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2014/01/05

『風俗畫報』臨時増刊「江島・鵠沼・逗子・金澤名所圖會」より鵠沼の部 東屋

    ●東屋

鵠沼にある旅館を東屋といふ。江の島を距(さ)ること十二町。只這ひ流る磯つたひ。樓は明治二十二年の建築なり。境の閑靜なる、景致秀美、魚は新鮮にして、海水浴すべし、避暑療養の客、徐ろに滯在せしむには、江の島よりも優るらめ。

寐ころびて今朝着したる新聞の帶をとく。さて讀みあきて窓によれば。江の島は近く碧波に浮(うか)ひて。眞に一幅の畫圖、烏帽子岩は突兀(とつこつ)として海中に聳へ、海灣を隔てヽ大山翠黛を横へ、箱根の諸山横に連り、其間に芙蓉の峯白雲の上に獨立し、瑠璃色を成して巍然たり、盛夏猶殘雪を認めむ。

邊りは砂地の松原にして、處に茅屋の點在するあり、海は二丁内外の距離あり、朝來麥藁笠をかぶり、白き肌着を身にまとひて農家の庭を縫ひあるきつゝ、近道つたひに往來する人影。

庭の池には白蓮紅蓮を栽培す、廣き運動場(うんどうば)には、鞦韆の設けもあり、保養には適當の旅館なるべし。

  鵠沼には東屋のほか。鵠沼館其他數軒の旅館あり。

[やぶちゃん注:「處」太字の「々」は底本では傍点「・」。ここにしか附されていない。この傍点自体が衍字の可能性もある。

「東屋」は明治三〇(一八九七)年頃(本誌の発行の前年)から昭和一四(一九三九)年まで鵠沼海岸(高座郡鵠沼村、現在の藤沢市鵠沼海岸二丁目八番一帯)にあった旅館。多くの文人に愛され、広津柳浪を初めとする尾崎紅葉主宰の硯友社の社中や斎藤緑雨・大杉栄・志賀直哉・武者小路実篤・芥川龍之介・川端康成ら錚々たる面々が好んで長期に利用し、「文士宿」の異名で知られた。約二万平方メートルの広大な敷地に舟の浮かぶ大きな庭池を持ったリゾート旅館であった。ここで「東屋主人」とあるが、参照したウィキの「旅館東屋」によれば、本来の経営権者は創始者伊東将行であるが、実際の切り盛りは初代女将で元東京神楽坂の料亭「吉熊」の女中頭であった長谷川榮(ゑい)が取り仕切り、明治三五(一九〇二)年九月に江之島電気鉄道が藤沢―片瀬(現在の江ノ島)間で営業運転を開始(鎌倉市街との開通は明治四〇(一九〇七)年八月)すると、伊東将行は鵠沼海岸別荘地開発の仕事が多忙となって東屋の経営権は長谷川榮に委ねられたとある(その後にこの経営権の問題で伊東家と長谷川家で意見の対立が生じたものの、大正九(一九二〇)年には和解した模様である)。後年、晩年の芥川龍之介は鵠沼の東屋旅館に養生のためにしばしば訪れた(後には同旅館の貸家イの四号の別荘を用いた)。そのため、幾つかの作品にこの鵠沼海岸が登場する。「鵠沼雜記」「O君の新秋」「悠々莊」など、当時既に自死を決していたゆえに陰鬱な作品が多いが、中でも『蜃氣樓――或は「續海のほとり」――』は晩年の彼の傑作の一つである(リンク先は総て私の電子テクストである)。それらの光景はまだここに記された景色とよく一致している。個人ブログ「www.hbirds.net」の「東屋旅館」の記事が包括的で画像もあり素晴らしい。何よりも芥川龍之介「歯車」(リンク先は私の草稿附電子テクスト)に登場する理髪店の、龍之介自身が出てきそうな店の今の写真が――ブルっ!――とくる。

「十二町」1・31キロメートル。

「芙蓉の峯」言わずもがなであるが、富士山の雅称である。

「二丁内外」一〇九~二一九メートル前後。

「鵠沼館」明治二〇(一八八七)年に鵠沼村で初めて営業を始めた旅館で、読みは「こうしょうかん」が一般的である。大正に入ってすぐに廃業したものと思われる(以上は「鵠沼を巡る千一話」の最初の旅館「鵠沼館に拠った)。]

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