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2013/12/17

萩原朔太郎「郷愁の詩人 與謝蕪村」より「春風馬堤曲」(やぶちゃん原詩補注版)

[やぶちゃん注:本文底本は「郷愁の詩人 與謝蕪村」(昭和一一(一九三六)年第一書房刊)は特に原詩表記に問題があるため、筑摩書房版「萩原朔太郎全集」第七巻所収の「郷愁の詩人 與謝蕪村」の「春風馬堤曲」パートを用いた。原詩に就いては最も信頼出来る形を後注で示し、簡単な語注を附した。なお、最後の「附記」は底本ではポイント落ちで全体が二字下げである。最後にやはり本文の簡単な語注を附しておいた。]

 

  春風馬堤曲

 

やぶ入や浪花を出て長柄川

春風や堤長うして家遠し

堤ヨリ下テ摘芳草 荊與蕀塞路

荊蕀何妬情 裂裙且傷股

溪流石點々 蹈石撮香芹

多謝水上石 教儂不沾裙

一軒の茶見世の柳老にけり

茶店の老婆子儂を見て慇懃に

無恙を賀し且つ儂が春衣を美ム

店中有二客 能解江南語

酒錢擲三緡 迎我讓榻去

古驛三兩家猫兒妻を呼び妻來らず

呼雛籬外鷄 籬外草滿地

雛飛欲越籬 籬高墮三四

春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ

たんぽぽ花咲り三々五々五々は黄に

三々は白し記得す去年この道よりす

憐みとる蒲公莖短して乳を浥(あま)せり

昔々しきりに思ふ慈母の恩

慈母の懷袍(ふところ)別に春あり

春あり成長して浪花にあり

梅は白し浪花橋畔財主の家

春情まなび得たり浪花風流

郷を辭し弟に負て身三春

本を忘れ末を取る接木の梅

故郷春深し行々て又行々

楊柳長堤道漸くくれたり

矯首はじめて見る故國の家

黄昏戸に倚る白髮の人

弟を抱き我を待つ 春又春

君見ずや故人太祇が句

  藪入の寢るやひとりの親の側

 

[やぶちゃん注:本文に就いては補正された筑摩書房版「萩原朔太郎全集」第七巻所収の「郷愁の詩人 與謝蕪村」本文中の「春風馬堤曲」を一応の底本とした。なお、四行目の漢詩第一句目、

 荊蕀何妬情

は「夜半楽」(蕪村が安永六(一七七七)年の春興帖として出した俳諧撰集)に拠るもので、「蕪村句集」(蕪村一周忌の天明四(一七八四)年板行)では、

 荊蕀何無情

である(以下に示す大倉広文堂版「俳文俳論新選」は「無情」を採る)。また、後ろから三行目の、

 楊柳長堤道漸く暮れたり

は「蕪村文集」に拠るもので、「夜半楽」に載る句形では、

 楊柳長堤道漸くくだれり

である(以下に示す岩波文庫版「蕪村俳句集」及び新潮日本古典集成版「與謝蕪村集」では、この「くだれり」を採る)。

 なお、原詩には序があり、字配にも工夫がなされているので、それを再現する。底本には岩波文庫版尾形仂校注「蕪村俳句集」(但し、底本は新字)及び新潮日本古典集成版清水孝之校注「與謝蕪村集」、潁原退蔵校註「俳文俳論新選」(昭和一〇(一九三五)年大倉広文堂刊)の字配と表記を比較勘案して独自に最も原詩に近い形と思われる、一部(原詩に附されたカタカナの読みや送り仮名)を除いて訓点を附していないものを【原詩】として作成した(但し、踊り字「〱」は正字化した。以下同じ)。次にそれに返り点のみを附した【原詩(訓点附)】を、最後に同じく三種の資料を勘案して難読部の読みと訓読を施した【訓読版】を示した(「序」は読みづらくなるので行頭から連続させ、一部に読点その他を追加、流れを示すために圏点ごとに有意な空行を挿入した。読みは必ずしも諸本に拠らず独自に附した)。但し、先に示した異同部分は萩原朔太郎の選んだままを保持した。

   *

【原詩】

 

春風馬堤曲

 

