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2013/12/15

中島敦 南洋日記 十一月七日

        十一月七日(金)

 フロマンタンの「ドミニック」を讀む。良い哉。プランセス・ド・クレーヴ以來のこの國の心理小説の系列の一にして、而もなほ、好個の佛蘭西田園風景畫たるを失はず。好もしき作品なり。

 昨夜又、喘息發作あり、

[やぶちゃん注:『フロマンタンの「ドミニック」』ウジェーヌ・フロマンタン(Eugene Fromentin 一八二〇年~一八七六年)はフランスの小説家で画家。ラ・ロシェル生。絵画ではフランス・ロマン主義後期の画家・評論家として活躍した。プルースト風の心理描写の先駆けとされる半自伝的小説「ドミニック」(Dominique)で名を残す(私は不学にして未読)。参照したウィキの「ウジェーヌ・フロマンタン」によれば、死の年の春(八月没)に出版した代表的評論である、ルーベンスやファン・ダイクらフランドル絵画を対象としたベルギー・オランダ絵画の紀行評論(旅行は前年一九七五年の七月)“Les maîtres d'autrefois Belgique-Hollande”(「昔日の巨匠たち」)は画壇・文壇で絶賛されただけでなく、一般の読者にも好評を博し、本書はまた若き日のマルセル・プルーストの愛読書でもあったという。他にアルジェリア滞在記“Un été dans le Sahara”(「サハラの夏」一八五六年刊)やチュニジア滞在記“Une année dans le Sahel”(「サヘルの一年」一八五八年刊)がある。絵画作品はオリエンタリスト派として長期滞在した北アフリカの風景画が多いとある。

「プランセス・ド・クレーヴ」ラ・ファイエット伯爵夫人マリー=マドレーヌ・ピオシュ・ド・ラ・ヴェルニュ(Marie-Madeleine Pioche de La Vergne, comtesse de La Fayette 一六三四年~一六九三年)の書いた“La Princesse de Clèves”(「クレーヴの奥方」一六七八年に匿名で出版)。クレーヴ公と結婚したシャルトルは、ルーヴルでの舞踏会でヌムール公と道ならぬしかし清い恋に落ちて悩み、遂には相手の名を秘して夫にそれを告白をするが、夫は相手をヌムール公と見抜き、嫉妬の末に病いに倒れる。病床のクレーヴ公は、妻の言われなき不義を指弾し、呪詛と失意のうちに没する。ヌムール公は晴れてシャルトルに結婚を申し入れるが、彼女はヌームル公への純愛を認めながらもその申し入れを拒み、修道院に入る。その後、シャルトルは若くして亡くなったとする。フランス文学史最初期の小説の一つで「恋愛心理小説の祖」とも言われる。最初の心理小説の一つであるだけでなく、最初の“roman d'analyse”(分析小説)ともされる(昔読んだものの、ストーリーの記憶が殆んどないため、概ねウィキクレーヴの奥方」の記載を参照にした)。]

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