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2014/01/08

日本その日その日 E.S.モース(石川欣一訳) 第十章 大森に於る古代の陶器と貝塚 41 大森貝塚出土の土器三種

M292294


[やぶちゃん注:上から「図―292」・中段「図―293」・下段「図―194」である。今回は分解せずにワン・セットでトリミングしたため、変則的に注で示した。]

 

 我々が発見した大森陶器中の、珍しい形をした物を若干ここ堅不す。国292は妙な形式をしている。横脇にある穴は、ここから内容を注ぎ出したか、或はここに管をさし込んで内容を吸い出したかを示している。図293は直径十一インチの鉢である。図294は高さ一フィート、これに似た輪縁の破片は稀でない。これ等の陶器はすべて手で作ったもので、轆轤(ろくろ)を使用した跡は見当らない。

[やぶちゃん注:これら三種と同一のものと思われるものはモースによる明治一二(一八七九)年に東京大学理学部紀要第一号として刊行された“Shell Mounds of Omori”(「大森貝塚」)の図版中にも掲載されている(但し、こちら図はモースによるものではなく、一九八三年岩波文庫版近藤義郎・佐原真編訳「大森貝塚」序文によれば、日本人『画工木村氏、石版工松田氏』の手に成るより緻密なものであって、当然、完全には一致はしない)。画像「大森介墟古物編」(現画像の日本語の標題は右から左書き)を視認する限り、以下のように同定出来るように私には思われる。一部は「東京大学総合研究博物館/人類先史データベース」にある大森貝塚出土標本データベース」の各標本ページをリンクさせたので御自身でも検証されたい。

 

●図292は 「第十板」PLATE Ⅹ の「五5」(原画像では縦並び。以下同じ)図

 

とほぼ一致する(「大森貝塚」ではこの横図の上部に上から見た図が配されてあって欠損した右の突起部分がはっきりと分かる)。その解説は、

   《引用開始》

図5 厚さ7㎜. 赤味をおびた黒色。ひじょうに平滑. この土器は, 大森貝塚発見のどの土器にも似ていないから, 多分, 時期の違うものだろう.

   《引用終了》

とある。「東京大学総合研究博物館/人類先史データベース」にある「大森貝塚出土標本データベース」の標本 BD04-122 参照。そこには縄文土器後期、注口土器(ほぼ完形)とあり、現高は一〇・五センチメートル、最大径一二・八センチメートルとある。

 

●図293は 「第二板」PLATE Ⅱ の「十二 12」(「十二」は右から左書き)

 

ではないかと私は考えている。その解説は、

   《引用開始》

図12 器壁厚さ5㎜, 底部8㎜, 径260㎜. 下半赤く上半は黒い. 内面平滑.

   《引用終了》

とあっる。本図よりも上下幅が有意に広く、上部の縁の隆起部分の形状も若干異なるようにも見えるが、全体のデザインはそっくりである。また、部分的に似た破片類は複数あるものの、他にこれと同じような完品の土器は図版中に見当たらず、何よりも口径260ミリメートルは、本記載の「十一インチ」に極めて近いからである。「東京大学総合研究博物館/人類先史データベース」にある「大森貝出土標本データベース」標本BD04-21参照。当該データには縄文土器・浅鉢(ほぼ完形)・器高一四センチメートル・口径二六センチメートルとある。

 

●図294は 「第一板」PLATE Ⅰ の「九9」図

 

とほぼ一致する(「大森貝塚」では反時計回りにやや移動)。その解説は、

   《引用開始》

図9 口縁厚さ6㎜, 器体厚さ5㎜, 口径144㎜. 赤みをおびる. 火にかけた形跡がある. この土器に似た口縁部が沢山みいだされた. ある破片は完全ならば口径354㎜になることを示している.

   《引用終了》

である。「東京大学総合研究博物館/人類先史デーベース」にある「大森貝塚出土標本データベース」の標本BD04-9参照。残念ながら、この標本は現在は行方不明である。

「十一インチ」27・94センチメートル。

「一フィート」30・48センチメートル。]

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