             謝蕪邨

  余一日問耆老於故園。渡澱水

  過馬堤。偶逢女歸省郷者。先

  後行數里、相顧語。容姿嬋娟、

  癡情可憐。因製歌曲十八首、

  代女述意。題曰春風馬堤曲。

 

 

    春風馬堤曲 十八首

 

○やぶ入や浪花を出て長柄川

○春風や堤長うして家遠し

○堤ヨリリテ摘芳草  荊與蕀塞路

 荊蕀何妬情   裂裙且傷股

○溪流石點々   踏石撮香芹

 多謝水上石   敎儂不沾裙

○一軒の茶見世の柳老にけり

○茶店の老婆子儂(ワレ)を見て慇懃に

 無恙を賀し且儂が春衣を美

○店中有二客   能解江南語

 酒錢擲三緡   迎我讓榻去

○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず

○呼雛籬外鷄   籬外草滿地

 雛飛欲越籬   籬高墮三四

○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ

○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に

 三々は白し記得す去年此路よりす

○憐とる蒲公莖短して乳を浥(アマセリ)

○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩

 慈母の懷袍別に春あり

○春あり成長して浪花にあり

 梅は白し浪花橋邊財主の家

 春情まなび得たり浪花風流(ブリ)

○郷を辭し弟に負く身三春

 本をわすれ末を取接木の梅

○故郷春深し行々て又行々

 楊柳長堤道漸く暮れたり

○嬌首はじめて見る故園の家黄昏

 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を

 待春又春

○君不見古人太祇が句

   藪入の寢るやひとりの親の側

   *

【原詩(訓点附)】

 

春風馬堤曲

 

             謝蕪邨

  余一日問耆老於故園。渡澱水

  過馬堤。偶下逢女歸省郷。先

  後行數里、相顧語。容姿嬋娟、

  癡情可ㇾ憐。因製歌曲十八首

  代ㇾ女述ㇾ意。題曰春風馬堤曲

 

 

    春風馬堤曲 十八首

 

○やぶ入や浪花を出て長柄川

○春風や堤長うして家遠し

○堤ヨリリテ芳草  荊與ㇾ蕀塞ㇾ路

 荊蕀何妬情   裂ㇾ裙且傷ㇾ股

○溪流石點々   踏ㇾ石撮香芹

 多謝水上石   敎儂不ㇾ沾ㇾ裙

○一軒の茶見世の柳老にけり

○茶店の老婆子儂(ワレ)を見て慇懃に

 無恙を賀し且儂が春衣を美ム

○店中有二客   能解江南語

 酒錢擲三緡   迎ㇾ我讓ㇾ榻去

○古驛三兩家猫兒妻を呼妻來らず

○呼ㇾ雛籬外鷄   籬外草滿ㇾ地

 雛飛欲ㇾ越ㇾ籬   籬高墮三四

○春艸路三叉中に捷徑あり我を迎ふ

○たんぽゝ花咲り三々五々五々は黄に

 三々は白し記得す去年此路よりす

○憐ミとる蒲公莖短して乳を浥(アマセリ)

○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩

 慈母の懷袍別に春あり

○春あり成長して浪花にあり

 梅は白し浪花橋邊財主の家

 春情まなび得たり浪花風流(ブリ)

○郷を辭し弟に負く身三春

 本をわすれ末を取接木の梅

○故郷春深し行々て又行々

 楊柳長堤道漸く暮れたり

○嬌ㇾ首はじめて見る故園の家黄昏

 戸に倚る白髮の人弟を抱き我を

 待春又春

○君不ㇾ見古人太祇が句

   藪入の寢るやひとりの親の側

   *

【訓読版】

 

春風馬堤の曲

 

余、一日(いちじつ)、耆老(きらう)を故園に問ふ。澱水(でんすい)を渡り、馬堤(ばてい)を過(よ)ぎる。偶(たまたま)女(ぢよ)の郷(きやう)に歸省する者に逢ふ。先後(せんご)して行くこと數里、相ひ顧みて語る。容姿嬋娟(せんけん)として、癡情(ちじやう)憐(あはれ)むべし。因(よ)りて歌曲十八首を製し、女(ぢよ)に代はりて意を述ぶ。題して「春風馬堤曲」と曰ふ。

 

