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2013/12/14

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 28 日本最初の学生たちだけの生物学会

 先日、植物学と動物学とに興味を持っている学生達が、私のすすめに従って一緒になり、生物学会を構成した。会員は日本人に限り、その多くは私の実験室で仕事をしている。すでに数回会合を開いたが、今迄のところ、なされた報告は、米国に於る、より古い協会の、いずれに持ち出しても適当と思われるであろうものばかりである。これ等は時に英語でなされ、書かれた時には必ず英語である。口頭の時には日本語だが、同義の日本語がないと英語を自由に使用するのは変に聞える。会員はすべて、外見が常にすこぶる優雅である日本服を着ている。彼等は自由に黒板に絵を書いて彼等の話を説明するが、多くは生れながらの芸術家なので、その絵の輪郭は目立って正確である。報告には概して参考品の顕微鏡標本が伴う。海外の諸学会と交換する為の雑誌を発行したいと思っている。

[やぶちゃん注:「生物学会」現在の日本動物学会公式サイトの「学会の紹介」に以下のようにある(ピリオド・コンマを句読点に代えた)。

   《引用開始》

本学会の創立は基礎科学系の諸学会の中でもきわめて早く、大森貝塚の発見などで有名な東京大学の初代動物学教授であったモース(E.S.Morse)が、同植物学教授矢田部良吉とともに明治11年(1878年)に創立した東京生物学会にさかのぼることができます。その後,明治18年(1885年)には東京動物学会へと名称を変更し、さらに,大正12年(1923年)に日本動物学会と再度改称し、平成5年(1993年)の社団法人化、平成24年(2012年)の公益社団法人化をへて今日に至っています。

   《引用終了》

但し、ここでのモースの叙述が正しい(記憶違いでない)とするならば、叙述位置から見てこれは明らかに明治一〇(一八七七)年内の出来事である。磯野先生の「モースその日その日 ある御雇教師と近代日本」の第二十章「東京大学生物学会」に記載でも創設は明治十一年十月二十日(当時の動物学列品室で開催された同学会第一回会合)である。しかし、その記録に記されてある出席者メンバーはモース、ここで互選によって就任した会長同大学植物学担当教授矢田部良吉を始めとして東京師範学校校長で翌明治一二年にトーマス・ヘンリー・ハックスリーの進化論講義録を「生物原始論」として翻訳した伊沢修二、東大医学部助教で日本の魚類学・水産学の草分けとなった松原新之助、江の島で忠実なモースの助手として働いた小石川植物園(江の島臨海実験所当時)の松村任三、教育博物館動物掛であった波江元吉、東大動物学研究室助手で大森貝塚発掘にも参加した種田織三、モースの動物学教室の助教高嶺秀夫ら大学関係者が殆んどで、学生(モースの弟子)である学生たちは僅かに岩川友太郎・佐々木忠次郎・飯島魁(いさお)・石川千代松の四人を数えるばかりである。但し、磯野先生は、『生物学会設立までの動きは詳しいことが皆目わからないが、その年の春に生物学科生徒の佐々木忠二郎、松浦左用彦と地質採鉱学科の生徒たちが結成した「博物友会」という会が生物学会誕生のきっかけの一つになった』とあり、ここに記されているものがその、学生たちだけのプレ組織であったものか。磯野先生によれば、正式なこの東京大学生物学会例会ではモースが「日本産カタツムリ」「日本産ナメクジ」「大森貝塚で出土した人骨」「ホヤの発生」「北海道での採集品」「ドロバチの巣」「矢田部教授と佐々木氏が小笠原で採集した貝類について」「日本産腕足類」「熊本県大野村当尾(とうのお)貝塚で発掘した貝類化石・土器及び骨片」といった報告を、モース以外の会員からは「日本の陸生蛇類」(松原)、「海藻の胞子形成について」(矢田部)、「上野で採集したヒドラ」(松原)、「ナメクジウオについて」(高嶺)、「琵琶湖で採集したイシガイ」(佐々木)、「ドブガイの解剖」(佐々木)、「医療に用いられる甲虫」(松原)、「北海道産蝶類」(石川)といった報告がなされているが(記録は総て英文)、私はこの学生たちだけで語られた報告をこそ知りたいという気がする。

「海外の諸学会と交換する為の雑誌を発行したい」後、明治二〇(一八八八)年になって英文の学会誌“Zoological Magazine”の刊行が始まったが、先の注で示した正式なこの東京大学生物学会例会での一連の報告(明治十一年十月十日から翌七月六日までの分)は、早くも『トーキョー・タイムズ』に転載されており、その後の分を含めた全記録が『動物学雑誌』二十三~二十七巻(一九一一年~一九一五年)に「東京動物学会古記録」として連載されている(磯野先生の前掲書に拠る)。]

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