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2013/10/04

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 4 東照宮境内跋渉――鏡板/石段/石運び/飛び狛犬


M59


図―59

 

 図59はドイツの地図からうつした日光寺院である。私は建物の二、三に文字を書いて符号とした。何故かというと、私のスケッチは到底これ等の建物の大さを現わさぬからである。Oは三つの大広間を持つ建築を示している。その中央の広間は四十フィートに六十フィートであり、点線で示す側間は四十フィートに二十五フィートである。この寸法はむしろすくな目に推測したものである。どの建物の壁も鮮かに彩色された、精巧な彫刻を施した鏡板で被われている。木彫は深く、枝や花は離れ、木材は彫刻に対して、暗い背地をなす程深くえぐられている。Fと記された平面図に於て、入口の一側には鏡板が十五枚あり、他の側には八枚ある。

[やぶちゃん注:「中央の広間は四十フィートに六十フィート」御本社拝殿の中央の間で、奥行12・2×幅18・3メートル相当。現在のデータによれば六十三畳。

「点線で示す側間は四十フィート堅二十五フィート」同拝殿の左右にある片拝殿(と東照宮で呼称しているかどうかは知らない)の部分でどちらも奥行12・2×幅7・6メートル相当。東(向かって右)が将軍着座の間で、西が法親王着座の間とされる。孰れも十八畳で計九十九畳敷。以下、モースが記すように、この東西の着座の間にはそれぞれ四面に額羽目と呼ばれる彫刻があり、欅の地板に紫壇などの唐木の寄木細工(唐木象嵌)で鳳凰(東)・鷹(西)の彫刻が施されている。東照宮の彫刻中でも最も芸術性の高い作品の一つとされている(サイト「日光国立公園 観光とレジャー」の「拝殿-日光東照宮-」に拠った)。]

 

M60_2


図―60

 

 かかる鏡板は長さ六フィートで各々異った構図を持っている。ある一枚には鶴、他の一枚には白鳥、更にスケッチ(図60)で示す一枚は高浮彫で美しく彫った神話の鳥……それは如何にも生々としていて、羽根や花は見事に極彩色されてある……である。大きな鏡板の下には、同様に精巧な彫刻を施した、より小さな鏡板があり、数多い真鍮の板にはこみ入った模様が切り込んである。この素晴しい偉業に面して、我々は息もつかず、只吃驚(びっくり)して立ちすくんで了うばかりである。

[やぶちゃん注:図―60には手書きのキャプションが複数記されているが、残念ながら判読出来ない(モースは絵は上手いが、筆跡は失礼ながら蚯蚓がのたくったような字である)。私には辛うじて石組み部分の高さを示す“8 feet”(約2・4メートル)とその上の鏡板部分の高さ“15 feet”(4・6メートル)が判読出来るのみである。判読出来た方は、是非、お教え願いたい。]

 

 この仕事の多くは三百年近くの昔に始められ、各種の建築物は二百五十年前まで位の間に建て増しされたのであるが、それにもかかわらず一向古ぼけていないのを見ると、これ等神聖な記念物を如何に大切にして来たかが判る。室内にあっては漆細工、真鍮、鍍金(めっき)、銀、黄金製の品物、鏡板を張った天井、床には冷たい藁の畳が敷きつめられる。屋外は巨大な石の鋪床、石の塀、石の欄干、石の肖像と記念碑! そしてこの信じ難い程の手細工ほ、すべて、塀の外では朽木にも、また生え乱れる八重葎(むぐら)にも手をつけぬままの、荒々しく峨々たる山の急斜面に置かれ、石の土台さえも地衣や苔(こけ)に被われ、岩の裂目からは美しい羊歯(しだ)の葉が萌(も)え出ている。私は日本の芸術と細工との驚く可き示顕を、朧気(おぼろげ)ながらも描写しようとする企てを、絶望を以て放棄した。斜面の最高所にある墓に行く人は、大きな楼門を通りぬけ、古色蒼然たる広い石段に出る。この階段の幅は十フィート、一方の側は高い石墻、他方は長さ六フィート高さ四フィート半の一枚石から刻み出した欄干である。この石段の数二百、幅広く面積も大きい。ゆっくりと登りながら、がっしりした石の欄干ごしに、樅(もみ)と松の素晴しい古い林の奥深く眺め入り、更に石段を登りつめて、自然その儘の、且つ厳かな林の中に、豊富に彫刻を施した寺院を更に一つ発見するその気持は格別である。かかる驚嘆すべき景観に接すること二時間、我我は精神的に疲れ果てて……肉体的にも多少疲れていた……宿屋に帰った。時々上の森から調子の低い、ほがらかな寺鐘の音が何か巨大な、声量の多い鳥の声のように聞えて来る。日本のお寺の鐘音がかくも美しいのは、我々のように内側にぶら下る重い金属製の鐘舌で叩かず、外側から、吊しかけた木製の棒の柔かく打ち耗(へ)らされた一端で打つからである。また段々に速度を増す奇妙な太鼓の音は、祈禱その他の祭典の信号である。頭を剃った、柔和な顔つきの僧侶が行くのを見ると東洋に雲集する何百万人に対して仏教が持つ大勢力が目のあたり立証される。