   春風馬堤の曲  十八首

 

○やぶ入(いり)や浪花(なには)を出(いで)て長柄川(ながらがは)

 

○春風(はるかぜ)や堤(つつみ)長(なご)うして家遠し

 

○堤より下(お)りて 芳草を摘めば 荊(けい)と蕀(きよく)と 路を塞ぐ

 荊蕀 何ぞ妬情(とじやう)なる 裙(くん)を裂き 且つ股(こ)を傷つく

 

○溪流 石(いし)點々 石を踏んで香芹(かうきん)を撮(と)る

 多謝す 水上の石 儂(われ)をして裙(くん)を沾(ぬ)らさざらしむ

 

○一軒の茶見世の柳老(おい)にけり

 

○茶店の老婆子(らうばす)儂を見て慇懃に

 無恙(ぶやう)を賀し且つ儂(わ)が春衣(しゆんい)を美(ほ)む

 

○店中 二客有り 能(よく)解す江南の語

 酒錢 三緡(さんびん)擲(なげう)ち 我を迎へ 榻(たふ)を讓つて去る

 

○古驛(こえき)三兩家(さんりやうけ)猫兒(べうじ)妻を呼ぶ妻來(きた)らず

 

○雛(ひな)を呼ぶ 籬外(りぐわい)の鷄(とり) 籬外 草(くさ)地に滿つ

 雛飛びて 籬(かき)を越えんと欲す 籬高(たこ)うして 墮(お)つること三四

 

○春艸(しゆんさう)路(みち)三叉(さんさ)中(うち)に捷徑(せふけい)あり我を迎ふ

 

○たんぽゝ花咲(さけ)り三々五々五々は黄に

 三々は白し記得(きとく)す去年(こぞ)此路(このみち)よりす

 

○憐みとる蒲公(たんぽぽ)莖(くき)短(みじかう)して乳を浥(あませり)

 

○むかしむかししきりにおもふ慈母の恩

 慈母の懷袍(くわいはう)別に春あり

 

○春あり成長して浪花(なには)にあり

 梅は白し浪花橋邊(なにはきやうへん)財主(さいしゆ)の家(や)

 春情まなび得たり浪花風流(なにはぶり)

 

○郷(きやう)を辭し弟(てい)に負(そむ)く身(み)三春(さんしゆん)

 本(もと)をわすれ末を取(とる)接木(つぎき)の梅

 

○故郷春深し行々(ゆきゆき)て又行々(ゆきゆく)

 楊柳(やうりう)長堤(ちやうてい)道(みち)漸く暮れたり

 

○嬌首(けうしゆ)はじめて見る故園の家(いへ)黄昏(くわうこん)

 戸に倚(よ)る白髮(はくはつ)の人(ひと)弟(おとと)を抱(いだ)き我を

 待(まつ)春又(また)春

 

○君不見(みずや)古人太祇(たいぎ)が句

   藪入(やぶいり)の寢(ぬ)るやひとりの親の側(そば)

   *

 以下、諸本を参考に必要最小限の語注を附す。

・「耆老」老人(「耆」は六十、「老」は七十)。

・「澱水」淀川。

・「嬋娟」容姿のあでやかで美しいさま。

・「癡情」婀娜(あだ)っぽさ。色っぽい艶めかしさ。

・「やぶ入」正月(と盆)の十六日前後に奉公人が主家から休暇を貰って帰省すること。

・「荊」「蕀」茨などの棘を持った灌木類。

・「老婆子」老婆を漢文風に言った。

・「春衣」春の晴れ着。

・「江南語」中国の江南地方に擬した浪花言葉のこと。岩波文庫尾形氏の注では、特に大阪の花街島の内の廓言葉とする。

・「三緡」「緡」は紐に通したもの。一緡百文。

・「榻」床几(しょうぎ)。

・「猫兒」ここでは単に猫。雄猫。

・「呼雛」ここで雌雄の恋猫の恋情から鶏の母子愛に転ずる。

・「捷径」近道。懐かしい野道なればこそ、その近道が彼女を迎えるように待つのである。

・「記得す」覚えています。

・「去年」大阪へ奉公に出た昔。

・「慈母の懷袍別に春あり」「袍」は綿を包み入れた衣。母の暖かな胸そして綿入れに包まれてその懐にあった幼児期を常なる春の別天地と譬えた。

・「浪花橋」天満と北浜を繋ぐ難波橋。両岸は当時の大阪の中心地であった。

・「春情まなび得たり浪花風流」新潮古典集成の清水氏はこの前の「梅白し」からかけて、『おしゃれな娘ごころは、まるで早咲きの梅のように、いちはやく大坂の時勢粧(ニュー・ルック)を身につけて得意になっていました』と洒落た訳を示しておられる。

