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2013/11/13

旅人と我名よばれん初しぐれ 芭蕉

本日二〇一三年十一月十三日

陰暦二〇一三年 十月十一日

 

  神無月(かんなづき)の初、空(そら)

  定めなきけしき、身は風葉(ふうえふ)

  の行末(ゆくすゑ)なき心地(ここち)

  して

旅人と我(わが)名よばれん初しぐれ

 

  はやこなたへといふ鶯の、むぐらの宿(やど)

  はうれたくとも、袖はかたしきて、御とまり

  あれやたび人

たび人と我名よばれむはつしぐれ

 

[やぶちゃん注:貞享四(一六八七)年芭蕉四十四歳同年十月十一日の作。

第一句目は「笈の小文」、第二句目は「俳諧千鳥掛」(知足編)のもので、後者の前書は世阿弥の複式夢幻能「梅枝」(太鼓の役争いで殺された楽人富士の妻の霊が津の国住吉を訪れた僧に嘆きを語る)の謠をそのまま用いている。以下にその冒頭から引用の地下歌までを掲げる(引用は高橋半魚氏の「半魚文庫」のものを参考に正字化し、読み易く加工した)。

   *

ワキ・ワキツレ次第

〽捨てゝも廻る世の中は。世の中は。心の隔なりけり。

ワキ詞

「是は甲斐の國身延山より出でたる沙門にて候。我緣の衆生を濟度せんと。多年の望にて候ふ程に。此度思ひ立ち廻國に赴き候。」

ワキ、ワキツレ道行

〽何処にも住みは果つべき雲水の 雲水の 身は果知らぬ旅の空 月日程なく移り來て 處を問へば世を厭ふ 我が衣手や住の江の里にも早く着きにけり 里にも早く着きにけり

ワキ詞

「急ぎ候ふ程に。これは早津の國住吉に着きて候。あら笑止や。俄に村雨の降り候。これなる庵に宿を借らばやと思ひ候。いかに此屋の内へ案内申し候。」

シテサシ

〽實にや松風草壁の宿に通ふといへども 正木の葛來る人もなく 心も澄めるをりふしに こととふ人は誰やらん

ワキ詞

「これは無緣の沙門にて候。一夜の宿を御借し候へ。」

シテ詞

「實に實に出家の御事。一宿は利益なるべけれども。さながら傾く軒の草。埴生の小家のいぶせくて。何と御身を置かるべき。」

ワキ

「よしよし内はいぶせくとも。降りくる雨に立ち寄る方なし。唯さりとては借し給へ。」

シテ

〽實にや雨降り日もくれ竹の 一夜を明かさせ給へとて

地下歌

〽はや此方へと夕露の 葎の宿はうれたくとも 袖をかたしきて 御泊あれや旅人

   *

「笈の小文」の旅で最初(十一月四日着)に身を寄せたのが尾張鳴海の古参蕉門であった下里知足亭であったが、安藤次男は「芭蕉百五十句」で『そのとき旅立の吟を記念に書与えたものらしい』とし、この『前書は芭蕉が、謡曲にまず出てくる旅僧の風体を以て己が行脚の好みとしたことを知らせてくれる興味ある例で』あるとする。首肯出来る。

 本句は所謂、紀行「笈の小文」の旅の旅立ちの吟で、十月十一日に其角亭で行われた送別の連句会で詠まれた。但し、亭主役は由之(以下に示した「笈の小文」の「磐城の住、長太郎」のこと)で、他に其角・枳風・文鱗・仙化・魚児・観水・全峯・嵐雪・挙白の連衆による十一吟世吉(よよし:世吉連歌。連句の形式の一つで百韻の初折と名残の折とを組み合わせた四十四句からなる略式のものであるが、この当時は既に廃れていた)の発句である。前掲の安藤の本によれば、芭蕉の「野ざらし紀行」「奥のほそ道」「笈の小文」の大きな三つの旅の内、『派手やかな送別の句座をかさねて江戸を後にしたのは、「笈の小文」だけである』とし、現在残るもの五回の送別句会を数え上げている。さらに何故、当時は既に顧みられなくなっていた古い世吉形式を採ったかについては、芭蕉がこの時、四十四歳であったことに掛けての趣向で、『旅の古字は』(ここに「旅」の字の古体である旁の部分の下部が「人人」となる字が入る)『と作る。「陳」(ならべる、つらねる)と同義である。四四に掛けたきみたちの餞別の気配りのおかげで、私も「旅人」になれる、本当の旅ができると句は告げている筈だ。かりにこのときの送別興行が歌仙であったなら、また、芭蕉が偶四十四歳でなかったなら「旅人と我名呼ばれん」と俳諧師は応えなかったかもしれぬ』と例によって快刀乱麻の解析をしている。

 「笈の小文」の出立部分を再現すると(新潮古典集成「芭蕉文集」を参考に正字化して示した)、

   *

 神無月の初、空定めなきけしき、身は風葉の行末なき心地して、

 

  旅人と我名よばれん初しぐれ

   また山茶花(さざんくわ)を宿々(やどやど)にして

 

 磐城(いはき)の住(ぢゆう)、長太郎といふ者、此脇を付けて其角亭におゐて關送りせんともてなす。

   *

とある。因みに、この附句の「また」は「野ざらし紀行」に「名古屋に入る道のほど諷吟す」とし載り、「冬の日 尾張五哥仙」の巻首を飾る貞享元(一六八四)年十一月頃に催された連句の発句として知られる破格の「狂句木枯の身は竹齋に似たるかな」に、野水(やすい)が脇句した「誰(た)そやとばしる笠の山茶花」を踏まえた付句である。

 「三冊子」で土芳は(岩波文庫頴原退蔵校訂版に拠る)、

   *

 此句は、師武江に旅出の日の吟也。心のいさましきを句のふりにふり出して、よばれん初しぐれ。とは云しと也。いさましき心を顯す所、謠のはしを前書にして、書のごとく章さして門人に送られし也。一風情あるもの也。この珍らしき作意に出る師の心の出所を味べし。

   *

と述べており、二句目の知足へ贈答したその前書きには、謠本のように脇に胡麻点(墨譜)を打ってあることも分かる。
 なお、「笈の小文」の実際の深川出立は、この十四日後の貞亨四年十月二十五日(新暦一六八七年十一月二十九日)のことであった。]

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