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2014/01/09

中島敦 南洋日記 十一月二十七日

        十一月二十七日(木) 晴

 午前九時公學校に到り小山田校長と語り、授業を見る。凡て此の學校の軍隊式、形式的訓練の徹底は驚くばかりなり。その可否は未だ言ふべからず。

 夜、月すでに明るし。月明に乘じ白き路を辿り行くに、街に出づ。琉球史劇、北山風雲錄なる看板に惹かれて彩帆劇場に入る。開演前に沖繩舞踊數種あり。何處やらに單調な蛇皮線の音す。「戻り駕籠」歌舞伎なる所作事面白し。北山風雲錄の劇中、聞きとれしは、數語に過ぎず。「タシカニ」この語、最も多く聞かれたり。「昔カラコノカタ」「ヤマミチ」その他。

[やぶちゃん注:「北山風雲錄」不詳。現在、昭和二一(一九四六)年の「北山」をもとにした作品「現代版組踊 北山の風 今帰仁城風雲録」というがあるが、同作のパンフを見ると、琉球北山(ほくさん)『王朝最後の王「攀安知」と、「北山の山狗」と揶揄された副将「本部太原」の確執、そして王の遺児「千代松」による仇討を描いた、もう一つの北山落城の物語』とある。「本部太原」は沖縄方言で「もとぶてーはら」と読む。この同時代を描いたウルトラの脚本家金城哲夫の沖縄芝居「虎! 北へ走る」などの脚本は読んだことがあるが、戦前の琉球史劇についてはよく分からない。識者の御教授を乞うものである。それにしても当時、沖繩から有意に多くの人々が南洋に移住していたことが分かる(そうでなければ沖縄繩方言による沖繩芝居を平常的に興行することは考えられない)貴重なシークエンスである。そういえば、ここまでの日記中にも南洋での沖繩の人々が有意に記されていた。

「戻り駕籠」琉球舞踊の大家玉城盛義の作詞及び振付になる短編舞踏喜歌劇。関洋氏の「たるーの島唄まじめな研究」でその詳細な歌詞が読める(これは必見!)。関氏によれば、『元は大和の歌舞伎舞踊というジャンルでは有名な『戻駕籠色相肩』(もどりかご いろにあいかた)』に基づくとあり(さればこそ敦が一度「歌舞伎」と書いたのにはそれなりの意味があったのである)、『それゆえ大和言葉、表現が多い』。『駕籠に乗せた女性の客をめぐり、それを担ぐ男の滑稽で、かつリアルな葛藤、そして対立が笑える』。『けれども結末は二人の思いとは正反対に』。(以下、ネタバレにならぬように省略)。関氏は、『男たちの欲望は、リアルであり、見るものをひきつけ』、『世間というものを二人の駕籠かきに凝縮』させており、『沖縄では今でも、どこかでこの芝居が演じられている』とあって、沖繩の舞踏では人気の演目であるらしい。動画で何本かがアップされているが、私は敢えて駕籠搔き二人を美しい女優が演じた masamithu iha 氏の「戻り駕籠(短編舞踊喜歌劇)・仲程沙耶花、崎濱美智枝」をリンクさせておく。お楽しみあれ。

 同日附の書簡は三通が残る一通は中島たか宛のもの(旧全集「書簡Ⅰ」番号一四五)。他の二通は知人男性への葉書(同一四三と一四四)。以下に示す。

   *

〇十一月二十七日附(サイパン郵便局一六・一一・二七。パラオ南洋庁地方課。東京市淀橋区上落合二ノ五四一 田中西二郎宛。葉書。)

二月餘り方々を廻つて來て、今、サイパンにゐます、ここは餘りに内地化してゐるので面白くありません、ヤルートに行つた時、「風と共に散りぬ」の譯者を案内してマーシャルの島々を歩いたといふ役人に會ひました、僕が、大久保氏の南洋のことを書いた小説を讀んだといつたら、しきりに讀みたがるので、何時か御惠贈に預かつた「妙齡」の中二册を送るつてやることにしました、

 パラオは暑いが、ここは風があつて、大變凌ぎよい所です

   *

以上は十月一日の日記と注に引いた、たか宛書簡及びその私の注をまず参照されたい。なお、田中西二郎については既にそこに名が出ていたが、注をし忘れていたのでここで以下に注する。田中西二郎(明治四〇(一九〇七)年~昭和五四(一九七九)年)は英米文学者。東京生。東京商科大学(現在の一橋大学)卒。中央公論社や日本文芸家協会などに勤務する傍ら、メルビルの「白鯨」を本邦で初めて完訳した。「愛の終り」をはじめとするグレアム=グリーンの殆んどの作品を翻訳したことで知られる(以上は講談社「日本人名大辞典」に拠る)。

