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2013/12/24

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 35 砂絵師


M287
図―287

 

 街頭に於る興味の深い誘惑物は、砂絵師である(図287)。彼はつぎだらけの着物を着た老人であった。彼が両膝をつき、片手で地面の平な場所を払った時、私には彼が何を始めようとするのか、見当がつかなかったが、集って来た少数の大人と子供達は、何が起るかを明かに知っているらしく見えた。充分な広さの場所を掃うと、彼は箱から赤味を帯びた砂を一握取り出し、手を閉じた儘それを指の間から流し出すと共に、手を動かして顔の輪郭をつくった。彼は指と指との隙間から砂を流して、美事な複線をつくった。白い砂の入った箱も、使用された。彼は器用な絵を描き、群衆が小銭若干を投げたのに向って、頭を下げた。

[やぶちゃん注:私は日本でこうした砂絵師を実見した記憶はない。バルセロナでそれらしいものを見たような記憶があるようなないような(確かではない)。ネットを見ても、ここに出るような大道芸人の砂絵師の具体的な詳細記載は見当たらない(まさに砂の絵のように過去に消え去ったものか)。ただ、芥川龍之介の大正七(一九一八)年の俳句に、

 

日傘人見る砂文字の異花奇鳥

 

という句があり(別稿に「日傘人見る砂文字の異花奇禽」)、中田雅敏は編著の蝸牛俳句文庫「芥川龍之介」の鑑賞文で、砂文字は大道芸の一つで、色の付いた砂で絵を描いて見せたとあり、浅草辺りの嘱目吟であろうと推定しておられるのを辛うじて思い出すばかりである(私のやぶちゃん版芥川龍之介句集 二 発句拾遺を参照)。

 川嶋信雄氏のブログ「ノボ村長の開拓日誌」の「江戸のアーティスト」のページに杉浦日向子「江戸アルキ帖」に(私は所持しない)、以下のようにあるとある。孫引きさせて戴く。

   《引用開始》

安永七年九月十四日(晴れ)

蔵前牛頭天王社(くらまえごずてんのうしゃ)

 牛頭天王の社で、砂絵師を見た。

 白い砂を握り、湿った黒い土の上に、小指のすきまから、サラサラと落とす。そうやって、いういろな絵を描く。仕上ると、地面をなでさすって消し、また別の絵を描く。美女が、菩薩が、馬が、舟が、現われては消える。

 一瞬を生きるか、氷遠を生きるか。天に鳥、地に蟻。

 砂絵師の手元が大きく動くと、楼閣は散って、黒い土になった。

   《引用終了》

当該ブログには杉浦氏の絵も貼られてあるが、絵師の背中の二箇所のツギや奥の見物人の配置やポーズまで全く同じで、この絵は明らかにここのモースのデッサンから起こしたものであることが分かる(敢えて当該ブログの画像を以下に示しておく。但し、私は剽窃という批判的なニュアンスからかくするものではないことを断わっておく。亡き日奈ちゃんを……私は寧ろ、愛していたぐらいだ……)。

20120924154128

 なお、現代の砂絵師としてはウクライナのクセニア・シモノヴァ(Ксенія Симонова)の砂絵を是非、紹介しておきたい。]

 

 

* 私はロンドンでも歩道に、群衆から銭を受けるという同じ目的で、同様な方法で絵が描れるのを見た。合衆国人類学部の出版物によると、西部インディアンのある種族は、宗教的儀式に関連して、いろいろな色彩の砂を使用し、こみ入った模様を描くそうである。

[やぶちゃん注:サイト『立命館大学グローバルCOEプログラム「生存学」創成拠点――障老病異と共に暮らす世界へ』のにそうしたナバホ族の砂絵師にして最後の呪医であったハスティーン・クラーについて書かれた、フランク・ニューカム著鈴木幸子訳「ハスティーン・クラー――ナバホ最高のメディスンマン・砂絵師の物語」生活書院二〇〇八年刊(Newcomb, Franc J. 1980Hosteen Klah: Navaho Medicine Man and Sand Painter”)の簡単な解説がある(私は未読)。]

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