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« 中島敦 南洋日記 十月二十日 | トップページ | 日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 3 男と女 »

2013/11/26

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 2 斬首刑 / 日本刀の目利き

 昨夜福井氏が私の絵を見に来た。私は日本の習慣に就て彼と長い間話をした。彼は私の聞いたことは何事にまれ、出来得るかぎり説明して呉れ、私はいろいろと新しいことを知った。サムライの階級――彼もそこに属していた――は、各地方の主なるダイミョーの家来であった。彼等は最高の階級を代表し、数年前までは二本の刀を帯(おび)ることを許されていた。その短い方は、腰をめぐる紐の内側の褶(ひだ)に、長い方ほ外側の常にさし込まれるのであった。帯刀は勅令によって禁止されたが、君主に対する忠誠から、この勅令に従った際の犠牲が如何に大なものであったかは、西洋の国民には全然見当もつかないのである。両手で使う大きな刀は、敵と戦う為のもので、小さい刀は、大きな刀のした仕事を仕上げる為のものである。福井氏は私に、封建時代の死刑について話してくれた。彼は、そのあるものを目撃したことがある。職業的斬首刑吏は、最低社会階級なる特別の階級――事実、追放された人々――(政府は最近この区別を撤廃した)から選ばれた。斬首刑吏は犠牲者の着衣を貰うことになっていたので、非常に注意探くそれを首から押し下げ、膝から引き上げた。これは、処罰される者が、首を前方につき出して坐っている時、鋭い刀は電光石火、首をはねるはかりでなく、膝さえも切るので、斬首刑吏が配慮しなければ、着衣は役に立たなくなるからである。

[やぶちゃん注:「福井氏」不詳。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の人名索引にも出ない。本書では前に「福井」姓の人物は登場しない。しかし、モースは如何にも親しげであり、しかも以下の話、福井氏は直接モースに英語で語っているように見受けられる。さすれば、この福井氏とは日光などに追随した通弁だったのではなかろうか? 識者の御教授を俟つものである。

「封建時代の死刑について話してくれた。彼は、そのあるものを目撃したことがある」斬首刑は明治十五(一八八二)年一月一日の刑法改正を以って廃止されたので、実際には未だ当時法的に有効で実際に行われていた(実際、この二年後の明治一二(一八七九)年一月三十一日に強盗殺人で逮捕されていた稀代の毒婦と噂された高橋お伝の死刑が八代目山田浅右衛門の弟吉亮によって行われたが、これが日本で公的に最後の斬首刑であった。因みにお伝の遺体からは性器が剔抉され、現在の東京大学法医学部の参考室で犯罪類型研究のためにアルコール保存されていたから、明治十二と十五年に来日の際に彼がその標本を見た可能性もある)が、無論、モースのような外国人がそれを見る機会はまずあり得ず、福井氏もその残虐な刑が未だに存在していることは言い辛かったのであろう。

「職業的斬首刑吏は、最低社会階級なる特別の階級――事実、追放された人々――(政府は最近この区別を撤廃した)から選ばれた」やや誤解を生む記述で、ここでいう「職業的斬首刑吏」とは首切り浅右衛門で知られる幕府の死刑執行人であった山田家当主(山田家のルーツや、当主が幕下の公式な職務でありながら身分は旗本でも御家人でもなく浪人であったこと、山田家は刑死後の死体から肝臓・脳・胆嚢・胆汁等を採取して、それを原料に労咳に効くとされた「仁胆」などと称する丸薬を製造して莫大な収入を得ていたこと、また遊女が恋慕する男を騙すための約束用として死体の小指を売却することなどもあった、などという興味の尽きない話はウィキの「山田浅右衛門」に詳しい)を指すものではなく、処刑介添えや断罪の後始末を任された下級刑吏である穢多・非人を指している。不当な身分差別は「穢多非人ノ称ヲ廢シ身分職業共平民同樣トス」という明治四(一八七一)年八月に明治政府が行った穢多非人等の称や身分の廃止などの旨を記した太政官布告によって名目上は撤廃されたが、今もそのレイシストの亡霊がしこたま生き続けていることは言うまでもない。]

 

 サムライは、一年に一度、彼等の刀身を検査する目的で集合した。刀作者の名前は刀身の、柄の中に入り込む部分にきざんであり、柄は小さな木製の釘でとめてある。これ等の会合は、事実、あてっこをする会なので、刀身の作者の名は刀身、即ち鋼鉄の色合、反淬(やき)の探さ、やわらかい鉄へ鍛鉄した、鋼鉄の刃の合一によって出来る、奇妙な波のような線等を検査することによってのみ、決定されねばならぬ。すべての人々が彼等の推定を記銀し終ると、刀から柄を取外して署名を読む。刀身を取扱う時には、外衣の長い袖の上にそれをのせ、決して手で触らず、また鞘から抜く時には、必ず刃を手前にする。福井氏は、「サムライの魂」と呼ばれる刀に関する多くの礼式を話してくれたが、私はそれ等を記録に残す程明瞭に了解しなかった。

[やぶちゃん注:「サムライは、一年に一度、彼等の刀身を検査する目的で集合した」というのは不審。まさに「明瞭に了解しなかった」モースの聞き違えか。

「反淬(やき)」製鉄用語で焼き戻しのこと。焼き入れをした金属を焼き入れ温度より低い温度で再加熱する操作。鋼を粘り強くするために行った。]

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