶏等とともに人間が植民する過程で持ち込まれたものである。ヨーロッパ人との接触以来犬を食用としており、現在も食用家畜として飼養しているところが少なくない。但し、ウミガメや魚類よりその価値は低いとされ、多くは祭りなどハレの日の料理としてバナナやタロイモなどの葉に包んで地中に埋め、熱く焼いた石で蒸し焼きにされて供される(ハワイの民族料理として知られるカルア・ピッグはこの調理法を豚に置き換えたもの)とある。リンク先は膨大な記述ですこぶる面白いが、実際の画像も附されているので愛犬家の方は自己責任で参照されたい)。

「ミクロネシア民族誌」松岡静雄著(初版は岡書院昭和二(一九二七)年であるが、後に岩波書店から昭和八(一九四三)年に再版されており、敦が読んだものが孰れかは不明)。松岡静雄(明治一一(一八七八)年~昭和一一(一九三六)年)は、言語学者・民族学者にして海軍軍人(最終階級海軍大佐)。

「土屋淸」(明治四三(一九一〇)年~昭和六二(一九八七)年)はジャーナリストで経済評論家。東京生。東京府立第一中学校、第一高等学校を経て、昭和五(一九三〇)年東京帝国大学経済学部入学、昭和八(一九三三)年東京帝国大学経済学部卒業、朝日新聞社入社であるから一高帝大を通じて敦の同期であり、しかも敦が受験して不合格となった朝日新聞社社員となっているから、彼としても印象の強い人物であったと考えられる(友人であったかどうは不明)。帝大では経済学部教授河合栄治郎の演習に参加し、理想主義・人格主義に基づいてマルクス主義にもファシズムにも反対する河合の態度に共感、卒業後も河合栄治郎事件(昭和一三(一九三八)年から昭和一八(一九四三)年にかけて起った思想弾圧事件。自由主義思想家で軍部やファシズムを批判した河合を右翼・軍部のファシズム勢力が社会的に抹殺しようとした事件)では師をよく助けた。昭和二〇(一九四五)年からは論説委員を務め、昭和三九(一九六四)年に産経新聞社に移り、常務取締役・専務取締役を務めたが、昭和四四(一九六九)年に新社長鹿内信隆が産経新聞社として安保条約堅持を表明したのを機に退社、その後は経済評論家として活動した。戦後の高度成長期には政府関係の各種審議会(経済審議会・国土総合開発審議会・産業構造審議会・税制調査会・石油審議会など)の委員として活躍、論客として政府の経済政策に大きな影響を与えた。テレビ番組「時事放談」では細川隆元・藤原弘達・加藤寛とともに四人組の常連として約十年に亙って出演している(以上はウィキの「土屋清」に拠る)。

「アラカベサン」現在のパラオ共和国コロール州に属する島の一つであるアラカベサン島(Ngerekebesang Island)。独立後、マルキョク州に遷都するまではこの島に大統領府があった。コロール中心部からは離れているが、パラオ・パシフィック・リゾートなどリゾート志向のホテルが多く点在し、現日本大使館もこの島にある。現在、島にはアラカベサン(Ngerekebesang)・ミューンス(Meyuns)・エイアン(Echang)の三つの集落があり、アラカベサン島とコロール島の間には陸橋で接続されているが、この陸橋は日本統治時代に建設されたもので、今でも改修しながら使用されている(以上はウィキの「アラカベサン島」に拠った)。

「ピスカン」ヤップ語で魚や蟹などを突くための手銛(手槍)のことを指す。

「ペリリュウ」パラオ共和国の十六ある州の一つでコロール島の南西、アンガウル島の北東に位置するペリリュー島。総面積は十三平方キロメートル、二〇〇五年現在の人口は七〇〇人(これは現在のパラオの州人口としては三番目に大きい)。島住人の殆どは北部沿岸にあるペリリュー州都の Kloulklubedon 村に住む。この島は後、太平洋戦争中の激戦「ペリリューの戦い」(昭和一九(一九四四)年九月十五日から同年十一月二十五日にかけて日本軍守備隊とアメリカ軍の間で行われた陸戦。日米の部隊が砂浜で戦闘を行い、日本軍は玉砕、アメリカ軍にも多くの死傷者が出た)の舞台ともなった。現在、壊滅した旧日本軍歩兵第二連隊及び歩兵第一五連隊やその艦船及び航空機・戦車・現地民間人等の戦没者墓苑がある(以上はウィキの「ペリリュー及び「ペリリューの戦い」に拠った)。]

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