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2013/10/18

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第三章 日光の諸寺院と山の村落 8 中禅寺湖へ


M72
図――72

 

 七月二日の月曜日の朝、我々は中禅寺に向って出発した。距離七、八マイル、全部登りである。日光は海抜二千フィート、中禅寺は四千フィート。我々はカゴを一挺やとったが、これは簡単な轎(かご)で二人がかつぎ、時々更代する男がもう一人ついている。別に丈夫そうな男が二人、袋や余分の衣類や、食料やその他全部を背中に負って行った。それは背中に長さ四フィート半の木の枠をくくりつけ、この架掛(しょいこ)に我々の輜重(しちょう)行李をつけるのである。背中に厚い筵をあてがい、それの上にこの粗末な背嚢(はいのう)、即ち枠を侍り掛らせる。図72は二人の中の一人が昆虫網や杓子や採集瓶やその他を背負った所の写生である。これ等の重重さは七十斤か八十斤あったに違いない。かくて召供い二人が行列の殿(しんがり)をつとめ、我々が往来を縦隊で進んで行くと土地の人々は総出で我々の進軍を見物した。我々は寺院へ通じる美しい並木路を登り、そこで左の谷へ入った。この所、川に沿うて家がすこしばかり集っている。が、深い木立の影になり、頭の上には山が聳える。山は皆火山性で、削磨作用のためにどの峰もまるい。図73は谷に入る時見た山々の輪郭を急いで書いたもので、我国の山とは非常に違う。道路は佳良で固く、その上礫を粉砕する車輪が無いために、埃(ほこり)は全くない。

M73

図―73

 

[やぶちゃん注:「日光は海抜二千フィート」既注であるが609・6メートル。現在の日光市市街地の平均標高は約600メートル、日光東照宮五重塔のある位置の標高は634メートル。

「中禅寺は四千フィート」約1220メートル。「日光観光協会」の公式サイトによれば現在の中禅寺湖水面海抜高度は1269メートル。なお、注意しなくてはならないことがある。ここは明らかに湖を指して「中禅寺」(原文“Chiuzenji”)と呼称しているので問題ないが、寺を指す場合は当時は現在の様に中禅寺湖畔にはなかったという事実である。この当時、日光山輪王寺別院であった寺院としての中禅寺は恐らく日光二荒山神社背後の男体山登拝口付近にあった。ところがその後の明治三五(一九〇二)年に発生した大山津波により壊滅的被害を受けた後は現在の中禅寺湖畔歌ヶ浜(栃木県日光市中宮祠(ちゅうぐうし))に再建されたのである。

「轎(かご)」原文“kago”。私はこの漢字で駕籠を示すこの訳は良くないと考えている。何故ならこの漢字で示される乗物は中国や朝鮮で用いられる輿(こし)タイプの乗物、現代中国語で「轎子」という乗り手が非常に高い位置まで上がる、轅(ながえ)を肩に担ぎ上げて運ぶ「肩輿(かたこし)」を強く連想させてしまうからである。轎には他に手で轅を腰のあたりに擡(もた)げて担ってゆく手輿(たごし)・腰輿(ようよ)というタイプもあるが、孰れも所謂、本邦の伝統的な駕籠とは異なるものである。ここでモースらが乗ったものが我々に馴染み深い江戸時代に普通の駕籠であったことは後掲される駕籠の図(図―74)を見ても明らかであるからである。

「四フィート半」1・4メートル弱。

「輜重(しちょう)行李」“impedimenta”は一般名詞としては行動を妨げる邪魔物、手荷物の意味があるが、他に陸海軍の特殊な軍事用語として、「隊属荷物」という意味がある。それをまた本邦の軍事用語では「輜重」と呼ぶのである。ここでモースは自分たち一行を軍隊の行軍に擬えて表現しているためにこの語が選ばれてあるのである。因みに軍事用語での具体的な隊属輜重とは、まず戦闘に直接関わらない物品としては輜重人馬の糧食・飲用水・被服・車輛の燃料・天幕などの陣営設営具一式(これらの輜重を運ぶ車輌を「大行李」と呼んだ)、戦闘に直接必要な物品としては弾薬を中心に衛生材料(医薬品)・携帯口糧(先の糧食とは異なり、隊長の許可がないと食べられない戦闘食のこと)・工具(これらを運ぶ車輌を「小行李」と呼んだ)を指す。広義の「輜重」はそれらを積載した車輌にその他の車輛(観測車・信号車・工作車など砲車以外の車輛)、さらに兵士である砲兵や騎兵を含む隊列の後方の編成(これを「段列」と呼んだ)をも呼んだ。特に行軍中の輜重と言った場合は輸送部隊の他にも衛生隊・兵器隊などの非戰闘部隊・後方部隊も含まれた(以上の軍事用語としての「輜重」については、軍事個人サイト「レミニア陸軍 詳説」の兵站線路の概説頁を参照させて戴いた)。

「削磨作用」原文“the denudation”。一般名詞としては、裸にすること、露出の謂いであるが、地質学用語で表面の侵食や削剥(さくはく)作用をいう。]

 

 二マイル歩いてから我々は道路を離れて、神社と、茶屋と、庭と、森林の間を流れ落ちる渓流の水晶のような水を湛えた池とがある小さな窪地へ降りて行った。この庭も、池も、家も、その他すべての物も、まっ盛りの躑躅(つつじ)の茂った生垣に取りかこまれていた。岡の上から見た所は赤色の一塊であった。生垣は高さ四フィート、厚さ六フィート、そして我国の貧弱な温室躑躅などは足もとにも寄りつけぬ程美事に咲いていた。我々が廊下に坐って庭を見ながらお茶を啜(すす)っていると、湯本の温泉に入浴に行く旅人達がやって来た。その中の娘二人が肌をぬいで泉に身体を拭きに行ったのは、珍しく思われた。彼等は、我々が見ているのに気がつくと、外国人がこんな動作を無作法と考えることを知って、取しそうに、然し朗かに笑いながら、肌を入れた。その総てが如何にも牧歌的であり、我々には異国にいることが殊のほか強く感じられた。

[やぶちゃん注:ここ、一読忘れ難い、総天然色の如何にも美しいシークエンスである。

「高さ四フィート、厚さ六フィート」生垣は高さ1・2メートル、厚さ1・8メートル。

「湯本」原文“Yumoto”。中禅寺湖北西三キロメートルほどの所にある湯ノ湖畔の金精峠の麓にある日光湯元温泉(栃木県日光市奥日光)。]

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