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2013/10/16

中島敦 南洋日記 九月二十二日

        九月二十二日 (月) ポナペ・コロニヤ

 未明ポナペに入港、南島巡航記に所謂、サンチャゴ港之なり、ランチ早く來り、朝食前に上陸。但し、本船の朝食は七時半、ボナペの官廳出勤時間は六時なり、支廳に到りて後、本多氏の案内にて金壽司にて朝食を認め、再び支廳に戻り、高里氏宛、笠置丸缺航による豫定變更の旨を飛行便にて出す、後、(十一時晝休なり)中島女事務員の案内にて宮野常治氏方に落付く。これが割普てられたる宿所なり。簡閲點呼とかにて、主人中々歸らず、獨り晝食を始む、食半ばに主人歸る。山口縣の人の由、北原氏の知友なり、

 食後、宮野氏に導かれ、國民學校、公學校を訪ふ、共に校長不在、バルキールにて研究會ありしが爲の由。後、支廳に廻り、支廳長に挨拶。公學校寄宿舍を見て、建物の古きに驚く。男室一、女室一、教員補室等、四十名の生徒を收容する由、

 夜、主人宴會にて留守中、青木庶務課長來訪、一時間餘り相語る。明日共にジョカージに行かんことを約す。公學校數員補の案内は既に公學校にて契約濟なり、

 庭前に表南洋より持來りしといふ蔓性蘭花植物あり、柱にからみて、柱頭に花を開く、色は上品なる淡紅色、花の形はシャガに似たり。

 大王椰子の街路樹頗る佳し、憾むらくは片竝木なり。

 宮野氏の息洋二君、桓と同年なり、

[やぶちゃん注:「南島巡航記」は井上彦三郎・鈴木経勲・田口卯吉・嘉治隆一共著になる昭和一七(一九四二)年大和書店刊のそれを指すものと思われる。明治時代のミクロネシア貿易の巡航記録である。

「笠置丸」は昭和三(一九二八)年竣工、当初は神戸と上海を結ぶ航路船として運行、昭和一二(一九三七)年六月より横浜とミクロネシアを結ぶ南洋航路東回り線(横浜~サイパン~トラック~ポナペ~ヤルート)に就航、往路には食糧品・雑貨・機械類・油・石炭などを運び、復路では砂糖やコプラを積んで横浜に戻る貨客船であった(この間に二度、陸軍の兵馬輸送船・病院として徴傭されている)。独ソ戦が始まった翌月の昭和一六(一九四一)年七月二十五日に海軍に徴傭、横須賀鎮守府所管の特設砲艦兼機雷敷設艦となった。実はこの日記にはただ「缺航」とあるだけで読み過ごしてしまうのであるが、この時、笠置丸は既に南洋行路から離脱し、横浜鶴見にあった浅野船渠に入って艤装工事が行われていたのである(艤装開始は八月十五日、完了は九月三十日)。十二センチ砲四門を備え、船艙を機雷庫に改装した砲艦笠置丸はこの後、主に東京湾防衛や内航船団護衛に当り、昭和一八(一九四三)年からは小笠原への輸送と太平洋沿岸方面に於ける機雷敷設を主な任務としたが、昭和一九(一九四四)年一月二十六日、横須賀から南鳥島へ軍向け需品輸送のため、御蔵島南方四三キロメートル付近を航行中、米潜水艦スウォードフィッシュの雷撃を受けて左舷に四発が被雷、同二十八日、四百七十四名の将兵・船員とともに御蔵島沖に沈没した。以上は個人のデータベース「大日本帝國海軍 特設艦船」の「笠置丸」及び Tanaka Yuhzou 氏の「近代化遺産ルネッサンス」の「戦時下に喪われた日本の商船」の「笠置丸」に拠ったが、この後者にはあの「原爆の図」の若き日の丸木俊(旧姓名赤木俊子)が失恋の傷心を癒すためにこの笠置丸で南洋に向かったこと、そしてそこで南洋で敦の無二の盟友となった土方久功に出逢ったこと、土方が南洋の言葉・生活・風俗に詳しく「島を統治する日本のやり方がひどい」と憤慨していたことなどが語られておりすこぶる興味深い。必見である。

「簡閲點呼」旧日本陸・海軍に於いて予備役・後備役の下士官・兵卒及び第一補充兵を参会させて短時間の試問応答によって在郷軍人の本務を査閲点検し教導することを指す。

「大王椰子」ヤシ目ヤシ科アレカ族ダイオウヤシ Roystonea regia。高さ二〇メートルに及び、葉も大きく幹の直径も七〇センチメートル前後で勇壮。その雄姿はグーグル画像検索「Roystonea regiaで。

 以下に同日附桓宛書簡一通を示す(旧全集「書簡Ⅱ」書簡番号三二。太字は底本では傍点「ヽ」)

〇九月二十二日附(ポナペ島で)

 けさ、ポナペ島につきました。地(ち)きうぎを見てごらん。

 ポナペは、なかなか大きな島で、高い山があります。鳥のたくさんゐる所(ところ)で、森には、きれいな色のインコがとんでゐるさうです。

 お父ちやんは、今までしばらくふねの中でばかりねてゐ たけれど、こんやはりくの上でねます。

 あしたは、島民の村へあそびに行きます。]

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