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2013/11/26

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 3 男と女

 私は往来を歩く若い男が、父親が小さな娘を連れている以外には、決して若い娘を伴うことがない事実に、何度も気がついた。娘は必ず一人でいるか、他の娘と一緒にいるか、母親と一緒にいるかである。青年が異性の一人に向ってお辞儀をしているのを見ることさえ稀である。私は福井氏に向って、あなたの知人の中に若い娘が何人いるか、一緒に博覧会を見に行こうと招待する位よく知っている娘は何人位かと、あけすけに質問した。すると彼はこんな思いつきを笑った上で、若い娘なんぞは只の一人も知らないと白状した。私には容易にそれが信用出来なかったので、我国では、青年どもが娘の友達を馬車遊山、ピクニック、音楽会、帆走、その他へ招待することを話したら、彼は驚いていた。まったく彼は卒直に吃驚して、そのような社会的の風習は、日本では知られていないといった。友人を訪問する時、何かの都合で姉妹なり娘なりがその場に居合せば、彼が子供の時の彼女を如何によく知っていたとしても、彼女は丁寧にお辞儀をして座を外し、また往来で偶然出合えば、娘は日傘なり雨傘なりを低く傾け、彼は顔をそむける。これは下級のサムライの習慣で、上級のサムライだと同様の場合、丁重にお辞儀をするのだと、福井氏がいった。

 

 その後外山教授に、彼の経験も同じであるかを質ねたら、彼もまた福井氏のいった事を総て確証した。「自分は、若い淑女は只の一人も知らぬ」と、彼はいった。夫と妻とが並んで往来を歩くようになったのも、ここ数年来のことで、而もそれは外国風をよろこぶ急進論者が稀にやるばかりである。夫婦で道を行く時、十中八、九、細君は五フィート乃至十フィート夫に後れて従い、また夫婦が人力車に相乗りするということは、極りの悪い光景なのである。「自分がこんな光景に接すると、その夫は顔を赤くする。若し夫が赤くならなければ、自分の方が赤くなる」と、外山教授はいった。彼は更に、このような男は「鼻の中の長い毛」を意味する言葉で呼ばれるといった。鼻の穴の中に長い毛を持つ男は、細君に引き廻されることになっているので、つまり我我の所謂 henpecked 〔牝鶏につつかれる。嬶天下〕なのだが、この言葉は、彼等の henpecked を意味する言葉が我々にとって不思議であると同様、彼等にとって不思議に思われる。

[やぶちゃん注:「五フィート乃至十フィート」約1・5~3メートル。

「鼻の中の長い毛」“long hair in the nose”は恐らく女が自分にべた惚れの男を透かさず見抜いて思うように弄ぶことを意味する「鼻毛を読む」「鼻毛を数える」であろう。

henpecked」ここでは底本での石川氏の割注をそのまま出しておいた。“henpeck”の“hen”は雌鶏で、“peck”は、つつく・啄むであるが、この“hen”は女性の譬えであって、意味としては「女性が男に口喧しく文句を言っては支配する、困らせる、苦しめる」「妻が夫をいいなりにする」「夫を尻に敷く」という意になる。その形容詞化である。]

 

 私にこの話をしてくれた日本人は二十二歳であるが、結婚する意志があるのかと質問したら、「勿論だ」と答えた。「然し」、私はまた質問した、「君の知人の間に娘の友人が無いのに、君はどうして細君を見つけることが出来るのか」、すると彼は、それほ常に友人か「仲人」によって献立されるといった。ある男が結婚したいという意志を示すと、彼の家族なり友人なりが、彼の為に誰か望ましい配偶者を見出してくれる。すると彼は、娘の家族と文通して、希望を述べ、且つ訪問することの許可を乞い、そこで初めて、或は将来自分の妻になるかも知れぬ婦人と面会する。彼等が見た所具合よく行きそうだと、その報道が何等かの方法によって伝えられ、そして彼は結婚の当日まで彼女に会わない。私はそこで、「然し君にはどうして、彼女が怠者だったり、短気だったり、その他でないことが判るのだ」と聞いた。彼は、それ等の事柄は、婚約する迄に、注意無く調べられるのだと答えた。更に彼は、「この問題に近づくのに、米国風にやると、娘は必ず真実の彼女と違ったものに見える。彼女は男の心を引くように装い、男を獲るような行為をする。我々が遙かによいと思う我々の方法によれば、これ等は感情をぬきにした、双方の将来の幸福を考える、平坦な経路を辿る」とつけ加えた。この方法は我々には如何にも莫迦(ばか)げていて、またロマンティックで無いが、而も離婚率は我国に比べて遙かに低い。私の限られた観察によると、日本では既婚者たちが幸福そうにニコニコして、満足しているらしく見える。このように両性が社交的に厳重に分離されている日本では、青年男女が、非常に多くの無邪気で幸福な経験を知らずにいる。我国のピクニックや、キャンディ・パーティその他の集会や、素人芝居や、橇(そり)や、ボートや、雪すべりや、その他の同様な集りを思い浮べると、この点に関する社会的のやり方は、娘達にとってさえも、我国の方がずっといいような気がする。もっとも、いろいろなことに関する私の意見は、この国に於る経験に因って、絶えず変化するから、ハッキリしたことはいえない。

[やぶちゃん注:「私にこの話をしてくれた日本人は二十二歳である」やや誤読しがちであるが、ここは前段の文学部教授外山正一のことを指していない。外山は嘉永元(一八四八)年生まれで当時は既に二十九歳である。従ってここでモースが指しているのは福井氏である。とすると、この私が通弁であると推定する彼は安政三(一八五六)年生で、明治維新の時は十二歳であったことが分かる。幕末の動乱期でこの少年が前に述べたような、公開の斬首刑を見たとして、その印象は強烈なものであったろう。

「キャンディ・パーティ」底本には直下に石川氏の『〔若い男女が集まって、砂糖英子等をつくる会合〕』という割注が入る。]

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