・「本をわすれ末を取接木の梅」「本」は母や弟そして郷里の比喩。前の梅を受けて、元の親木の恩や苦労を忘れて、いっぱしに咲き誇っているそこに接ぎ木された梅の枝を自らに喩える。

・「行々て又行々」「文選」の「古詩十九首其一」の「行行重行行」の冒頭「行行重行行/與君生別離」(行き行きて重ねて行き行く/君と生きながら別離す)に基づく。

・「嬌首」陶淵明の「歸去來辭」の一節「時嬌首而游觀」(時に首を矯げて游觀(いうかん)す:時折り、佇んでは、辺りを眺める。)に基づく。

・「太祇が句」炭太祇(たんたいぎ 宝永六(一七〇九)年~明和八(一七七一)年)。生前は蕪村と交流があった。以下は明和九年板行の「太祇句集」に載る句。]

 

 この長詩は、十數首の俳句と數聯の漢詩と、その中間をつなぐ連句とで構成されてる。かういふ形式は全く珍しく、蕪村の獨創になるものである。單に同一主題の俳句を竝べた「連作」といふ形式や、一つの主題からヴアリエーシヨン的に發展して行く「連句」といふ形式やは、普通に昔からあつたけれども、俳句と漢詩とを接續して、一篇の新體詩を作つたのは、全く蕪村の新しい創案である。蕪村はこの外にも、

 

     君あしたに去りぬ夕べの心千々に

     何ぞはるかなる

 

     君を思ふて岡の邊(べ)に行つ遊ぶ

     岡の邊なんぞかく悲しき

 

 といふ句で始まる十數行の長詩を作つてる。蕪村はこれを「俳體詩」と名づけて居るが、まさしくこれらは明治の新體詩の先驅である。明治の新體詩といふものも、藤村時代の成果を結ぶ迄に長い時日がかかつて居り、初期のものは全く幼稚で見るに耐へないものであつた。百數十年も昔に作つた蕪村の詩が、明治の新體詩より遙かに藝術的に高級で、かつ西歐詩に近くハイカラであつたといふことは、日本の文化史上に於ける一皮肉と言はねばならない。單にこの種の詩ばかりでなく、前に評釋した俳句の中にも、詩想上に於て西歐詩と類緣があり、明治の新體詩より遙かに近代的のものがあつたのは、おそらく蕪村が萬葉集を深く學んで、上古奈良朝時代の大陸的文化――それは唐を經てギリシアから傳來したものと言はれてる――を、本質の精神上に捉へて居た爲であらう。とにかく德川時代における蕪村の新しさは、驚異的に類例のないものであつた。あの戲作者的、床屋俳句的卑俗趣味の流行した江戸末期に、蕪村が時潮の外に孤立させられ、殆んど理解者を持ち得なかつたことは、むしろ當然すぎるほど當然だつた。

 さてこの「春風馬堤曲」は、蕪村がその耆老を故園に訪ふの日、長柄川の堤で藪入りの娘と道連れになり、女に代つて情を述べた詩である。陽春の日に、蒲公英の咲く長堤を逍遙するのは、蕪村の最も好んだリリシズムであるが、しかも都會の旗亭につとめて、春情學び得たる浪花風流(ぶり)の少女と道連れになり、喃々戲語を交して春光の下を歩いた記憶は、蕪村にとつて永く忘れられないイメーヂだつたらう。

 この詩のモチーヴとなつてるものは、漢詩の所謂楊柳杏花村的な南國情緒であるけれども、本質には別の人間的なリリシズムが歌はれて居るのである。即ち蕪村は、その藪入りの娘に代つて、彼の魂の哀切なノスタルジア、亡き母の懷袍(ふところ)に夢を結んだ、子守歌の古く悲しい、遠い追懷のオルゴールを聽いて居るのだ。「昔々しきりに思ふ慈母の恩」、これが實に詩人蕪村のポエジイに本質して居る、侘しく悲しいオルゴールの郷愁だつた。