M61

図―61

 

[やぶちゃん注:「階段の幅は十フィート、一方の側は高い石墻、他方は長さ六フィート高さ四フィート半の一枚石から刻み出した欄干である」坂下門から奥宮へと至る階段。幅約3メートル、欄干は凡そ長さ1・8メートル、高さ1・4メートル弱。

「お寺の鐘」東照宮の下方にある日光山輪王寺の鐘。]

 


M62
図―62

 

 このスケッチ(図61・62)は時代の色緑に、かつ万物を被う陰影によって湿気を帯びた、大きな石段の大略を示す。あたりを占めるものは、すべての密林に於るが如く、完全な沈黙で、それを破るものは只蟬の声と、鵜(つぐみ)(?)の低い、笛に似た呼び声とだけ。図62は欄干の石の一つを示す。単独の部分はいずれも一枚石から切り出され、各部分は真鍮の繋ぎで結びつけられてある。こんな仕事をするに要する労力は、定めし大変なものであろう! 遠方から石を運び、急な山腹を引きずり上げ、それを刻んで二百段の石段をつくることは、その仕事のすべてが蒸気機関も鉄道もない時代になされたが故に、我々の注意を強く引く。諸寺院の内部がまた外部同様に感銘的である。神龕の両側に厚重な鉢があり、それには竹の竿によって整枝された高さ四フィートの倭生松が植えてあるが、その全部――不規則な、曲った枝や、ざらざらした樹皮や、何百という針葉を持つ松の木、植木鉢、竹、その他すべて――が青銅製で、而も人造であることを確かめるためには、余程注意深く検査する必要がある位、真にせまっている!

[やぶちゃん注: 「時代の色緑に」というのは、「時代」を感じさせるところの古「色」蒼然とした苔の「緑」に被われた階段の謂いで「時代の色(いろ)、緑(みどり)に」と読んでいるつもりでろうが、見た感じは何だか読み難い。

「神龕」は「しんがん」と読む。御神体を安置する祠(ほこら)、神殿のこと。これが何処の何であるかは不詳。実は私は日光東照宮には鎌倉市立玉繩小学校六年生(一九六八年)の一泊の修学旅行でしか行ったことがない。しかも泊まったホテル「陽明門」の空き部屋で、出立直前に友達とプロレスごっこをし、畳一枚分が床板の底に抜け落ち、こっそり逃げた記憶しかない。従ってここでモースが描写しているものについても実はモースが与えてくれる以上のことは分からない。という訳で少し注がそっけないのは悪しからず、識者の御教授をお待ち申しております。どうぞ、よろしく。

「厚重」「こうじゅう」で、重厚に同じい。

「四フィート」約1・2メートル。]

 



M63
図―63

 

 お寺に近づいた時我々はお経のように響く妙な合唱を耳にして、これは何か宗教上の勤行(ごんぎょう)が行われつつあるのだなと思った。だが、それは、実のところ、労働者が多勢、捲揚機をまわして、建築中の一つの土台に大きな材木をはこんでいるのであった。我々は彼等が働くのを見るために囲いの内に入った。裸体の皮膚の赤黒い大工が多人数集って、いささかなりとも曳くことに努力する迄のかなりな時間を徒に合唄を怒鳴るばかりである有様は、誠に不思議だった。別の場所では、労働者たちが、二重荷車を引張ったり木挺(てこ)でこじたりしていたが、ここでも彼等が元気よく歌うことは同様で、群を離れて立つ一人が音頭をとり、一同が口をそろえて合唱をすると同時に、一斉的な努力がこのぎこちない代物を六インチばかり動かす……という次第なのである。図63は荷車の形をしているが、例の無気味な音楽は我等の音譜ではどうしても現わし得ない。

[やぶちゃん注:「六インチ」15センチメートル強。]

 

M64
図―64

 

 お寺から帰る途中で、私は各一片の石からつくられた二つの大きな石柱の写生をした(図64)。それはたった今柱をとび越しはしたが、尻尾がひっかかったといったような形の神話の獣をあらわしている。

[やぶちゃん注:これの逆立ちをしたような珍しい狛犬は、写真共有サイト「フォト蔵」の画像にある、日光東照宮内の陽明門への階段を登り切った左右にあるそれのスケッチと思われる。「逆さ狛犬」というらしいが、私は「飛び狛犬」と謂いたいね! ♪ふふふ♪]

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