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2013/12/03

中島敦 南洋日記 十一月三日

        十一月三日(月)

 朝七時半公學校に到る。既に式終了後なり。教員室に椰子蟹あり。スペイン僧あり。式毎に列席するといふ由。昭和二年より以來夏島にありといふ。總村長夏雄に會はんとせしも、不參。夏雄の子なる小使の少年に聞けば、移轉のため忙しきなりと。九時歸つて午(?)睡。スピノザを少し讀む。たかへの手紙。夜、滿月明るし、島田氏と支廳長官舍前迄散歩。

[やぶちゃん注:明治節である。

「總村長夏雄」これは以下に示すたかの書簡で氷解した。「夏雄」という日本名を持った現地夏島の「總村長」のことである。

「スピノザ」バールーフ・デ・スピノザ(Baruch de Spinoza 一六三二年~一六七七年)はオランダの哲学者。ヨーロッパ哲学史上最大の形而上学体系の創始者で、迫害を逃れてポルトガルから移住したユダヤ人を両親としてアムステルダムに生まれた。“Baruch”(「祝福された者」の意のヘブライ語)に当たるラテン語で“Benedictus”とも呼ばれる。ユダヤ人学校でヘブライ語・聖典学を学び、さらにユダヤ神学を研究したが、正統的見解に批判的となり、一六五六年にはユダヤ教団から破門され、神学者でありながら無神論者のレッテルを貼られて異端視された。ラテン語を学び、数学・自然科学・スコラ哲学及びルネサンス以後の新哲学に通暁、特にデカルト哲学から決定的な影響を受けた。デカルト・ライプニッツと並ぶ合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。彼の汎神論は唯物論的な一元論でもあり、後世の無神論や唯物論及びドイツ観念論・フランス現代思想にも強い影響を与えた。代表作「エチカ」(“Ethica”:倫理学。一六七七年刊。恐らくは敦の読んでいるのもこれであろう。以上は平凡社「世界大百科事典」とウィキの「バールーフ・デ・スピノザをカップリングした)。

「たかへの手紙」十月十七日からこの日までの日録形式でかなり長い。以下に示す。

   *

〇十一月三日附(消印トラック郵便局一六・一一・四、世田谷一六・一一・一〇。南洋トラック島夏島。東京市世田谷区世田谷一ノ一二四 中島たか宛。封書。航空便。旧全集「書簡Ⅰ」書簡番号一三六。太字は底本では傍点「ヽ」)

 十月十七日。今日はかんなめさい。内地の今頃は、いい気候だな。柿(カキ)の鮮やかな色が、目の前に浮かんでくるよ。本郷町の家の書斎に小さなすすきを立て、芋と栗を供へて、お月見をしたつけな。さきおととしだつたか、おととしだつたか桓と三人で、海の見える所迄月見に行つた時、お前がキタナイものをふんづけたつけね。今日、旅館の食卓の上に、菊の花が插(さ)してあつた。匂(ニホヒ)をかいで見たらほんものさ。一昨日内地を發(た)つた飛行機が、持つて來たんだとさ。一寸嬉しかつたね。今日の童は、公準校の先生方が、御馳走をしてくれたので、雞と卵が喰(く)へた。普通離島へ行かなければ、くへないんだ。夏鳥といふ所は、パラオよりも、まだ、食料に乏(トボ)しい。バナナ一本無い。椰子の水も容易にのめない。僕は、公学校の生徒に積んで、毎日二つぐらゐづつ飲んでゐるんだが。魚もないんだ。このトラック旅館で食事をするやうになつてから、ホントの(冷凍(レイトウ)でも、カソヅメでもない)魚は、一度もたべてゐない。なさけない所さ。パラオの食堂では、魚だけは、あつたからね。そんな食事だから、毎日椰子の水で栄養をつける必要があるんだよ。今日から早く、月曜島へ行つて、雞でもたべてこ ようと考へてゐる。夏島はイヤな所さ。あ一、サンマが喰ひてえなあ! ここで一番喰はされるのは、「ウンチバ」つていふ熱帶産の野菜だ。イヤな名前だらう。それにチツトモうまくないんだ。朝も(オミオツケのミ)晝も晩もウンチバ、ウンチバで、すつかり腐つちまふ。

 十月十八日→二十日、ずうつと防空演習と、雨天とで、參つてゐる。僕みたいな旅行者は、燈火管制の用意なんぞ、してないもんだから、ずうつと、電燈をつけないでゐるんだ。五時に夕食をすますと、すぐフトンにはいつちまふ。

