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2013/12/12

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 24 明治十年のアジア型コレラのパンデミック

この前に一段落分を落していたため、改めて公開し直した。



 横浜と東京とにアジア虎疫(コレラ)が勃発したという、恐しい言葉が伝った。この国の政府の遠慮深謀と徹底さとには、目ざましいものがある。この厖大な都会は、ニューヨークの三倍の地域を占め、人力車が五、六万台あるということだが、その各が塩化石灰の一箱を強制的に持たされている。毎朝、小使が大学の廊下や入口を歩いて、床や筵に石炭酸水を撒き散し、政府の役人は、内外人を問わず、一人残らず阿片丁幾(アヘンチンキ)、大黄、樟脳等の正規の処方でつくった虎疫薬を入れた小さな硝子瓶を受取る。これには、いつ如何にしてこの薬を用うべきかが印刷してあるが、私のには簡潔な英語が使用してあった。

[やぶちゃん注:「アジア虎疫(コレラ)」原文“Asiatic cholera”。コレラ菌のアジア型(古典型)。ウィキの「コレラ」によれば、コレラ菌は現在、従来のアジア型(古典型)とエルトール型及び一九九二年に新たな菌としてO(オー)139が発見されている。コレラは強い感染力を持ち、特にアジア型は高い死亡率を示してペストに匹敵する危険な感染症であるが、ペストとは異なり、自然界ではヒト以外には感染しない。流行時以外にコレラ菌がどこで生存しているかについては諸説あり、海水中・人体に不顕性感染の形で存在・甲殻類への寄生が考えられている、とある。治療を行わなかった場合の死亡率はアジア型では75~80%と高い(エルトール型では10%以下)。『アジア型は古い時代から存在していたにもかかわらず、不思議なことに、世界的な流行(パンデミック)を示したのは19世紀に入ってからである。コレラの原発地はインドのガンジス川下流のベンガルからバングラデシュにかけての地方と考えられて』おり、『世界的大流行は1817年に始まる。この年カルカッタに起こった流行はアジア全域からアフリカに達し、1823年まで続いた。その一部は日本にも及んでいる。1826年から1837年までの大流行は、アジア・アフリカのみならずヨーロッパと南北アメリカにも広がり、全世界的規模となった。以降、1840年から1860年、1863年から1879年、1881年から1896年、1899年から1923年と、計6回にわたるアジア型の大流行があった。しかし1884年にはドイツの細菌学者ロベルト・コッホによってコレラ菌が発見され、医学の発展、防疫体制の強化などと共に、アジア型コレラの世界的流行は起こらなくなった』とあるから、このモースの謂いは『1863年から1879年』のパンデミックを指していることが分かる。

「この厖大な都会は、ニューヨークの三倍の地域を占め」ニューヨーク市の現在の面積は約1214平方キロメートル(陸地部分が約785、水面部分が429平方キロメートル)であるのに対し、現在の東京都の面積は2187・58平方キロメートルで1・8倍でしかないが、恐らくは双方の境界域がこの頃とは異なることによるのでろう。

「人力車が五、六万台あるという」既注済みであるが、明治九(一八七六)年の東京府内で2万5038台と記録されており(明治九年東京府管内統計表による)、一年後の明治十年に「五、六万台」というのは誇張された数値としか思われない。

「塩化石灰」原文“chloride of lime”。晒し粉、次亜塩素酸カルシウム(Calcium hypochloriteCaCl(ClO)H2O又はCa(ClO)2の粉末のこと。水溶性で強い酸化力を持ち、殺菌・消毒・漂白に用られる。

「石炭酸水」原文“carbolic acid water” 炭酸水(carbonic acidH2CO3)。塩基性を示す炭酸塩は古来、灰汁(あく)として日常生活での洗浄などに用られてきた。

