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2013/12/13

中島敦 南洋日記 十一月五日

        十一月五日(水) 晴

 四時起床。五時半寺田屋前より自動車にて支廳棧橋、又々島田氏と同行なり。ランチにて直ちに飛行機に乘込む、朝潮號なり。六時十五分頃滑走を始む、窓硝子への猛烈な飛沫。途端に離水。瞬間、眞下に小さき船あり、舷側にパラオ丸とあり。窓にブラインドを下さる。隙より覗けば夏島眼下にあり、リーフの緣邊の碧色の美しさ。椰子を眞上より見れば、パイナップルの如し。やがて秋島、月曜島、水曜島のウリボート山。トラック大環礁一望の下にあり。朝食。七時四十五分エンダービー通過。八時四十分、サトワル。九時エラート、十時五分オレアイ列島の上を過ぐ、時に高度二千五百米。涼し。桓に繪葉書を書く。十一時過晝食。スピノザを少し讀み、少々まどろむ、高度時に三千三百に達し、相當の冷氣を感ず。雲の變化の狀、窮まる所を知らず。脚下にスコールの過ぐるなども面白し。二時、すでにパラオ本島を見る。二時二十分着水。そのまゝ機毎、陸上に引上げらる。三時前歸宅。直ちに役所に行く。太つたぢやないかと言はれる。コーヒー四杯。

[やぶちゃん注:この日、敦は九月十五日に始まった実に五十日に及ぶトラック・ボナペ・クサイ・ヤルートなどの南洋諸島視察旅行からパラオに帰着した。

「桓に繪葉書を書く」現存せず。その代り、当日附の中島たか宛書簡が残る。以下に示す。

   *

〇十一月五日附(封書であるが封筒は欠。旧全集「書簡Ⅰ」書簡番号一三七。太字は底本では傍点「ヽ」)

今、五日の正午。飛行機の上の晝食をすませた所。飛行機では、朝飯も出したよ。今高度は二千七百メートル位。はじめサイパンから乘るつもりでゐたので、毛のシャツをサイパンの方へ送つておいたので、今日は仕方がないから、ワイシャツ二枚重ねた下に、クレープのシャツ三枚、サルマタ二枚、ズボン下二枚、靴下二枚といふ、いでたちだ。それでも(寒いといふ程ぢやないが)多少涼しすぎる。レインコートも勿論着てるんだが。お蔭で、多少、秋の氣分が味はへるわけだ。汽車なんかよりは、ずつと搖れないね。乘り心地は良い。内部の模樣は桓に出した繪はがきで見てくれ。今朝六時過にトラックを出たんだが、もう二時間ほどでパラオに着くだらう。往(ゆ)きゆき(この旅行のはじめ)には、パラオ・トラック間は船で、まる四日かかつたんだがね。空から見る南洋の島と、その周圍の珊瑚礁とは、トテモキレイだよ。下の方で、スコールの降つてるのなんか、中々面白い。今、飛行機のずつと下の方に綿(モメンのワタだよ)をこまかくちぎつたやうな小さな雲が無數に現れた。下の海も靑いので、ボンヤリ下をのぞいてゐると

