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2013/12/11

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 20 東京の住宅について

 私はここに私の『日本の家庭』に複写した写生図を再び出そうとは思わぬが、私が毎日通行する町の外見を示すこの本の図33・31・35及び図38に言及せざるを得ない。家の殆ど全部は一階建である。私が歩いて行くと、ある一軒からは三味線か琴かを伴奏としたキーキー声がする。隣の家は私立学校らしく、子供達が漢字を習い、声をかぎりに絶叫している。何という喧擾だろう! 更に隣の家では誰かが漢文を読み、その読声に誰かが感心するように、例のお経を読むような、まだるい音声を立てている。薄い建築と、家々の開放的な性質とは、すべての物音が戸外へ聞える容易さによって了解出来る。
[やぶちゃん注:以下、“Japanese homes and their surroundings”(1885)の斎藤正二・藤本周一訳「日本人の住まい」(八坂書房二〇〇二年刊)の「第二章 家屋の形態」から図33・34・35・38の四枚の図とキャプション及び当該図の本文の解説箇所を引用しておく。これはまさに本段落をよりよく理解するためには欠くべからざる、学術的にも翻訳著作権の侵害に当たらぬ正当なる引用であると信ずる。

H33
図三三 東京市神田区の通り。

H34
図三四 東京市神田区の通り。

H35
図三五 東京にある家賃の安い長屋の棟。

   《引用開始》
 ここに掲げたスケッチ(三三図)は、東京市神田区の、ある通りに面して並び合った家の図である。いくつかの窓が出窓になっていて、竹か細い角材の桟を嵌めている。窓障子の表面は丈夫な白い紙を張ってあって、アメリカのガラス窓の代役をしている。家の住人は、この格子越しに、行商人と値段の交渉をするのである。家に入るには、通常は何軒かが共有する門を通り抜け、そこから各戸の戸口に向かうことになる。ただし、この門は大きな扉とその脇に作られた小さな扉とからできていて、荷車とか嵩ばった荷物とかは、大きいほうを、人は小さいほうを利用する。大きな門扉だけの場合は、門扉そのものの一部を四角く切り取って、そこに引戸か格子戸を嵌めて、居住者たちの出入用とすることもある。
 家は、木造の場合は黒塗りか、そうでなければ、生地のままにしておかれる。そして生地のままのほうが一般的である。この生地は、風雨にらされて徐々に黒ずんでゆく。塗装の場合は艶のない黒色が用いられる。この黒色は見た目によいのであるが、暑いさかりには、この黒塗りの表面が熱を吸収し、ほとんど耐えがたいものとなり、屋内の暑さや不快感を増すにちがいないのである。漆喰仕上げの壁面はたいてい白色で、家の骨組みは黒く塗られる。――したがって、この色の取り合わせは、家の感じを葬式のときのような陰うつなものにしてしまっている。
 三四図は、三三図の道路と同じ道路にある別の家を二種示している。そのうちの一軒は後背部が二階建になっている。この家への出入は門によるが、同図ではちょうど開いている。向う隣の家は、戸口が通りに面してついている。
 通りの両側に、ここに掲げた二つの図に示されているように、整備された排水溝がつけられていることは少ない。溝は、幅が三ないし四フィートで、入念に作られた石垣でできており、戸口や門のところには石橋か木橋が掛けられている。これらの溝には水が流れている。水は台所や浴室からの下水によって汚染されているが、蝸牛(スネイル)や蛙などのいろいろな生物、また魚さえ棲息しうるほどに澄んでいる。歴史の古い都市などで、貧困階級の人たちの住居を見ると、多くの借家が一つの区画にかたまっている場合がしばしばある。出入のためには、全戸に共通の門が一つ設けられている。一八六八年の明治維新以来、東京に新しい様式の建物が現われはじめた。この建物では、一つの屋根の下にひと続きの借家が並んでいて、入口は各戸ごとに通りに面してついている。三五図はこの種の借家の様子を示したものである。これらは、たいていの場合、平屋建で、現在では東京のいたるところで見られる。各戸はそれぞれ裏に回るとわずかな空地があって庭になっている。貧困階級ではないが、財産の乏しい人たちが一般にこの種の家の住人である。東京に古くから住んでいるさる人に教えられたのだが、戸口や表口が直接通りに面する家が建てられたのは、ほんの維新以来のことだということである。この型の家は、確かに便利かつ経済的で、未来の一般的な建築の型になることは必定である。
   《引用終了》
・「三ないし四フィート」90センチ~1メートル23センチ。
・「蝸牛(スネイル)」原文は“snails”。失礼ながら、私はこれは訳として誤りであって、カワニナやタニシなどの淡水産巻貝を言っているものと思う。
 続く以下の部分は、商家(商店街)の形態や家並みが語られ、次に上流階級の都市家屋へと続いて図38相当の部分に入る。ここではその前に、東京の高級一戸建て住居の一タイプとして二階建てのかなり敷地の大きい家屋をまず挙げて説明している。因みに図36(図は本文で語られないので掲げない)は当該家屋の表通りから見た玄関を含む図、図37(同前の理由で示さない)は図36の家屋を庭から見た図で、広い一軒家を庭の柵や襖によって境界として二分(二世帯分)して使用している家屋が示されてある。

H38
図三八 東京市九段近くにある住居。

   《引用開始》
 東京の家のなかでいま一つの型のものが三八図に示されている。低い平屋建で、通りに直面しており、瓦葺きの屋根が、部分的に一風変わった切妻風になっている。入口は戸締りのため猿のついた引戸になっている。大きな出窓が見えるが、その窓にも戸締りのための猿がついている。板塀越しに竹簾が見えているが、これは縁側の日除けのためである。そして、あくまで推測なのだけれども、家の裏はやはりいたるところ開け放たれていて、おそらくこぎれいな庭に面していることであろう。というのは、急いでスケッチするのが精一杯で、実際に庭を見て確かめられなかったからだが、このようなことはしばしばであった。
   《引用終了》
・「入口は戸締りのため猿のついた引戸になっている」原文は“The entrance is protected by a barred sliding door.”。“barred”は閂(かんぬき)のある、の意。「猿」は和風建築に於ける戸・雨戸などで上下の桟に取り付けて鴨居や敷居の穴に差し込んで戸締まりをする用具のこと。その仕掛けや差し止めの木を枢(くるる)ともいう。
 以下、まとめとしてモースは、これらの例によって東京の家屋が如何に小綺麗でしかも居心地の良い居住性に富んでいるかが分かってもらえるはずだと述べている。なお、図の内、神田区は大学に通う途中、九段はモースが公務でしばしば訪れた当時の文部省のあった附近である。]

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