 

     藪入りの寢るや小豆の煮える中

 

 といふ句を作り、さらに春風馬堤曲を作る蕪村は、他人の藪入りを歌ふのでなく、いつも彼自身の「心の藪入り」を歌つて居るのだ。だが彼の藪入りは、單なる親孝行の藪入りではない。彼の亡き母に對する愛は、加賀千代女の如き人情的、常識道德的の愛ではなくつて、メタフィヂツクの象徴界に縹渺してゐる、魂の哀切な追懷であり、プラトンの所謂「靈魂の思慕」とも言ふべきものであつた。

 英語にスヰートホームといふ言葉がある。郊外の安文化住宅で、新婚の若夫婦がいちやつくといふ意味ではない。蔦(つた)かずらの這ふ古く懷かしい家の中で、薪の燃えるストーヴの火を圍みながら、老幼男女の一家族が、祖先の畫像を映す洋燈の下で、むつまじく語り合ふことを言ふのである。詩人蕪村の心が求め、孤獨の人生に渇きあこがれて歌つたものは、實にこのスヰートホームの家郷であり、「爐邊の團欒」のイメーヂだつた。

 

     葱買つて枯木の中を歸りけり

 

 と歌ふ蕪村は、常に寒々とした人生の孤獨(アインザーム)を眺めていた。さうした彼の寂しい心は、爐(ゐろり)に火の燃える人の世の侘しさ、古さ、なつかしさ、暖かさ、樂しさを、慈母の懷袍(ふところ)のやうに戀ひ慕つた。何よりも彼の心は、そうした「家郷(ハイマート)」が欲しかつたのだ。それ故にまた

 

     柚の花やゆかしき母屋(もや)の乾隅

 

 と、古き先代の人が住んでる、昔々の懷かしい家の匂ひを歌ふのだつた。その同じ心は

 

     白梅や誰が昔より垣の外

 

 といふ句にも現れ

 

     小鳥來る音うれしさよ板庇

     愁ひつつ丘に登れば花茨

 

 などのロセツチ風な英國抒情詩にも現われて居る。オールド・ロング・サインを歌い、爐邊の團欒を思ひ、その郷愁を白い雲にイメーヂする英吉利文學のリリシズムは、偶然にも蕪村の俳句に於て物侘しく詩情された。

 

     河豚汁の宿赤々と灯しけり

 

 と、冬の街路に爐邊の燈灯(ともしび)を戀ふる蕪村は、裏街を流れる下水を見て

 

     易水に根深流るる寒さかな

 

 と、沁々として人生のうら寒いノスタルヂアを思ふのだつた。そうした彼の郷愁は、遂に無限の時間を越えて

 

     凧(いかのぼり)きのふの空の有りどころ

 

 と、悲しみ極まり歌ひ盡さねばならなかつた。まことに蕪村の俳句に於ては、すべてが魂の家郷を戀ひ、火の燃える爐邊を戀ひ、古き昔の子守歌と、母の懷袍(ふところ)を忍び泣くところの哀歌であつた。それは柚の花の侘しく咲いてゐる、昔々の家に鳴るオルゴールの音色のやうに、人生の孤獨に凍え寂しむ詩人の心が、哀切深く求め訪ねた家郷であり、そしてしかも、侘しいオルゴールの音色にのみ、轉寢の夢に見る家郷であつた。

 かうした同じ「心の家郷」を、芭蕉は空間の所在に求め、雲水の如く生涯を漂泊の旅に暮した。然るにその同じ家郷を、ひとへに時間の所在に求めて、追懷のノスタルヂアに耽つた蕪村は、いつも冬の炬燵にもぐり込んで、炭團(たどん)法師と共に丸くなつて暮して居た。芭蕉は「漂泊の詩人」であつたが、蕪村は「爐邊の詩人」であり、殆んど生涯を家に籠つて、炬燵に轉寢をして暮していた。時に野外や近郊を歩くときでも、彼は尚ほ目前の自然の中に、轉寢の夢に見る夢を感じて

