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2014/01/05

初夢 22歳教師着任夢

僕は22歳で、どこか架空の地方に赴任した、その初日、着任の4月1日である。
その高校の名は「太和高等学校」といった。
[やぶちゃん注:こんな高校は実在しない。また、その様子は僕が実際に勤務した6つのどの学校とも似ていない。更に言うと「太和」という名は「たいわ」ではなく、何か非常に不思議な読み方をするのであるが、実は夢の中の僕はその読み方が覚えられないでいるのである(後述)。]

始業式前であるから生徒はおらず、部活動もしていない。どんな学校なのか皆目見当がつかないが、そんなことは全く気にはならない。
ただ、その学校のある町はアスファルトの道が何処にもなく、薄の穂が繁る荒れ地が目立ち、家があってもそれは悉く、廃屋なのであった。
[やぶちゃん注:そこはどうも震災後の東北のように見えた。しかし、それは覚醒後の僕の印象であって、夢の中での認識ではない。]

着任式を終えると同僚に連れられて、町の一杯飲み屋へ行った。
夜、帰り道、その同僚と淋しい商店街を抜けて行く。
と、間口だけは広い閑散とした駄菓子屋がある。
もう店仕舞いをしかけている。
その割烹着を着た女将さんを見ると、彼女は僕を可愛がってくれた亡き伯母なのであった。
[やぶちゃん注:これは明らかに鎌倉西口の御成通りなのであった。この伯母は僕を殊の外可愛がってくれた実在した鎌倉在の女性で、白血病のために僕が18の時に亡くなっている。この伯母にはよくこの御成通りにあった模型屋でプラモデルを買ってもらったものだったが、その駄菓子屋は今思い出すと、その店によく似ていた(但し、夢の店は実在したその1間強〔2メートル程〕のそれとは違って異様に広く、有に3~4間はあった〕)。]

伯母は
「久し振りねぇ」
と笑顔で僕を迎えながら、店仕舞いをすると、駄菓子屋の前に屋台を引き出し、アセチレンを燈しておでん屋に早変わりするのであった。
[やぶちゃん注:それはもう今はなき、江の島弁天橋に実在した馴染みのおでん屋の情景にそっくりなのであった。覚醒後に思い出して見ると、伯母の顔とその実在したおでん屋の女将は孰れも色が浅黒くて瘦せて似ていて、しゃきしゃきした人柄までも二人はよく似ていたということに気づいた。]

深夜になって同僚は帰り、僕は駄菓子屋の奥の部屋で、伯母と一緒に懐かしい昔の夜咄をしながら寝に就いた。

早朝、6時過ぎ、僕は伯母に別れを告げた。
砂利道の向こうでいつまでも伯母が手を振っていた。
[やぶちゃん注:事実、亡き伯母もいつもそうやって僕を見送ってくれたのだった。]

下宿屋へは歩いて行かねばならない。
『……ここにはバスさえない……』
『……僕は「バスに乗り遅れた」んだ……』
と思いつつ砂利道を歩いて行った。
[やぶちゃん注:この後者の心内語は頗る意味深長であった。]

長い土掘りのトンネルが二本並んでいた。
そこをこっちに向かって沢山の若者が歩いてくる。
それが僕のこれから教える生徒たちであるらしい。
如何にも疲れた、みすぼらしい形(なり)をした、高校生の男女が、悲痛な面持ちで、無言のままに登校してくるのであった。
僕はそれを見ながら、この子たちを何とか元気づけなくては、と思うのであった。
僕は突然、口笛を吹き始めた。
それはモーツアルトの交響曲第25番ト短調K.183の第一楽章であった。
[やぶちゃん注:映画「アマデウス」のオープニングで使用されたあれである。因みに僕はあの曲がモーツアルトの中でも殊の外好きで、実際にあの第一楽章を総て、僕は実際に口笛で完全に吹くことが出来るのである(信じ難い人もいるであろうが、これは本当である)。]

……朝まだき……懸命にモーツアルトを口笛で吹く僕……行き違う悲痛な若者たち……トンネル……向こう側の出口の光明…………

僕はその町はずれに借りた安アパート(二階雑居)へと帰った。
そこは昨日の朝に転居したばかりなのであった。
無断外泊をした僕を、玄関のところで一階に住む大家主人が心配顔で待っていて、
「門限の10時までにお電話を下さらないと。念のために、あなたの会社の電話番号を教えて下さいな。」
と言われ、恐縮するのだが、ところが僕は勤務先の電話番号はおろか、学校名も読み上げられず、僕はただ身分証明書をはにかみながら、頭を掻き掻き見せるしかないのであった。
「……あの●●高校の先生ですか。……それじゃ、まあ……読めなくても仕方がないですねぇ。」
その苦笑を含んだ言いには、難読の校名だから、という以外に、何か曰く言い難い、同情か憐憫のようなものが感じられたのであった。
[やぶちゃん注:この主人役は、僕が大学自分に借りていた下目黒の下宿屋の、元銀行マンであった優しい大家さんであった(事実、門限は大学卒業まで夜の10時であった)。なお、ここでの大家の意味ありげな様子は、かつて僕が、さる課題集中校に勤務していた折り、校名を出しただけでしばしば体験した人々の何とも言えない微苦笑の反応に似ていた。]