 昨日、お前の手紙二通受取つた。久しぶりなので大變嬉しかつた。隨分長い手紙を書いたね。長い手紙はうれしいが、お前は今とても忙しいのだから、無理して書かなくても宜しい。一月二度ぐらゐ、子供等の樣子を知らせてくれれば、それで良い。桓も格も元氣だといふので安心したが、肝腎(カンジン)のお前が働きつかれては何にもならない。はたらき過ぎちやだめだよ。格は可愛いだらうな、格と遊びたいな。桓もオレと離れてゐると、今迄のオレ式の育て方と違つた風に、育てられて行くのが少し殘念だな。オレも何度、本氣で、お前達を南洋に呼ぶことを考へたか知れないが、どう考へても、子供の健康と教育の上から、南洋は思はしくないんだ。それに、今度、旅行して色んな人に合つて見て、驚いたんだが、南洋は、日本婦人の身體に大變、良くないやうだ。南洋で良人(をつと)に死なれた奧さんは少いのに、細君に死なれた男が實に多いんだよ。勿論、南洋で幼兒を、なくした(大抵は、腹の病氣で、)人なんか、數へきれない。こんな例を見ると、お前いくらオレが寂しくとも、お前達を呼ばうといふ氣になれない。たゞ自分の仕事に早く區切をつけて、そちらへ歸りたいと思ふんだ。しかし、時局の都合で、どうなるやら、一月(ひとつき)さきのことも判らない今の時世(ジセイ)だから、思ふ通りには行かないかも知れない。が、まあまあ、希望をもつて、ガンバつて行かうぢやないか。生活に無理のない程度に、貯金でも少しつゝしながら、オレが内地へ歸つてからの生活を樂しみにしてゐてくれ。三十圓でも四十圓でも、いくらでも良いぢやないか。今迄、無かつたのにくらべれば。

 …………今朝早かつたもんだから、ついウトウト居眠りして了つた。氣が付いたら、イヤに脚(アシ)の方がつめたい。高度計(コウドケイ)を見ると三千三百メートル。これでは寒い筈だ。客の中に、クシヤミをしてる人がある。屹度、ウス着で、來たんだらう。窓からのぞくと、今、飛行機は大きな乳色やねずみ色の雲のかたまりの上を飛んでゐる。上の方はすつかり晴れてゐるんだが、下から見れば、ひどく曇つてゐるんだらう。パラオ迄は、あと一時間ぐらゐかな?(以上、飛行機の上で)

(これからは、パラオの獨身宿舍の部屋で)

 二時少し過ぎ、無事パラオ着。中々愉快な空の旅だつた。今日の八時間の旅費が百九十圓。これぢや自費では一寸乘れないね。役所へ直ぐに行つて、お前の手紙だの、小包だの澤山受取つた。お前の手紙を讀むだけでも隨分時間がかかつた。八月に出したのなんか、今讀むと、ヘンだけれど、それでも中々面白かつたよ。ノチャボンのことを書いたのは、何度も讀み返しては、自然に笑へてくる。島田さんのヲヂさんが、ビロードの嫌ひな話は愉快だな。あそこのヲバさんは、犬のお腹(ナカ)をたゝく音が嫌ひだし、面白いねえ隨分。本郷町の家を手離したのはお前が惡いんぢやない。あれは、あれで仕方がないんだ。お父さんに炊事(スイジ)をさせておく譯(ワケ)には行かないからね。オレが歸れば、歸つたで、又、家を探すさ。明日、この手紙を出すついでに、遲(オク)れた十月分のお金を送る。いつもより五十圓多いが、それは貯金にまはしておけ。オレの方の貯金は、どうも、直ぐに出してしまふ恐れがあるから、(内地への船賃だけはとつておいて)これから、なるべくお前の方へ送つておかうと思ふんだよ。さうさう、ルスに氷上の葉書が來てゐてね、「僕もこの秋結婚といふことになつた」とさ。九月の日附だから、もう、すんぢやつたらう。あいつも、もう三十一だからな。お母さんも之で一安心だらう。

