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2013/10/10

春水や四條五條の橋の下 蕪村 萩原朔太郎 (評釈)

   春水や四條五條の橋の下

 この句を讀んで聯想するのは、唐詩選にある劉廷芝の詩「天津橋下陽春水。天津橋上繁華子。馬聲廻合靑雲外。人影搖動綠波裏。」の一節である。おそらくは蕪村の句も、それから暗示を得たのであらう。唐詩選の詩も名詩であるが、蕪村の句もまた名句である。

[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「春の部」より。以下に朔太郎が挙げている「唐詩選」に所収する、初唐の詩人劉希夷(劉廷芝)の「公子行」全詩を掲げておく。底本は一九六一年刊岩波文庫版「唐詩選 上」を用いたが、一部の漢字を正字化し、訓読も一部、意に沿わない箇所を変更してある。

  公子行   劉廷芝
天津橋下陽春水
天津橋上繁華子
馬聲廻合靑雲外
人影搖動綠波裏
綠波蕩漾玉爲砂
靑雲離披錦作霞
可憐楊柳傷心樹
可憐桃李斷腸花
此日遨遊邀美女
此時歌舞入娼家
娼家美女鬱金香
飛去飛來公子傍
的的珠簾白日映
娥娥玉顏紅粉妝
花際徘徊雙蛺蝶
池邊顧歩兩鴛鴦
傾國傾城漢武帝
爲雲爲雨楚襄王
古來容光人所羨
況復今日遙相見
願作輕羅著細腰
願爲明鏡分嬌面
與君相向轉相親
與君雙棲共一身
願作貞松千歳古
誰論芳槿一朝新
百年同謝西山日
千秋萬古北邙塵

〇訓読

  公子行   劉廷芝

天津橋下 陽春の水(みづ)
天津橋上 繁華の子(し)
馬聲 廻合(くわいがふ)す 靑雲の外
人影 搖動す  綠波の裏(うち)
綠波 蕩漾(たうやう)として 玉を砂(いさご)と爲(な)し
靑雲 離披(りひ)として 錦を霞と作(な)す
憐むべし 楊柳 傷心の樹
憐むべし 桃李 斷腸の花
此の日 遨遊(がういう)して 美女を邀(むか)へ
此の時 歌舞して 娼家に入る
娼家の美女 鬱金香(うつこんかう)
飛び去り 飛び來たる 公子の傍ら
的的たる珠簾 白日に 映え
娥娥たる玉顏 紅粉もて妝(よそほ)ふ
花際(かさい) 徘徊せる雙蛺蝶(そうけふてふ)
池邊(ちへん) 顧歩せる兩鴛鴦(りやうゑんあう)
國を傾け 城を傾く 漢 武帝
雲と爲り 雨と爲る 楚 襄王
古來 容光(ようくわう)は人の羨(うらや)む所
況んや復た 今日(けふ) 遙かに相ひ見るをや
願はくは輕羅(けいら)と作(な)りて細腰(さいえう)に 著(つ)かんとし
願はくは明鏡と爲(な)りて嬌面(けうめん)を分かたんとす
君と相ひ向ひて轉(うた)た相ひ親しみ
君と雙(なら)び棲みて一身を共とし
願はくは貞松(ていしよう)の千歳に古きと作(な)らんとす
誰(たれ)か論ぜん  芳槿(はうきん)の一朝(いつてう)に新たなるを
百年 同(とも)に謝せん 西山の日(ひ)
千秋萬古(ばんこ) 北邙(ほくばう)の塵

楽府題の七言古詩。前半はそぞろ春気に誘われて遊廓に繰り込む貴公子のシークエンス、絡み飛ぶ双蝶と鴛鴦(おしどり)に美女と公子を暗示させ、以下、「傾國傾城漢武帝/爲雲爲雨楚襄王/古來容光人所羨/況復今日遙相見/願作輕羅著細腰/願爲明鏡分嬌面」は公子がその遊び女に惹かれる心情を述べ、「與君相向轉相親」以下最後までが、それに応えて未来永劫の愛の契りをなす女の言葉である。そのコーダは実人生の凋落を語って、それゆえに二人の愛だけは永遠に変わりませぬ、と何か蕭条とした風が吹く仕掛けとなっている。朔太郎は恐らくこの簡潔な評言でそこまでの詠みを要求している、と私は読む。]

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