僕の部屋は、玄関(これは大家の家のそれとは別建て)から階段を上がった、直ぐ左手の6畳であった。僕の部屋にだけ、一階の大家の家に通ずる階段が別にあった。
[やぶちゃん注:実はその大家の家に通ずる階段の構造に関わって大家の娘(この娘役も実際に、その大学時代の下宿の隣室にいた大家の娘さんであった)と絡んだ相応の記憶するエピソードがあるのだが(それもちゃんと記憶しているのだが)、特に面白くもない上にすこぶる煩瑣なので割愛することとした。なお、僕の実際の大学時代の下宿の、その大家の娘さんとの忘れ難い実際の経験を小説仕立てにした『「御孃さんと私」やぶちやん』がある。お暇ならお読みあれ。僕としては上出来な一篇と秘かに思っている掌篇である)。]

ところが部屋に入って見ると、僕の引っ越し荷物ではない(それはまだ紐を解かずに部屋の隅に段ボール三箱で整然と積まれてあった)ものが所狭しと散乱していて、しかも子供や夫婦ものを含めた7~8人の人々がそこここに坐って談笑しているのであった。
皆、この二階の下宿人たちで、僕の部屋は元はロビーのように、談話室に使用されていたものらしいことが雰囲気から伝わってきた。

例の階下の大家の住居に通じる階段の上がりっぱなで、小学校低学年の少年が僕の荷物から沢山の、僕の置物のアクセサリであるビー玉を勝手にとり出して、それをぶつけて遊んでいた。
見ていると、つい、強く弾き過ぎて、それがパーンと砕け散ってしまうのであった。
――少年が、如何にも哀しそうな潤んだ目で僕を見上げている。
僕は微笑みながら、
「――いいんだよ。」
と慰め、荷物の中のビー玉を片手で掬い出すと、
「星のかけらだよ。」
と言って皆、その少年にあげてしまったのであった。
[やぶちゃん注:ここのみ映画的で、僕を見上げている少年を俯瞰した僕の目線のショットがまずあって、その次に畳面からのアオリのショットで(右手階段脇にあった窓から光線が入ってハレーション気味になっていた)、微笑しつつ台詞を言う僕のショットがモンタージュされていた。……というより……映画好きの方ならここが、僕の大好きなセルジュ・ブールギニョン監督の「シベールの日曜日」(1962年フランス)の、ピエールと少女シベールの出逢いそのマンマのインスパイアであることが容易にお分かり戴けるはずである。いや、だからこそ、なかなかにいい写真だったのである。]

出勤時間が迫っていた。
僕は人々の隙間で、着替えを始めた。
新しいワイシャツにネクタイを締め、背広を着、慌てて階段を駆け下りようとする――
……と
……僕は

――下半身がパンツいっちょであることに気づく――

……僕は泡を食って階段を駆け上がるとズボンを穿いた。……

――腕時計を見ると、もう、7時45分だった。

学校まで徒歩では有に一時間はかかる。

絶望的だ……

僕は教師一日目から遅刻するのだ…………

[やぶちゃん注:このラスト部分、フロイトが喜びそうな性的象徴であることが歴然としているように思われるかも知れない。……しかし、しかし乍ら……僕には遠い昔に、これに類した実体験のトラウマがあるのである。……玉繩小学校1年生の秋雨の降る日の鮮明な記憶である。外は雨が降っていた。身体測定の順番が回ってきて、測定が終わった。担任の小林りん先生(髪のまっ白な退職間際の独身の女先生であった)は計測の途中で、「終わったら戻ってらっしゃい。」と言ったまま保健室を去っていた。僕の姓は「藪野」で、僕が検診の最後だった。隣りの更衣室に戻ると何故か電気が消えているのだった。誰もいなかった。暗くて寒かった。僕は何かに襲われるような恐ろしさを感じ、急いで着替えを済ますと、教室に向かって暗い廊下を早歩きで歩いていた。下がやけにスース―した。……見れば……怖さの余り、ズボンを穿き忘れていたのだった。……廊下には誰もいなかった。……急いで更衣室へ駆け戻った…………因みに、小学一年生の記憶というのが疑わしいと思われるかも知れないが、僕にはどっこい沢山あるのである。それは恐らく、東京から鎌倉への転校(但し、僕の元々の出生地は鎌倉市街である。外務省の外地勤務の親族の子を父母が預かっていた関係で、幼稚園から小学校一年の夏までの一時期、その親族の家のあった練馬の大泉学園に住んでいたのであった)という、激しいカルチャー・ショック(僕は転校して丸一年の間、都会の子としていじめられ続けた。実は夢の中の先に出た「長い土掘りのトンネルが二本並ん」だその隧道は、僕が転校直後に毎日帰りにいじめられた大船フラワーセンターから龍宝寺へと抜ける場所にあったトンネルだったのだ。その永遠に忘れることない屈辱的な経験については、かつて、「耳嚢 京都風の神送りの事 又は 忘れ得ぬ思い出」の注釈で詳しく述べている。これは僕と言う屈折した人格形成の重要な因子の一つであるからして、是非、お読み戴ければと思う)を挟んでいたからだと僕は考えている。]



ともかくも――これが2014年の僕の初夢であった――覚醒時――心臓がバクバクしていた――

――ここまで僕の夢にお付き合い戴いた方に心より感謝申し上げる――

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