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2014/01/29

北條九代記 大炊渡軍 付 御所燒の太刀 承久の乱【十七】――大炊渡しの戦い

武田、川端に進めば、信濃國の住人千野(せんのゝ)五郎、川上〔の〕左近、馬を打入れて渡す所に、東方より黑革威(くろかはおどし)の鎧に月毛なる馬に乘り、塗籠籐(ぬりごめどう)の弓持ちたる兵、河端に下りて、「只今岸を渡すは何者ぞ」と詞を掛けたり。「是は武田五郎殿の御手に屬せし信濃國の住人、千野六郎、河上左近」と名のりけり。この武者聞きて、「某も同國の住人に、夫妻(おほつまの)太郎兼澄と云ふ者ぞ、千野は我等が一門ぞかし、河上殿に申承らん」とて、能引(よつぴい)てひようと射るに、左近が引合(ひきあはせ)を篦深(のぶか)に射させて、倒(さかさま)に落ちて流れたり。千野六郎、續て渡す所を、又矢を番(つが)ひて、射たりければ、六郎が乘りたる馬の弓手の太腹を射させて、馬は平(ひら)に轉(ころ)びたり。千野六郎、太刀を拔きて逆茂木の上に飛上(とびあが)る。京方の陣より、武者六人馳寄(はせよ)りて、六郎をば打取りけり。是を初て常葉(ときはの)六郎、我妻(あづまの)太郎、内藤八續(つゞい)て渡しける所に、大妻太郎に射落されて、川に流れて死んだりけり。武田五郎、易からず思ひて打入り渡すを見て、舎兄惡三郎、舎弟六郎、同七郎、武藤〔の〕五郎、内藤七、新五、黑河、岩崎〔の〕五郎、以上九人ぞ渡しける。京勢、雨の降る如くに矢を放つに、少しも躊躇(ためら)ふ色はなし。小笠原〔の〕次郎百騎計(ばかり)にて押渡る。京勢河端に下向(おりむか)うて戰ふ。寄手の大勢、物ともせず、打入れ打入れ、雲霞の如く渡掛(わたしかけ)て、鬨の聲を作りて攻掛(せめかゝ)る。

 

[やぶちゃん注:〈承久の乱【十七】――大炊渡しの戦い〉

「千野五郎」諸本「六郎」の誤りとする。以下に見る通り、これは「承久記」の誤りであって筆者の咎ではない。

「塗籠籐」弓の束(つか)を籐で密に巻いた重籐(滋籐/繁籐:しげどう)の弓でも、その籐の部分を含め、全体を漆で塗り籠めた弓。単に塗籠とも呼んだ。

「引合」鎧や腹巻き・胴丸・具足の類に於いて着脱するための胴の合わせ目を指す語。この場面のような大鎧では前と後ろを引き合わせた右脇の間隙部分を指す。

 

 以下、「承久記」(底本の編者番号40の続きから43のパートの頭の部分まで)の記載。

 

 武田ガ手ノ者、信濃國住人千野五郎・河上左近二人打入テ渡ケルガ、向ノ岸二黑皮威ノ鎧ニ月毛ナル馬ニ乘テ、クロツハノ矢負テ、塗籠藤ノ弓持クリケルガ、河ノハタノ下ノダンニ打下テ、「向ノ岸ヲ渡ハ何者ゾ」。「是ハ武田小五郎殿ノ御手ニ、信濃國住人千野六郎・川上左近ト申者」ト名乘ケレ。「同國ノ住人大妻太郎兼澄也。眞ニ千野六郎ナラバ、我等一門ゾカシ。六郎ハ諏方大明神ニユルシ奉ル。川上殿ニ於テハ申承ン」トテ、ヨツ引テ丁ト射ル。左近ガ引合ヲ篦深ニ射サセテ、倒ニ落テ流レケルニ、千野六郎是ニモ不ㇾ臆、軈テ續テ渡シケレバ、「千野六郎ハ、元來、大明神ニユルシ奉ル。馬ニ於テハ申受ン」トテ、能引テ丁ト射ル。六郎ガ弓手ノ切付ノ後ロノ餘ヲ、篦深ニ射サセテ、馬倒ニコロビケレバ、太刀ヲ拔テ逆茂木ノ上へ飛タチ、カチ武者六人寄合テ、千野六郎ハ打取ニケリ。同手ノ者常葉六郎、其モ大妻太郎ニ鎧ノ草ズリノ餘ヲ射サセ、舟ノ中ニ落タリケルヲ、先ノ六人寄合テ打ニケリ。我妻太郎・内藤八、其モ被ㇾ射テ流レニケリ。

 内藤八ハ眞甲ノハヅレ射サセテ、血目へ流入ケレバ、後モ前モ不ㇾ見、馬ノ頭ヲ下リ樣ニアシク向テ、軈テ被卷沈ケルガ、究竟ノ水練成ケレバ、逆茂木ノ根ニ取付テ、心ヲ沈メ思ケルハ、是程ノ手ニテヨモ死ナジ、物具シテハ助ラジ、此鎧重代ノ物ナリ、餘生タラバ其時トレカシト思ヒテ、物ノ具ヌギ、上帶ヲ以テ逆茂木ノ根ヲ岩ノ立アガリタリケルニ纏ヒ著テ、向タル方へハイケル程ニ、可ㇾ然事ニヤ、渡瀨ヨリシモ、人モナキ所ニハヒアガリタリ。腰ヨリ上ハアガリテ後、底ニテ絶入ヌ。程へテ後、生アガリタリ。京方ノ者共、見付タリケレ共、死人流寄タリト思ヒテ目モ不ㇾ懸。其後、緣者尋來リテ助ケル。後ニ水練ヲ入テ、河底ナル鎧ヲ取タリケリ。

 武田小五郎、軈テ打入テ渡ケリ。伴フ輩ハタレタレゾ。兄ノ惡三郎・弟ノ六郎・同七郎、武藤五郎・新五郎、内藤七・黑河内次郎・岩崎五郎、以上九人、是等ヲ始トシテ百騎ニ足ヌ勢ニテゾ渡シケル。京勢ハナシケル矢、雨ノ足ノ如ナレバ、或ハ馬ヲ射サセ、或ハ物具ノスキヲ射サセテ河へ入。是ヲモ不ㇾ顧、乘越々々渡シケル。武田五郎、軈テ續ヒテ河端ニ打望テ、「小五郎、能コソ見ユレ。日來ノ言ニテ能ク振舞へ。敵ニ後ロヲ見セテ此方へ歸ラバ、人手ニ掛マジキゾ。只渡セ。其ニテ死ネ」トゾ下知シケル。小五郎、元來、敵ニ目ヲ懸テ思切タリケル上、父ガ目ノ前ニテ角下知シケレバ、面モ不ㇾ振戰ケル。小笠原次郎、被出拔ケルゾト思ニ、安カラズ思テ、打立テゾ渡シケル。

 京方、各河端ニ歩向テ散々ニ戰ケレ共、東山道ノ大勢如雲霞打人々々渡シケレバ、力不ㇾ及引退テ、上ノ段へ打上ル。

 

「承久記」の方がエピソードが仔細で臨場感に富み、遙かによく書かれている。

●「切付」は「きつつけ(きっつけ)」と読み、鎧ではなく、馬の下鞍(したぐら)の内で肌付(はだつけ)の上に重ねる馬具の名称。馬の背や両脇を保護するもの。]

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