「阿片丁幾(アヘンチンキ)」原文“formula of laudanum”。アヘンチンキ (laudanumopium tincture)はアヘン末をエタノールに浸出させたもの。ウィキの「アヘンチンキ」によれば、アヘンのアルカロイドのほぼすべてを含んでおり、その中にはモルヒネやコデインも含まれる。特にモルヒネが高い濃度で含まれているため、歴史的に様々な病気の治療に使われたが、主な用法は鎮痛と咳止めであった。英語圏では「ローダナム」とも呼ばれるが、現在の医学ではアヘンチンキの名称を用いることが多い。ローダナムという名前を与えたのは十六世紀のスイスの錬金術師パラケルススで、十八世紀に入ると種々の薬物を混合したものが広く薬として使用されるようになったとあり、とある資料(“In the Arms of Morpheus: The Tragic History of Laudanum, Morphine, and Patent Medicines”, by Barbara Hodgson. Buffalo, New York, USA. Firefly Books, 2001, pages 44-49.)には、『「一時的なものであれ、咳や下痢や痛みを和らげる薬がなぜ一般受けするかを理解するには、その時代のでの生活がどのようなものであったかを考えなければならない」1850年代には、「コレラや赤痢が様々な地域で蔓延し、罹患者は下痢による衰弱でしばしば命を落とした」「また、浮腫や結核、マラリアそしてリューマチも一般に見られた」』とあり、また『19世紀には、アヘンチンキは「痛みを和らげ、安眠でき、苛立ちを鎮め、過剰な分泌を阻止し、神経系統を支え…そして催眠剤としての」特効薬として使われ』、『万能薬のような用いられ方』がなされたが、これはその当時の限られた薬種の中ではアヘンの派生物は有効で入手し易い治療方法の一つであったことによる。『アヘンチンキは風邪から髄膜炎、そして循環器の病気に至るまで、大人子供を問わず広く処方され』、『鎮痛剤、鎮咳剤、止瀉剤として有名だったが、さらに結核、熱病、百日咳、コレラといった伝染病や各種神経症の治療にも用いられた』。『日本においては、約500年前で中国経由でアヘンが伝わったとされるが、中国のようにアヘンを喫煙によって摂取する習慣は伝わらなかったようである。また当時の漢方医学では全く用いられておらず、江戸時代に民間医療書である「普救類方」に、胃の調子がおかしいときに「罌粟殻(けしのから)を水にて煎じて飲む」とあり、ケシが薬用に供されていた。しかし、アヘンを採取していたかどうかははっきりせず、恐らく日本におけるアヘンはオランダ人から持ち込まれたものが、日本人の蘭方医に伝わったとされる』。『シーボルトは眼病の治療のために、ベラドンナエキスや塩酸重土(塩化バリウム)とアヘンチンキを調合しており』、『癌摘出手術の術後治療にも用いている』 。また、安政五(一八五八)年に『中国経由で入港中の米軍艦ミシシッピー号、(ペリー艦隊4隻中の1隻)の、コレラに罹患した乗組員がもとでコレラが長崎に大流行し、ポンペと長崎養生所(医学伝習所)がこれを治療した際に、アヘンとキニーネを用いている』とあって、コレラ治療への積極的な処方が記されてある。

「大黄」“rhubarb” 双子葉植物綱タデ目タデ科ダイオウ属 Rheum の植物を総称して大黄(だいおう)という。薬用植物で漢方薬では本属の一部植物の根茎を基原とした生薬を大黄という。消炎・止血・緩下作用があり、漢方ではそれを利用した大黄甘草湯に配合されるだけでなく、活血化瘀作用(停滞した血液の流れを改善する作用と解釈される)を期待して桃核承気湯などに配合されている。日本薬局方では基原植物をショウヨウダイオウ Rheum palmatum・タングートダイオウ Rheum tanguticum・ダイオウ Rheum officanale・チョウセンダイオウ Rheum coreanum 又はそれらの種間雑種とする。指標成分は瀉下作用の活性成分であるセンノサイドであり、日本薬局方には最低含有量が規定されているが、活血化の作用を期待して大黄を使用する場合には瀉下作用は副作用となってしまうため、その含量規定は低く抑えられている(ここまでは主にウィキダイオウ及び製薬会社福田株式会社の「ダイオウ(黄)」(PDFファイル)の記載に拠った)。現在の消化器内科に於いても、コレラ性の下痢に対する大黄由来物質による抑制効果があることを述べた記事がネット上で見つかる。

「樟脳」“camphor” 。分子式 C10H16Oで表される二環性モノテルペンケトンの一種。カンフル(オランダ語:camphre)あるいはカンファー(ドイツ語:camphor)とも呼ばれる。双子葉植物綱クスノキ目クスノキ科ニッケイ属クスノキ Cinnamomum camphoraの精油の主成分であるが、他にも各種の精油から見出されている。クスノキはアジア、特にボルネオに産することから樟脳の別名の起源となっている。参照したウィキ樟脳」によれば、『血行促進作用や鎮痛作用、消炎作用、清涼感をあたえる作用などがあるために、主にかゆみどめ、リップクリーム、湿布薬など外用医薬品の成分として使用されている』が、『かつては強心剤としても使用されていたため、それらの用途としてはほとんど用いられなくなった現在でも、「駄目になりかけた物事を復活させるために使用される手段」を比喩的に"カンフル剤"と例えて呼ぶことがある』(現在の強心剤はアドレナリン作動薬が用いられている)。『19世紀初頭では樟脳とアヘンを混ぜて子供の咳止めとして用いることもあったが、多くの子供はよりひどい状態になり、この処方をするくらいなら放っといたほうがましだと評価されていた。その他にも香料の成分としても使用されている』とあって、ここでモースが示したアヘンチンキとの混合薬剤があったことが知れる。また、『樟脳は皮膚から容易に吸収され、そのときにメントールと同じような清涼感をもたらし、わずかに局部麻酔のような働きがある』とあって、コレラの激しい下痢を緩和する効果を期待したものとも思われる。『しかし、飲み込んだ場合には有毒であり、発作、精神錯乱、炎症および神経と筋肉の障害の原因になりうる』ともある。]

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