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2014/01/08

萩原朔太郎 短歌九首 明治三七(一九〇四)年四月

ああひと日、夢に草花美しう、胸に根こじに貸すことあらば。

 

かくてまた憂いかな春の夕光。きけや身をきる罪の子の歌。

 

五十鈴川五十鈴の宮の大前に、巨鈴なるごとわが詩高鳴る。

 

緋芍藥花ちる庭の艶やかさ、戀は濃雲と凝りにけらしな

 

いつの世より戀か香をもつそよ風の、疾風(はやち)吹雪(ふゞき)となりにしものか。

 

足んぬ智は、敢えてしねがふ歌の幸。來む世思はず、欲らず桂も。

 

そゞろ行くに、ここは名の國智慧の國。ふたゝび思ふ戀はいづかた。

 

たまさかに問へば趣(しゆ)のなき天王寺、姉と拾ひし落椿かな。

 

 母を失ひたる友に代りて

 何者か行方さへぎる夜毎夜毎。母と添寢の夢ならなくに。

 

 

[やぶちゃん注:『文庫』第二十五巻第六号(明治三七(一九〇四)年四月発行)に「上毛 萩原美棹」名義で掲載された九首。服部躬治(既注済)選。萩原朔太郎満十七歳。

 二首目「かくてまた」の「憂い」はママ。

 三首目「五十鈴川」の「五十鈴の宮」は伊勢神宮内宮である皇大神宮の別称。下句の「巨鈴」(「こすず」と読んでいよう)は「五十鈴」(いすず)から掛詞的に引き出された心象である。神仏習合以前の神道の古形を守る伊勢神宮には鰐口(鈴)はない。

 五首目「いつの世より」の「疾風(はやち)吹雪(ふぶき)」の部分は一語と捉えず「疾風」(読みの「はやち」の「ち」は「東風(こち)」の「ち」と同じで、古典で「~(の)風」の意の熟語を作る造語成分。「はやて」に同じい。)から「吹雪」へと推移するイメージと採る。

 六首目「足んぬ智は」の「足んぬ」は、動詞「足(た)る」の連用形に完了の助動詞「ぬ」の付いた「たりぬ」が撥音便化したものの名詞化したもので、満ち足りること。満足。堪能の意(あまり知られていないが、「堪能」という熟語自体、この「たんぬ」が音変化した語で「堪能」は全くの当て字である)。

 七首目「たまさかに」の一首は、先に示した『坂東太郎』第三十八号(明治三七(一九〇四)年三月発行)に

    京の子なりき

たまたまに問へば趣もなき天王寺姉とひろひし落つばきかな

で載る。因みに、迂闊であったが考えてみると、この「姉」は実際の「姉」ではない。朔太郎の実在の姉は確かにいたにはいたが、朔太郎誕生の二年前に出生後幾許もなくして亡くなっている。以下、底本年譜によれば、明治一七(一八八四)年一月十八日生で名はテイである(但し、戸籍上の記載はなく、墓碑に記されるのみである)。この「姉」とは何者か。親族の年上の思いを寄せていた誰彼であろうか、それとも……。]

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