   *

〇十一月二十七日附(パラオ南洋庁地方課。横浜市中区竹ノ丸一〇 山口比男宛。葉書。)

 風のたよりによれば、御慶事があつたものの如くですね、御本人からしらせを貰はないのにお目出度うといふのもヘンだが、こちらは旅烏(九月以來ずつと、歩き廻つてゐます、目下サイパンに在り)で、いい加減に見當をつけて挨拶するほかは無い、とりあへず、鳳凰木(サイパンには、もう椰子がない)の蔭から遙かに敬意を表しておきます、トラックには一月ゐて島々を廻りました、飛行機の上から見る珊瑚礁の色は非常にキレイなものですよ。

   *

太字は底本では傍点「ヽ」。山口比男は横浜高等女学校時代の同僚。「鳳凰木」はマメ目マメ科ジャケツイバラ亜科ホウオウボク Delonix regia。原産はマダガスカル島で、主に熱帯地方で街路樹として植えられる。日本では沖縄県でよく見られ、台湾でも一八九六年に種子が入れられて台南市や廈門市では市樹となっている。樹高は十~十五メートルで樹冠が傘状に広がり、葉は細かい羽状複葉。直径十センチメートルほどの五弁で緋紅色の蝶形をした花が総状花序で咲く(以上はウィキの「ホウオウボク」に拠る。グーグル画像検索「Delonix regiaをリンクさせておく。その開花した樹の全体像の鮮やかさには私は正直、オーストラリアの修学旅行引率で見た素敵な jacaranda――シソ目ノウゼンカズラ科キリモドキ属ジャカランダ(和名キリモドキ)Jacaranda mimosifolia ――の印象と同じ位に度胆を抜かれた。必見! 序でにグーグル画像検索「Jacaranda mimosifoliaもどうぞ!)因みに「サイパンには、もう椰子がない」というのは、南洋=ヤシという短絡的神経しか持っていなかった私にはガツンときた。

   *

〇十一月二十七日附 サイパン郵便局一六・一一・二七。南洋群島パラオ南洋庁地方課。東京市世田谷区世田谷一丁目百二十四番地 中島たか宛。封書。)

 十一月二十五日。おひるにやつとサイパン入港。公學校の校長さんの出迎を受けて上陸。涼しいのに驚いた。土地の人に聞くと、ここでは七月が一番暑く(僕がはじめて、構濱から來た時上陸して、暑いのにびつくりしたのは、七月だ)十二月、一月、二月は、大變涼しいんださうだ。パラオから見て大分北に寄つてるから、日本あたりの冬と多少似た氣候になるのかも知れないね。夜なんか、涼し過ぎる位。この所、大分雨が降らないと見え、水不足で弱ってゐる。とうとう今日は風呂へはいらない。内地では、(殊に冬なんか)僕は風呂へはいらないことのは平氣だつたが、熱帶で風呂の無いことは、たまらないものだよ。ここの宿舍はね、支廳のクラブの宿泊(シユクハク)所でね、四十疊(でふ)位の部屋にずつと、ウスベリを敷いてあるだけの、殺風景(サツプウケイ)な所さ。そこに同宿者が二組あり、それが兩方とも赤ん坊を連れた夫婦者だから、閉口した。夜、本を讀むことも何も出來ないんだ。それに、あてがはれた蚊帳が、恐ろしく小さいんだよ。二疊づりつていふのかな。敷ブトンの大きさと丁度同じなんだ。犬小舍(ゴヤ)みたいで、をかしくてしやうがない。四十疊の部屋に二疊づりの犬小舍みたいな蚊帳をつつて、そこへ、もぐり込んでる委を想像してくれ。それにね、小さな蚊帳のくせに、穴(あな)だけは大きなのがあいてるんだよ。しかし四十疊の部屋は、喘息にはたしかに良いね。廣いから、イキグルしくない。食事がね、これが又、大變さ。近くの食堂へ行くんだが、こんなひどい米をたベたことがない。全部ボロボロの外米。少しの日本米もまじらない純外米。オドロイタネエ、コレニハ。サイパンはパラオと違つて、一週二囘肉の配給があるんださうだが、この米はひどい。しかたがないから、御飯はよくかんで、一杯ほどたべ、あとは、バナナとサツマ芋でおぎなひをつけることにした。バナナとサツマイモだけは豐富だ。バナナはパラオの半分位のネダン。喫茶(キツサ)店へ行つて、一皿(六七本位)十錢でたべられる。近くにヤキイモ屋もある。フカシイモなら百匁九錢、ヤキイモなら十五錢で、之もいくらでも喰へる。まづサイパンが南洋で一番、食物は豐かなんだらう。しかし、あのボロボロ米にはびつくりした。