 闇の中で、色んなことを考へるよ。おたかは相愛らず、「イエ、イエ、それは可哀さうー」なんて歌をうたつて働(ハタラ)いてるかい?「いやらしい」つて言ふ相手が無くて、困つてるんだらう。桓の小さい時の、フクロのキモノを着て歩いてた姿を思出すよ。ノチヤもあゝやつて歩いてるんだらう。内地は、もう段々寒くなつて行くからな。ノボルの一番、面白い時を見ずに、過すのかと思ふと殘念だ。子供を育てるのは、何も、大きくするだけが目的ぢやない。大きくなれば、ニタラシクなるだけさ。(大きくして、あとで、こちらが養つて貰ふためでもない。)小さな奴を、色々氣をつかひながら、そだてゝ行くその過程(クワテイ)が、樂しいんだらう? さう考へると、格の可愛い時期を、離れて、すごすのが、くやしい。だが、氣質からいへば、桓の方がズツト俺に近いやうだな。

 二一日夜、今、突然、本廳から電報が來て、急いで、パラオに歸ることになつた。サイパトラックからサイパン迄は飛行機を使ふ。十一月八九日頃迄にはパラオに着くだらう。(大體、一番はじめの豫定と同じやうになるわけだ)ボナべを良く見ないで行くのは(一月(ヒトツキ)ばかり旅行期間が短くなるのも)殘念だが、公務だから、やむを得ない。オレが立つたあとで、お前の飛行便が、トラックに來るかも知れぬが、それは、パラオへ廻送して貰ふやうに、たのんでおく。

 二十二日――飛行機が來る前に大急ぎで、月曜島と水曜島とを見て來なきやならないんだが、昨夜から、大風が吹出して、船が出ない。水曜島迄僅か四時間半位なものだが、この定期船は、この間沈沒して引揚げられたばかり(イヤな舟に乘ることになつたもんだよ)とかで、中々、大事をとつて、出さない。もつとも此の風では、飛行機の方も遲れるだらう。

 二十三日。今日も暴風で、船は駄目。しかし飛行機も遲れるさうだ。

 二十四日、今日も月曜島向けの舟は出ない。朝から公學校の學藝會を見に行つた。土人の少年はハモニカが上手だ。

 二十五日。今日は出さうだといふので、棧(サン)橋迄行つて待つてゐたが駄目。その代り飛行機も、ぐんと遲れて來月にならなけれは出ないさうだ。この飛行機(まだ横濱にゐる。之がサイパン・トラックと來て、一ぺんパラオ迄行き、又引返してトラックへ來た時、僕が乘るんだ)が來ないので、まだお前の手紙もとゞかない譯だ。お前の手紙を五十日近くも見ないんだから、隨分と、見たいよ。ヒマだから、今日は夏島町演藝會(〇〇慰問)を見た。沖繩踊りが澤山あつて面白かつた。日本の踊は、をかしくて見ちやゐられない。

 二十六日。やつと定期船が出た。小さなボンボンさ。恐ろしく搖られながら水曜島に着いた。國民學校の校長(といつても、校長一人で細君が助手さ)の家に泊る。雞のすき燒のはかに、鰻(ウナギ)の蒲燒をたべた。土人はウナギを一種の神と考へて、恐れてゐるので、喰はない。だから、川で、いくらでも取れるらしい。内地のウナギと味は、さう變らない。少し、アブラがすくないやうだ。ここで取れる鰺(アジ)もたべた。一ぺんに榮養を取入れた形だ。夏島とはエライ違ひさ。貝も澤山たべたよ。

 十月二十七日。朝、一寸、公學校の授業を見てから、昨日の舟にのつて、月曜島に向ふ。今日は、風が靜まつたので、搖れない。月曜島には國民學校は無い。直ぐに公學校に行つたが、恐ろしくブアイソウな校長だ。觀察の豫定を變更されては困るといつて怒つてゐるので、僕を案内して來た支廳(チヤウ)の役人も腹を立てちまつた。豫定を變更するなといつたつて、舟が出ないものは仕方がないぢやないか。(支廳からは二十二日に僕が行くといふ通知を前に出しておいたらしい)隨分無理を云ふ爺さんさ。しかしね、午後になつて、一緒にドイツ人の女の經營してゐる宗教女學校へ行つてね、僕が(丁度そのドイツ婦人が、英語のよく出來る人だつたので)英語で話をするのを聞いて、ドイツ語ぢやスラスラ話は出來ないからね、大分驚いたらしいんだね。それからは、爺さん、スツカリ言葉がテイネイになつて了つて、待遇もズツト良くなつたから、をかしなもんさ。そのドイツ婦人(日本語は全然できない。土人の言葉ならウマイもんだ)は實に上品な立派な人だ。はじめて南洋へ來たのが一九〇九年といふから、僕の生れた年さ。歸りに、大きなオレンヂを澤山呉れたよ。

