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2013/11/27

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 5 家屋や店のこと

 一階建の家屋が構成する一郭に、正面の入口が道路に向って開いた住宅が、四つ五つあるというのは、日本では新しい思いつきである。一八六八年の革命までは、このような家の形式は無かった。市中の住宅は、いずれもヤシキのように、内側に面して四角に建てられ、儀式の時にだけ開かれる大きな門が一つあり、その両側の小さな入口から人々は毎日出入した。我々が現に住んでいる加賀屋敷には、堂々たる門があるが、これは開いたのを見たことが無く、すこし離れた所に小さな入口があり、それに接した小さな部屋に住んでいる門番が、夜になるとこれを閉める。門番は内に住む人々を知っているので、夜更には門をあけて我々を入れてくれる。現在の建築様式の方が余程経済的であるから、将来はこれになるであろう。各家には、軽い竹の垣根にかこまれた、小さな庭がある。

 

 東京市の一部分には、外国人の為に特定した小さな一区域があり、政府の役人でない外国人は、この場所以外に住むことは出来ない。帝国大学は政府が支持しているので、教師達は政府の役人と見られ、従って市中どこにでも住む権利を持っている。外人居留地から四マイル以上も離れた加賀畳敷にいる我我は、純然たる日本の生活の真中にいるのである。

私は屢々ヤシキの門(そこには常に門番がいる)から出て、大通りをぶらぶらしたり、横丁へ入ったりして、いろいろな面白い光景を楽しむ――昼間は前面をあけっぱなした、小さな低い店、場合によっては売品を持ち出して、地面に並べたりする。半日も店をあけて出かけて行ったかも知れぬ店主の帰りを、十五分、二十分と待ったこともよくある。また、小さな、店みたいな棚から品物を取上げ、それを隣の店へ持って行き、そこの主人に、私がこれを欲したことを、どこかへ行っている男に話してくれと頼んだこともある。小さな品をポケットに一杯入れて逃げて了うことなんぞは、実に容易である【*】。

[やぶちゃん注:「外人居留地から四マイル以上も離れた加賀畳敷」当時の東京市の外国人居留地は築地鉄砲洲にあった。ウィキ外国人居留地によれば、『東京は開港場ではないが、開市場に指定されたため、1869年に築地鉄砲洲に外国人居留地を設けた。今日の中央区明石町一帯である。しかし、横浜居留地の外国商社は横浜を動かず、主にキリスト教宣教師の教会堂やミッションスクールが入った。このため、青山学院や女子学院、立教学院、明治学院、女子聖学院の発祥地となっている。また外国公館も多く、1875年にアメリカ合衆国公使館が設置され、1890年に現在の赤坂に移転するまで続いた。築地居留地も1899年の治外法権撤廃で廃止されている』。因みに西暦一八九九年は明治三二年。「四マイル」は約6・4キロメートルで東大構内から築地鉄砲洲までの実歩行距離に一致する。]

 

 

* このような正直さは、我国の小村では見られるが、大都会では決して行われぬ。然るに、何度もくりかえしたかかる経験は、東京という巨大な都会でのことなのである。日本人の正直さを示す多くの方面の中の一つに関連して、我々は、我々の都市では、戸外の寒暖計はねじ釘で壁にとめられ、柄杓は噴水に鎖で結びつけられ、公共の場所から石鹸やタオルを持って行くことが極めて一般的に行われるので、このようないやしい、けちな盗みから保護する可く、容器を壁に取りつけた、液体石鹸というようなものが発明されたことを忘れてはならぬ。

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