 船の都合で豫定が變り、十二月十八・九日頃迄サイパンに逗留(トウリウ)することになるだらう。パラオに歸るのは豫定どほり。從つて、ヤップ滯在がひどく短くなるだらう。面白くないが、仕方がない。十二月十日の水曜迄に出してくれたら(飛行便)(サイバパン支廳氣付)、サイパンでお前の手紙が受取れよう。しかし、無理に書けといふんではない。

年末迄にとどくやうに地方課宛に出した方が、たしかだ。横濱から持つて來たあのチックの匂をかぐと、たかの髮の匂がするね。お乳の匂をかぐと格の髮の匂がするんだが、この頃ずつと牛乳にありつけないから、駄目だ。

 十一月二十六日。

 六月の終に、はじめてサイパン丸で南洋へ來る時、同じ船室に、ふとつた坊さんがゐて、坊さんのくせに、音樂が好きで歌ばかりうたつてゐたんだが、そのことを、手紙に書かなかつたかな。所で、その坊さんは、船が、サイパンに着くと、今迄浮かれて歌なんぞ歌つてゐたのが急にマヂメな顏になり、赤い旗をもつて埠頭まで出迎へに來た日蓮宗の信者達を從へて、堂々と上陸して行つたんだ。その時以來、五ケ月近く會はないので、今日、その坊さんを訪(たづ)ねて行つたよ。ら、大變よろこんでくれた。丁度風呂から出た所で、二十一貫の裸のまゝで、話をしたが、愉快な坊さんさ。二三日後の船で東京へ行つて、正月頃又南洋へ來るなんぞ、と言つてゐた。

 サイパンとパラオとは全く氣候が違ふ。サイパンは、水のとぼしいのだけは困るが、夜などムシムシすることがなくて良い。夜、床の中で汗もかかない。パラオでは毎晩ビツシヨリだ。

 十一月二十七日。今日から、ここの公學校通ひ。東の方の島々と違つてこの邊(ヘン

の子供(島民)は、日本語が達者だ。それだけ生(ナマ)意氣かも知れない。

 イモとバナナばかりたべてるので、オナラが出て、しやうがない。

 涼しいが、少し風が強すぎる。

 明日多分パラオ丸が東から來て、横濱へ向つて出て行くので、桓あてに小さな小包を送る。オモチヤの方は、九月頃横濱の生徒(金子)がパラオに送つてくれたものだが、オレが持つてても仕方が無いから桓にやる。マーシャル(ヤルート)土人の編んだバンドは、色が幼稚だから、格のにでもするより外ないだらう、これも貰ひものだ。金具をつければ(穴(アナ)をあけるバンドにしちや駄目だよ。和夫君のハンドみたいにすれば良い)バンドになる。

 今日はこれだけ。

   *

「百匁」三百七十五グラム。

「六月の終に、はじめてサイパン丸で南洋にへ來る時、同じ船室に、ふとつた坊さんがゐて……」十一月二十六日の日記と私の注を参照のこと。

「横濱の生徒(金子)」昭和一六(一九四一)年の手帳の住所録の中に『金子以く子 中區新山下町一の一』とあるのが彼女か。時に……この子が南洋の敦にわざわざ送った「オモチヤ」とはどんなものだったんだろう? わざわざ桓宛に送るほどのもの……南洋まで送られ、過酷な熱帯で二ケ月を過ごし、しかもまたしても南洋から日本へと帰国するというオモチャ……これ、当時としてはとんでもない距離を行ったり来たりしても壊れることがない頑丈なものではあった訳だ……何?……妙なことが気になるのが、私の悪い癖……。

「穴をあけるバンドにしちや駄目だよ。和夫君のハンドみたいにすれば良い」というのはフリー・スライド・バックル式のことか? ああいったものが当時普通にあったというのは意外(私は実に二十になるぐらいまで、ああした穴なしのバンドをしたことがなかったから)。]

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