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2014/01/19

犬と散歩しながら

毎日、アリスと散歩しながら思うことがある。

今時、僕の住んでいる大船の場末でも、山々は切り崩され、すっかり宅地化が進んでしまった。

たまに辛くも生き残った山の一画の踏み分け道を辿って見ても、突如、無粋なフェンスが立ち現われなかったとしても、所有者と思しい人間に立ち去れと手を振られるのがオチだ。

僕らが小さな頃は、違っていた。
家と家の間には抜け道があり、路地裏が幾らも小さな迷宮として、僕らの眼前にあって、山へ分け入る小径には、蛇や獣の匂いがして、何時でもちょっとした未知の世界として忽然と立ち現われてくれたものだった(それは今よりもずっと背が低く、勢い、ある種の怖さを以って自然を見上げていたからだとも言えるし、そもそもその頃の僕らの中の地図は山向こうが白くなっていたからだとも言えよう)。

ところが今や、普通の市街地にあっては、そうした「探検の動悸」を感じることは最早、なくなってしまった。
そこには「私有地につき立ち入りを禁ず」という看板か、潜り込む隙もない柵か、管理者の蛇のような監視の眼があるばかりであって、そうしてそこで感じるのは「神経症的な動悸」なのである。
いや、そればかりではない。ちょっとした猫の額ほどの公園でさえも「犬を連れてくるのはやめましょう」などという注意書きがあったりして、アリスと僕は呆然としてしまうばかりなのだ。……

僕には聴こえてくる……
……「こら、起きろ。ここはみんなのもので、誰のものでもない。ましてやおまえのものであろうはずがない。さあ、とっとと歩くんだ。それが嫌なら法律の門から地下室に来てもらおう。それ以外のところで足をとめれば、それがどこであろうとそれだけでおまえは罪を犯し たことになるのだ。」……
という、カフカの「審判」をインスパイアした阿部公房の「赤い繭」の、あの台詞が……

そうして……そうして実は、僕には……
これらが今の僕らの前に突き付けられた
――今の現実世界そのものの表象――
だとしか思われないのである。

……かつての妖しげな「抜けられます」という饐えた臭いのする路地を、ドキドキしながら走り抜け、獣道のようなところに迷い込んでも、葦原を必死で掻き分けて行けば、そこには懐かしい家々の夕餉の匂いが漂っていたり、時には飛び出たそこが知らない場所であっても、そこには目の覚めるような美しい海が広がっていてわくわくしたりする……そんな――希望――は最早、今の僕らには許されていないではないか……

……その代わりに今、僕らの行く手にあるのは
――奇体なナショナリズムで「私有地」化された幻想の思想の「OFF LIMIT」という看板であり
――「危ないから~してはいけません/~はしないようにしましょう」という真綿で首をやんわり締める『人間にやさしい』抑圧命令の立札
ばかりではないか?……
僕はあの小説の主人公が遂に赤い繭になってしまう意味が、何だかすっかり、今――分かってしまった――ような気が、するのである……



どうもやり残していることが一つあってそれが咽喉に刺さった骨のように気になる。明日は朝から一切のテクスト更新をやめてそれをやり遂げよう。――こう書けば、やらずにはおれなくなるから――

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