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2013/12/16

耳嚢 巻之八 雄長老狂歌の由人の語りし事

 雄長老狂歌の由人の語りし事

 

 心にはへちまの皮をたやすなよ浮世の垢を落さんが爲と詠(よま)れし、出家の道歌には面白き事也。貧乏神のさんを、有長老のいたされしよし。

  貧乏の神をいれじと戸を建てゝ能々見れば我身なりけり

 

□やぶちゃん注

○前項連関:特になし。狂歌シリーズ。

・「雄長老」「ゆうちやうらう(ゆうちょうろう)」と読む。英甫永雄(えいほえいゆう 天文一六(一五四七)年~慶長七(一六〇二)年)のこと。安土桃山時代の臨済宗夢窓派の僧。別に武牢・小渓・芳洲とも号した。若狭武田氏信重の子であったが、同族出身の建仁寺の文渓永忠に就いて学び、諸方遊歴の後、その法を嗣いだ(夢窓派と併せて幻住派をも法嗣)。建仁寺如是院に住し、天正一四(一五八六)年に建仁寺住持、文禄三(一五九四)年には南禅寺主となる。相国寺鹿苑院の西笑承兌(さいしょうじょうたい 天文一七(一五四八)年~慶長一二(一六〇八)年:臨済僧。豊臣秀吉や徳川家康の顧問的役割を務め、法要などの仏事の運営は勿論、諸法度や外交文書起草・学問奨励策や寺社行政立案などに重要な役割を果たした人物・ここはウィキ西笑承兌に拠る)や林羅山と親交があり、特に羅山の学問には大きな影響を与えた五山文学末期を代表する一人。連句・和歌にも優れたが、殊に狂歌を好み、近世狂歌の祖ともされる。著書に「羽弓集」「雄長老詠百首狂歌」「倒痾集」(以上は主に「朝日日本歴史人物事典」に拠った)。

・「心にはへちまの皮をたやすなよ浮世の垢を落さんが爲」底本の鈴木氏注に、『この歌、『古今夷曲集』に釈教の部に信海の詠として掲げる。詞書に「世中はノ麻皮(ヘチマノカハ)と思へと人のいへる返事に」とある』とする。「古今夷曲集」は「こきんいきょくしゅう」と読む。真宗僧で狂歌師でもあった生白庵行風(せいはくあんこうふう)編になる狂歌撰集で、寛文六(一六六六)年に京都安田十兵衛から板行された(十巻四冊)。聖徳太子以下、古今各層の作者二百四十一人の狂歌千五百余首を四季・賀・神祇等に分類編集したもの。引用書は「旧事本紀」以下三十四部に及び、採録の範囲は広範多岐、所収作品は玉石混淆ではあるものの、それまで各界人士の余技として作られていた狂歌をこうした本格的撰集の形で公刊した史的意義は大きい(ここは平凡社「世界大百科事典」に拠る)。「信海」とは江戸時代の狂歌作者豊蔵坊信海(ほうぞうぼうしんかい 寛永三(一六二六)年~元禄元(一六八八)年)のこと。山城国石清水八幡宮豊蔵坊社僧。石清水八幡本坊の松花堂昭乗に書を、小堀遠州に雅事を、松永貞徳に俳諧を学んだ。狂歌は正親町実豊や中院通茂らの貴紳との応酬もあり、先の狂歌撰集「古今夷曲集」には二十四首も入集し、この時期の諸書にもその名が散見される。社用のためか江戸に往来することが頻繁で、東海道中での詠歌も多くあって連作「富士狂詠」四十一首などが知られる。初期教養人の余技的狂歌から職業的狂歌への橋渡的な存在であって門下には江戸の旗本黒田月洞軒や大坂歌壇の大立者油煙斎貞柳などがいる。公刊歌集に「狂歌鳩杖集」がある(ここは「朝日日本歴史人物事典」に拠る)。「へちまの皮」は、糸瓜を水に漬けて果肉や種子・外皮を腐らせて取り去った後の海綿状の繊維の塊で、身体を擦るスポンジのように用いるあれを「皮」と指して言っているので注意。鈴木氏は、『また「へちまの皮とも思わぬ」は流行言で、少しも意に介さぬこと』と注され、「古今夷曲集」詞書も解説して下さっておられる。本歌は特に通釈の要はあるまい。

・「道歌」道徳的教訓的な内容を分かり易く詠み込んだ和歌。

・「貧乏神のさん」「さん」は「讚」(底本に右に同注有り)。

・「有長老」「雄長老」のこと。底本には右に『(雄)』と訂正注があるが、岩波のカリフォルニア大学バークレー校版は『右長老』とあることから、これは「右」を「有」と誤写したものであろう。「右」で採る。

・「貧乏の神をいれじと戸を建てゝ能々見れば我身なりけり」岩波版長谷川氏注に、『小異あれど『雄長老狂歌』『新撰狂歌集』に出』とある。前者は「雄長老詠百首狂歌」のこと。「新撰狂歌集」は寛永一〇(一六三三)年頃に板行された編者版元不明の狂歌撰集(上下二冊)で、古今の狂歌一九一首(他に俳諧十八首と古歌一首)を四季・恋・羇旅・述懐・釈教・哀傷・神祇・雑に分類編集したもの。所収作品の作者は古くは鎌倉時代の定家や暁月坊から近くは細川幽斎・里村紹巴・雄長老にまで及ぶが、作者不明のものも多く,前大上戸朝臣・宇治の茶大臣母・無銭法師のごとき狂名もすでに用いられている。落首も多く収められており、全体に線の太い笑いに満ちている(ここは「世界大百科事典」に拠る)。「能々」は「よくよく」。これも通釈の必要性を感じない。

 

■やぶちゃん現代語訳

 

 雄長老狂歌の由と人の語れる歌の事

 

 心にはへちまの皮をたやすなよ浮世の垢を落さんが爲

 

とお詠みになられたと、とある御出家――知られた雄長老殿とか――の道歌と申すは、これ、御覧の通り、まっこと、面白きものにて御座る。

 さても『貧乏神の讃』と申す狂歌を、やはりかの長老殿がお詠みになられた歌の由。

  貧乏の神をいれじと戸を建てゝ能々見れば我身なりけり

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