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2013/11/28

中島敦 南洋日記 十月二十二日から二十七日まで

        十月二十二日(水)

 堀氏と打合せ、月曜島に行かんとて、七時迄に棧橋に行きしも、風強くして、船を出す能はず、空しく歸る。後に雨も加はり些か荒模樣なり。午後、公學校に行き、補習科讀本の檢討。夜に入つて風雨益々加はる。

 

        十月二十三日(木)

 雨は霽れしも風尚強く、便船出でず、朝(小學校訪問)支廳、午後、公學校にて、昨日の續き、補習科讀本を終る。(又、饅頭。出が)航空會社にて聞くに、二十七日發豫定のものは、未だ横濱を出でず、恐らくは廿九日以後のトラック發となるべしと、

 

        十月二十四日(金)

 今日も、船出ず、八時より公學校に赴き、學藝會を見る、島民少年はハモニカの演奏に長ずるものゝ如し、一年生の唱歌は仲々可愛ゆし、

 

       十月二十五日、(土)

 堀君と打合せ、七時半迄に棧橋に到りしも、結局、出ず、船は伊達丸とて、最近沈沒し、引揚げられ、修理されて之が修理後の初航なりと。船長の大事をとるも無理なし。午後に至り風稍收まる。十二時半より、公學校にて、海軍慰問演藝會を見る、沖繩踊多し、面白きものも少からず。――讀みにくき踊の名――口説(クドチ)。谷茶前(タンナヤメエ)。花風(ハナフウ)川平(カビラ)節。等、四時に終る。

[やぶちゃん注:日附の後の読点はママ。因みに、底本旧全集で『南洋からわが子へ(昭和十六七月―十月)』の副題を持つ「書簡Ⅱ」の掉尾にある十月中の日附不明のそれ(書簡番号五十)をここに示す。ここに配した理由は書簡中の「今は夏島にゐるけれど、もうぢき、水曜島や月曜島に行きます。冬島と秋島とは、もう行つて来ました」という記載が、この日を最下限とするからである。
   *
〇十月?日(トラックにて)
   「ウニモル山」
 むかし、トラックの水曜(すゐえう)島に、アッカードプとニェバーヌといふ二人(ふたり)の大男(おほをとこ)がありました。二人は、なにごとにつけても、きやうさうをしてゐました。
 あるとき、アッカードプはニェバーヌにむかつて、
「おれとおまへと、どつちが力(ちから)が強(つよい)か、山つくりのきやうさうをしてみよう。」
 といひました。
 ニェバーヌも、まけぬ氣(き)で、
「よろしい。やつてみよう。こんど十五やの月が出るまでに、山をつくるのだぞ。」
 といひました。
 それから、二人は、いつしやうけんめいに山をつくりました。
 とうとう十五やの月が出ました。二人は、それぞれじぶんのつくつた山の上に立つて、高さをくらべました。
「どうだ。どつちが高いか。」
「あゝ、ざんねんだ。すこしまけたよ。」
 ニェバーヌがつくつたウニモル山がすこし高かつたので、ニェバーヌが肝ちました。
 アッカードプは、ざんねんでたまらないので、
「ニェバーヌ、こんどは山けりのきやうさうをしてみよう。おまへは、そのウニモル山をけつてみろ。」
 といひました。
 ニェバーヌは、
「うん、よろしい。」
 といつて、からだぢゆうの力をこめ、
「えい。」
 とかけごゑをかけて、ウニモル山のてつぺんをけりました。
 すると、その土(つち)が、とほく海の上にとんで行つて、トラックの島々になりました。
 アッカードプも山をけりました。しかし、そのけつた土は小さい島にしかならなかつたので、またまけてしまひました。
 今でもウニモル山の上が平たいのは、そのときニェバーヌがけつたからだといひます。

 桓に。
 これは、ぼくの今ゐるトラックの「むかしばなし」です。トラックには、島がたくさんありますが、水曜島が一ばん大きいのです。その水曜島のウニモル山のてつぺんがひらたくなつてゐるので、こんなはなしができたのですね。
 お父ちやんは、十一月のはじめごろまでトラックにゐます。今は夏島にゐるけれど、もうぢき、水曜島や月曜島に行きます。冬島と秋島とは、もう行つて来ました。
 水曜島や月曜島や春島や冬島や夏島などを、みんなあはせてトラック島(たう)といひます。

   *

南洋諸島の創世神話としてすこぶる興味深い採話である。]

 

        十月二十六日(日)