 所で、タカ助は、まあ、なんと、オレをひいきにすることよ! だ。あんまりオレびいきになり過ぎるから、色々と神經質(シンケイシツ)になるんだ。もうオレも身體の工合が大變に良くなつたんだから安心しろ。今迄は隨分(ズヰブン)、かなしい知らせばかりやつてお前を泣かせすぎたやうだな。カンベンしろよ。今日ね、久しぶりで、役所へ行つたらみんなが、オレのことを「大分フトツタネ」といふんだ。實はね、この間の晩、トラックの宿で、寐てから、肩の所がカユイので、かいたんだが、その時、自分で、何だか、少し肉がついたんぢやないかな、と感じたんだよ。ホントに少しフトツたんぢやないかと思ふ。近い中に目方をはかつて見よう。とにかく、今の所、身體の調子のいいことは、タシカだ。さうだ、さうだ。忘れてゐた。ビスケットやノリや雜誌や新聞を有難う。八月あたりのからたまつてゐたので、大分小包や郵便物があつた。さういふのを受取るのは嬉しいものだぜ。南洋群島の群の字を郡とまちがへてはダメ。群だよ。オレの此の次の旅行は何時出かけるか、まだ未定。きまつたら、直ぐ知らせるが、今度のは、せいぜい一月ぐらゐの期間だから大したことはない。内地へ行けるか行けないか、これもハツキリしないが、行けるとしても、冬の間は、(少くとも三月末までは)よした方が利口(リコウ)だと思ふが、どうだい? 早く行きたいのは山々だが、やはり暖かくなつてからでないと、危險だからね。それ迄、何とか、ガンバツテヰテクレ、(といふことは、無理してハタライテクレといふんではない。俺の健康については安心して、將來をたのしみにしてゐてくれ、といふことだ)(エフェドリンね、島田さんに都合して貰(モラ)つた分(ブン)に、まだ手が付けてないんだぜ。エライダラウ? 旅行中に、あれを全部(二百五十粒)持ちあるいたんだけどね。)久しぶりに歸つて來たが、パラオは暑いや。トラックよりずうつと暑い。お前は、オレのサルマタのことを心配してゐるが、いくらパラオでもサルマタぐらゐ賣つてるから安心しろ。サルマタは大體、三(ミ)月で三つはきつぶすね。だから、横濱から最初にもつて來た三つは、大體九月の絡までに使ひすてちまつて、あとから送つてくれた一つと、南洋で買つた二つとを、今代りバンコにはいてゐる。もう洗濯なんか、ウマイものさ。ヒマがないのに無理して、縫ふことはないぜ。

 ビスケットつて、二月ぐらゐたつても、マヅクならないものだな。八月に出したヤツでも結構(ケツコウ)くへるね。お菓子があると、何だか、金持になつたやうで、いいな。役所から、うちへ歸るのが、一寸たのしみだからね。しかし、もう、東京からは、無理をして、送らなくつてもいい。

 サツキ書いた、送金こと、少し變(か)へる。五十圓增して、二百圓送らうと思つたが、又、この月の中に旅行に出て、十一月分が遲(オク)れるといけないから、十月十一月と二月分併せて三百圓送ることにする。旅費が多少あまつてるので、送れるんだよ。

 しかし、オレの方も、十月から、國債を買ふ金として、一(ひと)月に八圓づつとられるので、大分大きい。親睦會費は大抵十圓以上だし、強制(キヤウセイ)貯金は十圓づつだし、オレの手にはいるのは、毎月二百十圓に足りないくらゐだ。それにオレは病氣で隨分休んだから、年末のボーナスは無いものと思つてくれ。十一月の十一日はタカ助の誕生日。南洋からは何にも送つてやるものがないから、或はその日、又、少しばかり(ほんの少しばかり)爲替(カハセ)が行くかもしれないよ。

 

 一寸思ひついたから、桓に讀ませてもいゝと思はれる本を二三。

 中央公論で出してる「ともだち文庫」(桓のもつてる「ライオンのめがね」もその一つ)の中の、

  動物園日記 (福田三郎)

  小川の葦  (坪田讓治)

  獸の世界  (ヴェルヴィン)

  戰ふ兵隊蟻 (與田準一)

