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2013/10/29

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第四章 再び東京へ 4 利根川下りでの嘱目1


M95_2


図―95

 


M96
図―96

M97

図―97

 

 我々は六時に眼を覚ました。如何にも輝しい朝である。忠実なヤスが舟中で調理した朝飯を済ませて、我々は荷物の上に横になり、河、大小各種の船舶、面白い形の家等の珍しい景色を楽しんだ。河岸は低く、流れはゆるいので、我々は静かに進んだ。だが、静かといっても、いい写生図をつくるには早すぎた。河上の舟は、形は同じだが、大さが違う。ペンキを塗った舟は一艘もない。町の家にも、都会の家にも、ペンキが塗ってない結果、町通りが如何にも薄ぎたなく見え、家屋は我国の古い小屋や納屋を連想させる。使うとすれば、それは黒くて腐った糊みたいな不愉快な臭気を発するペンキである。写生図(図95)は我々が乗った舟を示している。図96は帆をあげた舟であるが、風が無いので舟夫は竿で押している。舟の帆は長い幅の狭い薄布を、三、四インチのすき問を置いて紐でかがったものである。帆は非常に大きく、かかるすき間は風が強い時に風圧を軽減する。長い竹竿は鉄で被覆してあって、巨大なペンに似ている(図97)。舟夫の耐久力は、人力事夫の力と耐久力とに全く等しい。一例として、我々の舟夫は夜十時に漕ぎ始め、途中で二二度休んだきりで、翌日の午後四時まで一睡もせず、また疲れたらしい様子も見せずに、漕ぎ続けた。時々、我々は、河岸を修繕している人足の一団の前を通った。この仕事で、彼等は竹の堡塁を築き、杭を打ち込み、ある場合には、長さ十フィートの小枝や灌木の大きな束の、切口の方を河に向けて置いて、壁をつくるのであった。最も効果のあるのは、長い管状の竹籠で、直径一フィート、長さ十五フィート或は二十フィートのものに、大きな石をつめたものである。これ等の管は、河岸の危険な場所に、十文字に積まれる。河は非常に速に河岸を洗い流すので、絶間なく看視していなくてはならぬ。

[やぶちゃん注:図95の人物の大きさから見て猪牙舟か高瀬舟であるが、舳先が細長く尖っていない(猪牙の由来)点で高瀬舟と思われる。
「黒くて腐った糊みたいな不愉快な臭気を発するペンキ」歌舞伎「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし)」の「源氏店(げんじだな)」の「お富さん」――♪粋な黒塀 見越しの松に あだな姿の洗い髪 死んだはずだよ お富さん 生きていたとは お釈迦さまでも 知らぬ仏の お富さん エーッサエー 玄冶店(げんやだな)」♪――の黒板塀の濃茶黒色の渋墨(しぶずみ)塗りと呼ばれる塗り物。青い未熟の渋柿を潰して絞ったものを発酵・撹拌を繰り返しながら一~五年も寝かせて作った柿渋に、松材を燃やした煤(灰墨・油煙・松煙)とアルコール溶剤として酒を合わせ、さらに墨で色付けた塗料である。柿渋の主成分タンニンの防腐・防虫効果や、基材が柿渋を吸い込む力で墨粉を木材内部に引き込むことによって墨が定着、渋が目止めの役目も果たす日本古来の塗装伝統技術である(以上の渋墨塗りについては板塀外壁に使われた塗料(サイト元不明)を参照させて貰った)。

「三、四インチ」7・62~10・16センチメートル。

「十フィート」3メートル。

「長い管状の竹籠で、直径一フィート、長さ十五フィート或は二十フィート」蛇籠。直径30センチメートル、長さ4・6~6・1メートル。]

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