 今朝は漸く船出づ。七時少し過出發、富樫氏同船、搖れ甚し。月曜島、火曜島を經て、十二時水曜島に着き、國民學校の岩崎氏宅に入る。食後、新教牧師ノーマイエル氏を訪ねんと、教會及、神學校に行きたれど、月曜島に行きたりとて不在。目下神學校は生徒三名に過ぎざる由、歸途公學校に寄る。小丘上にあり、見晴らし佳し。校長官舍にて富樫氏と語る。教員補頻りに、軍夫等の亂暴を訴ふ。富樫氏のレグホーンも喰はれ、バナナ、パイナップルの類大方は荒されたりと。岩崎氏方の夕食には、雞の他、此の地に産するの鰻の蒲燒あり。島民は鰻を決して喰はず、此の地の邦人亦、之を忌む由なれど、味は、内地のものと大差なし。たゞ些か、脂乏しきに似たり。八時、村吏事務所に到り就寢。

[やぶちゃん注:「鰻」条鰭綱新鰭亜綱カライワシ上目ウナギ目ウナギ亜目ウナギ科 Anguillidae に属する一属十五種といわれる種の殆んどは、インド洋から西部太平洋にかけての熱帯・温帯域が分布の中心で、特にインドネシア周辺での多様性が顕著である。西部太平洋にはフィリピン・インドネシア・オーストラリア・ニューギニア島およびニューカレドニアを中心に約十四種が知られている(ウィキウナギ科」に拠る)。]

 

 

        十月二十七日(月)(晴)

 未明海岸を散歩す。退潮の干潟に魚貝を漁る者多し。あさりの如き貝を名産とする由。ウリボート山の突兀たる姿、宜し。

 朝、教員補の授業を見て後、九時乘船。十一時過、月曜島着、直ちに公學校に行く。晝食後、瀧野氏の案内にて、ミッション女學校に行き、ツーペル女史と語る。女史は英語堪能なり。にして頗る上品なる老婦人なり。バーデンの人、初めて南洋に來りしは一九〇九年といへば、我が誕生の年なり。爾後二度国に歸り、一九三六年此の地に又、來りしといふ。島民語、島民食の生活なりと。ハイデルベルヒ、ネッカー、ゲーテ、ウィーラント等について少し語る。同席に、昨日水曜島より來りしノーマイヤー氏あり。同氏は日本語をやゝ操れども、英語を餘り解せず。一時間ばかりにして辭去す。後にオレンヂを贈らんといふ。夕食の時果して、寄贈のオレンヂあり。美味。トラック在來種のオレンヂとは異るらし。八時就寢、此の島は、甚だ蚊多し。

[やぶちゃん注:「ハイデルベルヒ」これはドイツの作家 Wilhelm Meyer-Förster(ヴィルヘルム・マイヤー=フェルスター)の書いた五幕の戯曲「アルト・ハイデルベルク」(Alt-Heidelberg:古き(良き)ハイデルベルク)か? フェルスター自身が一八九八年に発表した小説「カール・ハインリッヒ」(Karl Heinrich)を基にした戯曲で、一九〇一年にベルリンで初演された。若い王子カール・ハインリッヒと彼が学生として借りた宿屋の年配の女給ケーティの恋のエピソードを主軸とする青春純愛劇。日本での初演は明治四五(一九一二)年に有楽座で文芸協会が行ない、松井須磨子がケーティ役であった。その後は滝沢修・山本安英・杉村春子らが、大正十三(一九二四)年、昭和元・大正十五(一九二六)年、昭和九(一九三四)年に築地座・築地小劇場で出演している(昭和九年の上演なら満二十五歳であった敦も観劇している可能性がある)。二十世紀前半において最も数多く上演されたドイツの演劇作品の一つで、ハイデルベルクの名を世界的に有名にし、日本では明治時代にはドイツ語を学ぶ学生にとっては必読書になった(詳しくは参照したウィキアルト・ハイデルベルク」をご覧になられたい)。

「ネッカー」これはドイツ中南部の流域を流れるライン川の支流ネッカー川(Neckar)か? この流域には中世の吟遊詩人所縁のネッカー・シュタイナッハ、ヘルダーリンの生まれ故郷であるラウフェン、大学都市テュービンゲンなどが並ぶ古来からドイツ文学の源泉となった場所である。

「ウィーラント」(Christoph Martin Wieland 一七三三年~一八一三年)はドイツの詩人・小説家。レッシングと並ぶドイツ啓蒙主義の代表者。叙事詩「オーベロン」、小説「アガトン物語」など。これらの話を遙かに年上のドイツ人女性と親しく英語で交わしたという辺り、ドイツ文学思潮への深い理解と敦の英語力には圧倒される。]

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