 二十八日、舟の都合で、もう一日ここで泊らねばならぬ。午前中は公學校の授業參觀。先生の方の日本語がアヤシイから困る。午後は月曜島の近くの、もつと小さい島(江の島といふ)まで、カヌーで行つて見た。島を一廻りした。島民が子安(コヤス)貝を二個くれた。ここの校長の家に去年の二月生れの男の子がゐる。格と大體同じだね。しかし、ここの子は、何も口もきかず、藝もしないよ。元氣よく駈けまはつてゐるだけだ。ノチヤスケは、どうしてるかねえ、ノチヤスケは。

 二十九日。朝、舟に乘り夏島に向ふ。正午夏島着。飛行機は又々おくれて、來月四日頃になるといふ。それではサイパンでの連絡(ラク)が惡いので、どうすべきか、本應へ問合せの電報を打つた。キツト「サイパンへ廻らず、ひとまづパラオへ歸れ」と言つてくるだらうと思ふ。その方がいいと僕も思ふ。

 十月三十日――今日はヒマなので、公學校の先生方と達と、夏島一周の遠足に行つた。三里餘りある。途中、南洋拓殖(タクシヨク)會社の農場で、はじめて、赤いサルビヤを見つけた。葉が、すつかり、しほれてゐるのは、どういふ譯(ワケ)だらう。夏島の村長(土人)を夏雄といふんだ。その男の家も見たが、二階建の中々良いウチだよ。ナツジマのナツヲさんなんて、いいぢやないか。遠足の途中、到る所に生徒の家があるの椰子水を御馳走してくれる。面白かつたよ。

 三十日。朝、本廳から電報が束た。豫想通り、「一先づ最近の飛行便で歸任せよ」、といふんだ。ボナぺへ行けないのが、殘念だが、それを別にすれば、一ぺんパラオへ歸つて、サイパンとヤップは又出直す方が良いと思ふ。旅は好きだが、夏島は、もうイヤになつた。バナナの無い南洋なんて、意味ないよ。所で、その飛行機が中々、やつて來ないらしい。それが横濱から來れば、お前の手紙を受取つて、すぐ次の日、それに乘つてパラオへ向ふんだ。南洋はもう二三目前からスツカリいい天氣になつたのに、内地とサイパンの間に、物凄い低氣壓があるんださうだ。もう三四日駄目らしいね。お前等の世田谷へ移つてからの樣子がまだ少しも分つてないんだから、トテモ不安なんだ。早く、お前の手紙が讀みたい。苦しいことがあつたら、お前、何でも書いてよこすんだよ。オレだつて、病氣のことを、すつかり、知らせて、トンダ心配をさせちまつたんだから、お前も隱さずに書いてよこすべし。でも、お前達は、いいなあ、一緒にゐられてさ。オレなんぞ見ろよ。淋しいつたら、ないぜ。お前達の寫(シヤ)眞を送つてくれ。もう寫(シヤ)眞屋へ行つたつて怒らない。誰の撮つたんでもいいから送つておくれ。