 

     古寺やほうろく捨る芹の中

 

 と、冬日だまりに散らばふ廢跡の侘しさを詠むのであつた。「侘び」とは蕪村の詩境に於て、寂しく霜枯れた心の底に、樂しく暖かい爐邊の家郷――母の懷袍(ふところ)――を戀ひするこの詩情であつた。それ故にまた蕪村は、冬の蕭條たる木枯の中で、孤獨に寄り合ふ村落を見て

 

     木枯や何に世渡る家五軒

 

 と、霜枯れた風致の中に、同じ人生の暖かさ懷かしさを、沁々いとしんで咏詠むのであつた。この同じ自然觀が、芭蕉にあつては大いに異なり、

 

     鷹ひとつ見つけて嬉しいらこ岬   芭蕉

 

 と言ふやうな、全く魂の凍死を思はすやうな、荒寥たる漂泊旅愁のリリツクとなつて歌われて居る。反對に蕪村は、どんな蕭條とした自然を見ても、そこに或る魂の家郷を感じ、オルゴールの鳴る人生の懷かしさと、火の燃える爐邊の暖かさとを感じて居る。この意味に於て蕪村の詩は、たしかに「人情的」とも言へるのである。

 蕪村の性愛生活については、一も史に傳つたところがない。しかしおそらく彼の場合は、戀愛に於てもその詩と同じく、愛人の姿に母の追懷をイメーヂして、支那の古い音樂が聞えて來る、「琴心挑美人」の郷愁から

 

     妹が垣根三味線草の花咲きぬ

 

 の淡く悲しい戀をリリカルしたにちがひない。春風馬堤曲に歌われた藪入りの少女は、こうした蕪村の詩情に於て、蒲公英の咲く野景と共に、永く殘つたイメーヂの戀人であつたろらう。彼の詩の結句に引いた太祇の句。

 

     藪入りの寢るやひとりの親の側   太祇

 

 には、蕪村自身のうら侘しい主觀を通して、少女に對する無限の愛撫と切憐の情が語られて居る。

 蕪村は自ら號して「夜半亭蕪村」と言い、その詩句を「夜半樂」と稱した。まことに彼の抒情詩のリリシズムは、古き樂器の夜半に奏するセレネードで、侘しいオルゴールの音色に似て居る。彼は芭蕉よりも尚ほ悲しく、夜半に獨り起きてさめざめと歔欷するやうな詩人であつた。

 

     白梅に明くる夜ばかりとなりにけり

 

 を辭世として、縹渺よるべなき郷愁の悲哀の中に、その生涯の詩を終つた蕪村。人生の家郷を慈母の懷袍(ふところ)に求めた蕪村は、今も尚ほ我らの心に永く生きて、その侘しい夜半樂の旋律を聽かせてくれる。抒情詩人の中での、まことの懷かしい抒情詩人の蕪村であつた。

 

 附記――蕪村と芭蕉の相違は、兩者の書體が最もよく表象して居る。芭蕉の書體が雄健で濶達であるに反して、蕪村の文字は飄逸で寒さうにかじかんで居る。それは「炬燵の詩人」であり、「爐邊の詩人」であつたところの、俳人蕪村の風貌を表象して居る。

 

[やぶちゃん注:「孤獨(アインザーム)」 “einsam”(ドイツ語・形容詞)で、独りの、孤独な、淋しい、人里離れた、辺鄙な。因みに名詞形ならば“einsamkeit”(アインザームカイト)。

「家郷(ハイマート)」“Heimat”(ドイツ語)で、生まれ故郷、ふるさと、祖国。

「オールド・ロング・サイン」スコットランド民謡で非公式な準国歌でもある“Auld Lang Syne”。「蛍の光」の原曲。

「琴心挑美人」次に掲げられた「妹が垣根三味線草の花咲きぬ」の前書。「琴心(きんしいん)もて美人に挑む」と読む。「史記」の列伝の「五十七 司馬相如列伝」で、相如が大富豪卓王孫の娘文君(夫に先立たれて実家に出戻っていた)に対して心中を琴の音と歌に託し、美事にその恋を摑んだ故事を指す。]

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