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2014/01/25

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十一章 六ケ月後の東京 2 市中嘱目1

M299
図―299

 

 今日、五月五日には、男の子の祭礼がある。この一事に就ては既に述べた。私は空中に漂う魚を急いで写生した。風が胴体をふくらませ、魚は同時に、まるで急流をさかのぼっているかの如く、前後にゆれる。一年以内に男の子が生れた家族は、この魚をあげることを許される(図299)。

[やぶちゃん注:「この一事に就ては既に述べた」『「第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 13 鯉の滝登りの絵 / 端午の節句とこいのぼり』を参照されたい。]

M300

図―230

 

 男が小さな荷物を頸のまわりにむすびつけ、背中にのせたり、顎の下にぶら下げたりしているのは奇妙である(図300)。彼等は必ず、我国の古風なバンダナ〔更紗染手巾〕か、包ハンケチに似た四角い布を持っていて、それに包み得る物はすべてひっくるむ。私は一人の男が、彼の衣服のひだから、長さlフィートの包を引き出すのを見た。

[やぶちゃん注:「バンダナ」“bandanna”。底本では直下に石川氏の『〔更紗染手巾〕』という割注が入る。失礼乍ら今や最早、化石のような割注である。

「lフィート」三〇・四八 センチメートル]

 

  去年の六月に私が来た時と、今(五月)とは、景色がまるで違う。稲の田は黒いが、あちらこちらにに咲く菜種のあざやかな黄色の花に対して、よい背地をなしている。菜種からは菜種油をとる。桜と李が沢山あって、そして美しいことは驚くばかりであるが、而もこれ等の花の盛りは、すべて過ぎたのだそうである。我国の林檎の木ほどの大きさのある椿の木には、花が一面についていて、その花の一つ一つが、我国の温室にあるものの如く大きくて完全である。小さな赤い葉をつけた矮生の楓樹は、庭園の美しい装飾である。葉は緑になる迄、長い間赤いままである。野や畑は、色とりどりの絨氈のように見える。何から何までが新鮮で、横浜、東京間の往復に際して景色を眺めることは、絶間なきよろこびである。

 

 日本人がいろいろに子供の頭を剃ることは、我々がいろいろに我々の顔を剃る――髭(くちひげ)だけで鬚(あごひげ)が無かったり、鬚だけで髭が無かったり、両方の頰髭(ひげ)を残して顎を剃ったり、顎だけに小さな鬚(ひげ)をはやしたり、物凄く見せかける積りで、頰髭を両方から持って来て、髭を連結させようとしたりする――ことが、彼等に奇妙に思われると同様、我々には奇妙に思われる。莫迦(ばか)げている点では、どっちも大差はない。

M301

図―301

 

 図301は大工の長い鉋(かんな)で、傾斜をなして地面に置かれ、他端は木製の脚立にのっている。鉋をかけらるべき木は、鉋の上を前後に動かされるのだが、常に大工の方に向って引張られる。旅行家が非常に屢々口にする、物事を逆に行うことの一例がこれである。鉋の代りに木を動かし、押す代りに手前へ引き、鉋それ自身はひっくり返っている。

[やぶちゃん注:私はどう考えてもモースは誤解していると思うのだが……こんな置いて用いる巨大な据え付け型鉋が存在するというのはちょっとわつぃは聴いたことがないのである。識者のご教授を乞う。]

M302

図―302

 

 先日私が見た抽斗(ひきだし)が四つある漆塗の箱は、抽斗に取手がまるで無いという、変な物であった。抽斗がぴったりとはまり込んだ無装飾の、黒くみがき上げた表面があるだけなのだが、抽斗の一つを開けるには、開け度いと思う分の上か下かの抽斗を押すと、それが出て来る。抽斗の背後に槓杆仕掛(てこじかけ)があって、それによって抽斗はどれでも出て来ることが出来るのである(図302)。

[やぶちゃん注:「槓杆仕掛(てこじかけ)」原文“A lever device”。所謂、「からくり箪笥」と呼ばれるもの。同ワードで検索をかけるとなかなかに面白いものが陸続と出ますぞ!]

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