などは、どうだらう惡くなからうと思ふ。値段はみんな五十錢。是非讀ませろといふ程のものではない。近くの本屋にでもあつたら買つてやつても良からうといふ程度のもの。

   *

「クレープ」フランス語“crêpe”。細かな縮み皺をつけた薄手の織物。

「氷上」氷上英廣(明治四四(一九一一)年~昭和六一(一九八六)年)はドイツ文学者で東京大学名誉教授。東京生。府立一中から一高に進み、昭和八(一九三三)年に東京帝国大学文学部を卒業、旧制甲南高等学校及び一高の各教授を経、昭和二五(一九五〇)年に新制の東京大学教養学部助教授に就任、昭和三二(一九五七)年に教授となった。特にニイチェの研究家として知られるが、一高時代に文芸部委員として敦と親交があり、敦からカフカを教えられたという。また、お互いに作品を校友会雑誌に作品を発表しあっていた(ここまでは主にウィキ氷上英廣に拠る)。底本の筑摩版中島敦全集の編集委員でもある。底本郡司勝義氏は書簡の解題で、敦の『生涯を通じて許しあつた唯一の友人といへる』とし、『昭和二年に知り合つて以來昭和十七年に著者の沒するまで續いた何一つ渝』(かは)『らぬ兩者の友情』を讃えておられる。

「エフェドリン」(ephedrine)は明治二五(一八九二)年に日本近代薬学の祖たる長井長義によりマオウ(麻黄:裸子植物門グネツム綱グネツム目マオウ科マオウ属 Ephedra の(一科一属)常緑低木)から単離されたアルカロイド。気管支拡張剤として喘息治療薬や局部麻酔時の低血圧に対処するための交感神経興奮剤として用いられる。気管支筋弛緩作用はアドレナリンより弱いものの持続性がある。消化管からよく吸収され、経口服用で有効、中枢興奮作用により不安・不眠・食欲減退・呼吸興奮などの副作用を起こす。また心拍数を増加させ、血圧も上昇させる。臨床的には塩酸エフェドリンが気管支喘息・上気道炎に伴う咳及び鼻粘膜の充血腫張などに用いられる(以上は主に平凡社「世界大百科事典」に拠った)。

『中央公論で出してる「ともだち文庫」』昭和一六(一九四一)年から昭和二五(一九五〇)年頃まで中央公論社から出版されていた児童向けの四六判文庫。滑川道夫・冨田博之「体験的児童文化史」(国土社一九九三年刊)には、同文庫の創立の由来や以下で敦が掲げる「ライオンのめがね」「動物園日記」「戰ふ兵隊」への言及や表紙画像なども載る。

「ライオンのめがね」“Les Lunettes du Lion”はフランスの反戦主義の作家シャルル・ヴィルドラック(Charles Vildrac 一八八二年~一九七一年)が一九三二年に発表した童話。星幸一氏のブログ「つながる、仕合せ」ので読める。昭和一六(一九四一)年同文庫刊のそれは石川湧訳・横井福次郎絵。

「動物園日記 (福田三郎)」昭和一六年同文庫刊。福田三郎(明治二七(一八九四)年~(没年を確認出来なかった))は戦時下の上野動物園園長代理。大正一〇(一九二一)年、東京農業大学高等科選科卒業、翌大正十一年に帝室博物館付属上野動物園に動物園掛として勤務、その後、飼育課長を経て、獣医として従軍した古賀忠道園長に代わって昭和一六(一九四一)年八月から昭和二〇年十月まで園長代理を務めた。昭和二七(一九五二)年、退職。象やライオンなどの猛獣の殺処分という悲劇の責任者でもあった。知られた餓死させられた象のトンキーの物語は福田氏の「実録上野動物園」が原作である。

「小川の葦  (坪田讓治)」昭和一六年同文庫刊。

「獸の世界  (ヴェルヴィン)」Ellen Velvinの作品(作者及び内容不詳)。昭和一六年同文庫刊。永井直二訳・脇田和絵。識者の御教授を乞う。

「戰ふ兵隊蟻 (與田準一)」昭和一六年同文庫刊。詩集。深沢紅子絵。与田凖一(明治三八(一九〇五)年~平成九(一九九七)年)は福岡県生まれの児童文学者・詩人。昭和期の日本の児童文学界において指導的役割を担った。国立国会図書館近代デジタルライブラリ当該書。]

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