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2013/12/18

中島敦 南洋日記 十一月十七日

        十一月十七日(月) 晴、

 午後一時半山城丸乘込、四時出帆、但し、ヤップ入港の時間の關係にて、船はパラオ港外に夜半迄停る。同室者渡部氏は軍關係の建築家(?)なり、パラオヤップ迄の由。隣室に俳優月田一郎あり。山城丸はパラオ丸に比べて古く汚なく設備惡し。

[やぶちゃん注:「月田一郎」(つきたいちろう 明治四二(一九〇九)年~昭和二〇(一九四五)年九月二十七日)山口県岩国町(現在の岩国市)生まれで東京育ちの俳優。法政大学卒業、前妻は女優山田五十鈴、二人の間の一人娘が女優瑳峨三智子である。死因は急性アルコール中毒ともハムによる食中毒とも(ウィキの「月田一郎」に拠る)。これは年月日からみると、翌昭和一七(一九四二)年五月二十一日に封切られている阿部豊監督の東宝映画「南海の花束」の撮影のためかと思われる。八木隆一郎の戯曲「赤道」を元に日本の委任統治領南洋群島で赤道越えの民間航空路を開拓する支所長と操縦士たちを描いたもので、ウィキの「南海の花束」によれば、『厳格な支所長と操縦士たちの葛藤や航空事故を克服する姿を描くことで、当時国策として進行していた南洋進出を宣伝するプロパガンダ映画である一方で、阿部豊による演出が人間ドラマをより強調した内容になっている。嵐の中の飛行シーンは円谷英二によって、ミニチュア特撮によるリアリティのあるシーンが撮影され、一部の操縦席のシーンではスクリーン・プロセスも用いられている』。『大日本航空の後援により、海軍からの払い下げられて用いていた一五式水上偵察機や九三式中間練習機、実際に南洋航路に就役していた九七式飛行艇などの実機が登場し、整備風景や離着水シーンも実機によるものが用いられている。戦時中であるにもかかわらず、敵性語である「システム」などの英語も一部に登場する』とあり、月田一郎は操縦士伏見役で出演している。詳細なシノプシスは参照したリンク先を参照されたい。

 同日附の中島たか宛書簡が残る。以下に示す。

   *

〇十一月十七日附(消印パラオ郵便局一六・一一・一九。世田谷一六・一一・二三。南洋パラオ南洋民地方課。東京市世田谷区世田谷一丁目一二四 中島たか宛。封書。航空便)

 旅行は大體、この前、知らせた通りに決(キマ)つた。たゞパラオを出帆(パン)するのが一日早くなるかも知れない。今度の旅行は、この前のヤルート・トラック旅行にくらべて、距離もずつと短かく、期間も十日餘り短かいので、費用も四百圓以内で濟(ス)む。前以て貰(モラ)ふのは三百圓だけ。

{十一月二十六日――十二月三日……この間サイパン滯在、

{十二月八日――十二月二十六日  ヤップ滯在、

[やぶちゃん注:「{」は底本ではこの二行に亙って一つかけられてある。]

 これだけは、覺(オボ)えておいてくれ。何か、事があつた場合に、電報でも打つなら、それぞれ、サイパン支廳(チヨウ)、ヤップ支廳あて氣付にすること。ヤップは飛行機が寄らないから話にならぬが、サイパンの方は、飛行便でくれれば、お前の手紙を讀むことができるかも知れないが、しかし、何も、そんなに無理をして手紙をくれなくてもいいから、

 さて、パラオに十日もゐたもんだから、又、元のやうに、やせて來さうだたやうな氣がする。又、今度の旅で、ふとつてこようかな。全く、僕の身體はぜいたくだねえ。一等の旅行さへしてれば良いなんて。

