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2013/12/13

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 26 赤門

M279
図―279

 先日の朝、私は加賀屋敷の、主な門を写生した(図279)。塀の内側にある我々の家へ行くのに、我々はこの門を使用せず、住んでいる場所の近くの、より小さい門を使う。門構えの屋根は、大きな濃い赤の棟があり、重々しく瓦が葺(ふ)いてある。木部は濃い赤で塗られ、鉄の化粧表、棒その他は黒い。これは絵画的で、毎朝その前を通る時、私はしみじみと眺める。屋敷を取巻く塀は非常に厚く、瓦とセメントで出来ていて、頑丈な石の土台の上に乗り、道路とは溝を間に立っている。塀の上には、写生図にある通り、屋根瓦が乗っている。
[やぶちゃん注:所謂、現在の東京大学の俗称である赤門。本郷通りに面し、現在の東大キャンパスの南西部に位置している。東大の正門とよく間違われるが正門ではない。旧加賀藩主前田家上屋敷の御守殿門(御守殿とは三位以上の大名に嫁いだ徳川将軍家の娘の敬称。門を丹塗りにしたところから表門の黒門に対して俗に赤門と呼ばれる)であり、文政一〇(一八二七)年、第十二代藩主前田斉泰が第十一代将軍徳川家斉第二十一女溶姫を迎えるために造営された薬医門(鏡柱(正面の二本の主柱)から控え柱(鏡柱後方の扉の左右の柱)までを取り込む屋根を持つ門で、本来は公家や武家屋敷の正門などに用いられたが扉をなくして医家の門として用いられたことからかく呼ぶ)で切妻造。左右に唐破風造の番所が配されてある。国重要文化財(旧国宝)。以上はウィキや武家屋敷の門についての信頼し得る複数のネット記載を綜合して記述した(次も同様)。私は自分の幼少期の記憶の景色を思い出しては、ある種の曰く言い難い違和感を感ずるのであるが、実は現在の舗装された道路というのは、かつての実際の地面の高さから一メートル以上も盛り上がっているのである(私の家の前の県道は、たまたま見つけた道路工事用の数値マーキングから一メートル二十センチも高いことを数年前に知った)。この赤門の絵も、本郷通りからは有意な勾配を以って赤門へのエントランスが通じており、手前の婦人と蜻蛉釣りをしているかと思われる子供は明らかにずっと低い位置に立っている。僕らは背の低い小さな頃、周囲の景観をもっともっと見上げるような感じで生きていたのだ……世界はもっともっと広かったのだなぁと……何か幽かな哀感とともに私はこの頃、感慨をさえ感ずるのである……
「住んでいる場所の近くの、より小さい門」現在の東京大学正門附近と思われる。キャンパス西部、本郷通りの赤門から366メートル北に位置する。現在のそれは築地本願寺の設計で知られる伊東忠太の手になるもので、大正元(一九一二)年に完成したもので、横に配された門衛所と合わせて登録有形文化財となっている。
以下、有意な一行空けがある。]

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