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2013/11/11

閑居鳥寺見ゆ麥林寺とやいふ  蕪村 萩原朔太郎 (評釈)

   閑居鳥寺見ゆ麥林寺とやいふ

 

 夏の日の田舍道、遠く麥畑の續いた向ふに、寺の塔が小さく見える。空では高く、閑居鳥が飛んでるのである。この風物を敍する爲に、特に「麥林寺」といふ固有名詞を出したのである。かうした詩の技術。或る風物を敍する代りに、特に或る特殊な固有名詞を使用するのは、昔から和歌や俳句に多く見るところで、日本の詩の獨特な技巧である。西洋の詩では、韻律上の美を目的として、特殊な固有名詞を盛んに使ふが、日本の歌や俳句のやうに、内容(情想)のイメーヂにかけて、表象上の效果に用ひるものは、一般に見て尠いやうである。

[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年第一書房刊「郷愁の詩人與謝蕪村」の「夏の部」より。「技術。」の句点はママ。「麥林寺」の読みは「ばくりんじ」。

 萩原朔太郎の評釈は微妙に半可通の印象を与えて良くない。『「麥林寺」といふ固有名詞』で『或る特殊な固有名詞』であることには相違ないが、これでは一般人が読んだら、実際に当時『「麥林寺」といふ』寺が実際に存在したかのようにしか読めないからである。実際にはそんな寺は存在しない。この句は蕉風を引く伊勢派の中川乙由(おつゆう 延宝三(一六七五)年~元文四(一七三九)年)の別号である麦林舎と彼の句、

 

 閑古鳥我(われ)も淋しいか飛んでゆく

 

掛けた『虚構の寺名』だからである。麦林舎乙由は通称を喜右衛門といい、新屋と屋号した伊勢の材木商であったが、俳諧に入れ込んで一代で産を傾け、後には伊勢神宮の御師(おし)となって慶徳図書と号したが、麦畑の中に草庵を結んで麦林舎と号したのは御師になった更に後のことと推測されている。芭蕉晩年の門人ともされるものの、実際の面談は一、二度しかなかったと考えられ、系譜上は伊勢神宮の下級神職であった蕉門の岩田凉莵(りょうと 万治二(一六五九)年~享保二(一七一七)年)の門人とする。伊勢派の出発点となった「伊勢新百韻」(元禄一一(一六九八)年)の連句に一座するとともに支考が俳諧の「真・草・行」を示そうと巻いた「三疋猿」(宝永元・元禄一七(一七〇四)年)にも同座している。凉莵とともに伊勢派の中心人物であった(一説には支考の門人ともする)。俗談平俗な作風で共通した支考主導の美濃派と軌を一にして活動し、後世「支麦(しばく)の徒」と呼ばれて全国に一大勢力を得た。俳諧の他にも絵画を善くした。家集に「麦林集」「麦林集後編」。以下に乙由の数句を掲げおく。

  花さかぬ身をすぼめたる柳かな

  蛤の宮殿見たり霧の海

  祖父祖母の孫にもあまき十夜哉

  象潟やどこへ歸帆の雁の聲

(以上の乙由の事蹟は三重県環境生活部文化振興課製作の「俳句のくに・三重」の中川乙由」及び平凡社「世界大百科事典」「朝日日本歴史人物事典」などの記載を参考に、勘案して作成したものである)。]

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