○お前の誕(タン)生日に送つた百圓は受取つたらうね。あれは、お前が良く、おぢいちやんに盡(つ)くしてくれる御褒美(ホウビ)だと思つてもいい。

○山口 (横濱の)君が結婚したらしいね。

 昨夜(ゆべ)ね、夜中に小便に起きた時、空を見たら、イヤに、星がハツキリしてやがんのさ。どうも見たことのある星だと思つたら、オリオン(みつぼし)なんだよ。此處でもオリオンが見えるかと思つたら、一寸うれしかつたね。内地でオリオンの見える頃は、もう寒(サム)くなるんだねえ。(内地でも、まだ宵(よひ)のうちは見えないだらう。冬になると、宵(よひ)から見えてくる)

 本郷町の家では、よく、星を見たつけなあ。

△十一月十六日夜、今夜は、パラオには珍(めづら)しく、レコード・コンサートがあつたので、國民學校へ聞きに行つた。あまり、いい蓄(ちく)音機ぢやないが、それでも久しぶりに音樂らしいものが聞けたよ。ベートーベンの第五シンフォニイ(全部)や第九シンフォニイの終る所(おぼえてゐるかい? オレが何時(いつ)も口笛で吹いてたヤツさ、)など、やつたよ。

○この前の、お父さんへの手紙にも一寸書いておいたが、來年の四・五月頃にでもなつたら(寒い間は駄目だから)、東京出張所勤務(キンム)にでも廻してもらはうかと思つてゐる。但し、さうなると、サラリーは本俸(ホンポウ)の百十圓だけで、ひどく心細いことになるが、身體には、かへられない。さう賴んで見ようと思つてゐる。多分、聞いてもらへるだらう。とにかく、それまで、つらい事も寂しい事も、我慢(がまん)して、がんばつてゐてくれ。オレは目下(モクカ)、助手探(さが)しだ。見當はついてゐるんだが、一つ、上の役人の方にむづかしいことがあつてね。でも大抵(タイテイ)はうまく行くと思ふ。その助手が、しつかりした人物なら、おあれも、その人に仕事をゆづつてやめることも出來るといふものだ。

△田島(ぢやなかつた高橋晴貞)は今度、企劃院(キクワクヰン)の調査官(テウサクワン)といふのになつた。オレなんぞとちがつて、中々エライ役人なんだよ。あいつは親切ないい友達だな。あいつがオレに呉れた手紙の中に、(兵隊の)石坂のことを心配してゐる所があるが、實に田島の良さを現してゐて、いいと思つたよ。同じ役人でも、あゝいふ男ばつかりだつたらなあ。

○氷上の細(サイ)君て、どんなだらうなあ。氷上のやつ、どんな顏をしてるかなあ。

 十一月十七日。

 一日早くなつて、今日出發する。又、行く先々で、面白いことがあつたら知らせよう。お前の方からは、出してくれても、うまく連絡(れんらく)できないといけないから、出さないでいい。身體に氣をつけろよ。無理して、はたらきすぎるんぢやないぜ。なんとしてでも、榮養だけは充分にとるんだよ。ハリバもわかもとも飮め。(飮んでゐないんだらう?)子供達の榮養も、だが、お前自身のことも、自分で考へなくちやいけない。オレだつて多少フトツタといふのに、んだから、お前は、もつとントふとらなきや駄目だ。今は十七日の午前九時。之から荷物(といつたつて、レイのカバン二つさ)をつめこんで、トコヤへ行つて、晝飯をたべてから乘込む。出帆は四時頃だらう。これから、又、四日ばかりずつと、海の上だ。

 おぢいちやんには、元氣で出發致しましたと申上げてくれ。

 もしも何か變(かは)つた事(電報を打つ程でもない)でもあつたら、十一月二十五日頃迄に出すのならヤップ支廳氣付にしてくれれば、屆(とど)くと思ふ。その手紙をはこぶ同じ船で、僕がサイパンからヤップへ行くのだから。

 しかし、別に、變つたことがなければ、手紙を書く必要はない。

   *

「田島(ぢやなかつた高橋晴貞)」十一月一日の私の注を参照。

「氷上」氷上英廣。十一月五日の私の注を参照。]

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