 十一月一日。今日は、洗濯シャボセツケンを買つて來て、シャツや靴下を洗つた。恐ろしく鰯(イワシ)臭いシャボンで、氣持が惡い。三枚南洋へ持つて來た麻の着物の中一枚(はじめからヒザの所が少し破けてたヤツ)は、モノスゴクボロボロになつちまつたぜ。(但し、新しく、送る必要は絶對になし。無理に送りたければ、サルマタを送れ)僕の部屋の前にビワの木に似た木があつて、白い花を澤山つけてるんだが、とてもいい香だ。素馨(ソケイ)(英語で、ジャスミンといふ)といふ花ぢやないかと思ふ。毎朝落ちた花を拾つては机の上に十位のせとくと、一日、いい香がする。其の花を一つ、押花にして同封するが、白い花は、茶色にキタタナク變つて了つて吃度ダメだらう。いつか、お前がクチナシの花を入れて送つて來た時も、スッカリ茶色に變つて何だか蛾(ガ)みたいで氣特が惡かつたから、この花も大方ウマクは行くまいが、ホントは中々良い花なんだよ。飛行機は、まだ横濱を立たないさうだ。僕が食事をする、前の旅館に、此の前パラオ丸で一緒だつた南洋拓殖(タクシヨク)の重役が、やはり、僕と同じ飛行機を待つてゐるんだが、退屈でタマラナイと見えて、一日に二度も三度も僕の所へ話しにやつてくる。(役者の古賀をホメテタオヂサンだよ)三高から東京帝大を出て、役人になり、最後は、臺灣の文教(ブソキヨウ)局長をしてから、やめて、南拓(ナンタク)に入つた人だが、頭は、あまり良くない人だ。話をして見ると、良く、それが分る。臺灣にゐた頃、此の人の下に、下川(シモカハ)さん(お父さんの友達の)なんかがゐた譯で、良く知つてるさうだ。今、下川さんは臺北高等學校の校長になつてるとか、言つてゐた。「臺北は喘息に良くないと思ふ。もし良ければ、下川氏に僕が、あんたを推薦してもいいが」などと、そんなことも言つてたぜ。下川さんとは、前の(四五年前)のイキサツがあって、少々マヅイので、僕は、だまつてゐたよ。このオヂサンは島田さんといふ名だ。僕と同じ飛行機で。パラオに行き、それから、船で東京に歸るんださうだ。

 十一月二日。まだ飛行機は内地を立てないさうだ。元來、これは、十月二十二日横濱發の筈だつたんだから、之で十二日のびたわけだ。早くお前の手紙も見たいのに。何度も云ふけれど、お前の方には、オレの方の消息は、比較的、近くまで分つてゐるワケだのに、オレの方と來たら、お前達の樣子は八月三十日あたりから、まるで判(ワカ)つてゐないんだからね。今日は夏島國民學校の運動會。一寸のぞいて見た。ひどくセマイ運動場に、まあ何と澤山の人が集まつたことよ! 九十度の炎(エン)熱の下(モト)の運動會ははじめてだ。一年生、二年生のユウギを見てゐると、去年、シンペイさんの、シンペイさんの、ニチエウビ、を練習してゐた桓を思出す。今年の運動會には、桓も出られたらうね。桓! 桓! 丈夫にそだつて呉れ、頭なんか、ニブイ方がいい。たゞ丈夫でスナホな人間になつてくれ。そして格と仲良くしてくれ。

 夕食は公學校校長の招待。春島から仕入れたといふ豚肉をたべた。月が明るい。

 十一月三日。今日は明治節で、オマケに滿月。飛行機も今朝やつと立つたらしい。では、こんどの手紙は飛行機の上から。

   *

「ウンチバ」不詳。識者の御教授を乞う。

「土人はウナギを一種の神と考へて、恐れてゐる」今回、Kay1490氏のブログ「ここは誰?だから何!」の「南洋紀行・Pohnpei編(Part.8[旅行]の記事にチューク諸島(旧トラック諸島)でもポンペイ諸島(旧ボナペ諸島)の現地の人々にとってはウナギが「神の使い」で、捕まえたり食べたりしないとあるのをやっと見つけた。そこにはそのウナギの画像があるが、これを見ると所謂、条鰭綱新鰭亜綱カライワシ上目ウナギ目ウナギ亜目ウナギ科ウナギ属 Anguilla の中でも、大型で熱帯性のオオウナギ Anguilla marmorata であることが視認出来る。但し、一般にはオオウナギは我々の食すニホンウナギ Anguilla japonica に比すと不味いとされている(私は残念なことに未だ食したことがない)。

「下川」旧制台北高等学校廃校時の校長下川履信(りしん)。「前の(四五年前)のイキサツ」は不詳。少々気になる。

「九十度」華氏。摂氏三十二・二度。

「シンペイさんの、シンペイさんの、ニチエウビ」戦時童謡「新兵サンノ日曜日」(キングレコード/歌・高安貞子/作詞・市橋直治郎/作曲・山口保治)。

「そして格と仲良くしてくれ」の「格」は兄「桓」の誤記であろう。

「十一月三日。今日は明治節で、オマケに滿月」当日は旧暦九月一五日で十五夜であった。]

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